出島 (宮城県)
![]() ![]() ![]() ![]() 地理全島が三陸復興国立公園に指定されている。女川町中心部から見て北東にあり、本土とは最も狭い場所で300 mしか離れていない。長らく本土との架橋構想があったが、2017年より出島架橋事業が進められ、2024年12月19日に全長364 mの橋・出島大橋が開通した[1][2][3]。 集落は、島の北部にある出島と南部の寺間のみであり、両集落の間に宮城県道217号出島線が走っている。人が古くから住み、宮城県最大規模の貝塚群がある。その中でも出島遺跡が良く知られており、考古学ロマンあふれる島である。 島の周辺は、世界三大漁場である金華山沖と呼ばれる好漁場があり、同島は女川町の漁獲量の約4分の1を占める沿岸漁業の拠点ともなっている。また、釣り客の来島も多い。
気候黒潮の影響を受けるため、本土に比べて温暖である。雪はほとんど降らない。 歴史
出島の由来出島という名称は「内陸から前方に離れ出た島」という意味で名付けられた[7]。 交通前述のように観光振興や災害時の避難道路として架橋計画があったが、計画より工事が遅れていた[8]。その後、2017年から橋の本体工事を経て架橋工事が進展し、2024年12月19日に「出島大橋」が開通。これにより女川町中心部から車で約15分ほどで結ばれるようになった[9]。 かつては出島港・寺間港にシーパル女川汽船による女川港・江島への高速船が発着していたが[2]、2025年3月30日をもって両港への寄港を終了。翌3月31日からはこれに代わる公共交通として、女川駅方面と出島を結ぶ女川町民バス出島線が運行を開始した。 生活
名所・旧跡・観光スポット・例祭・伝承名所・旧跡・観光スポット例祭出島では八雲神社で、寺間では厳島神社でそれぞれ毎年5月の第2・3日曜日に行われる[2]。 伝承名産品東北地方太平洋沖地震の影響について2011年3月11日に発生した東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)により、島の住宅はほとんど倒壊し、ライフラインが断絶、島を襲った津波で島民25名が犠牲となった[16][2]。津波の高さは20m近くあったという[5]。住民たちは山を駆け上り、女川町立女川第四小学校、女川町立女川第二中学校へと避難した。本土との連絡手段はなかったが、島内に2台ある衛星電話のうち1台が残っていたため連絡が付き、翌日には、生き残った全島民が島外に避難することが出来た[5]。 2港の岸壁は、地震の影響で1m近く沈下した[17]。2011年11月現在で、島に戻ったのは100人以下である[18]。女川港との定期船は週3日2便になり、女川町国民健康保険出島診療所は閉鎖。出島簡易郵便局や宮城県漁協女川町支所出島出張所の再開見通しも立っていない[19]。 島の復興案について、宮城県では、出島と寺間の両集落を集約して高台に移転する案をまとめ、住民に提示した。住民は「慣れ親しんだ土地での再建をしたい」と集約・移転案への反発もあり[20]、2014年度(平成26年度)に出島地区、2015年度(平成27年度)に寺間地区にそれぞれ災害公営住宅が完成した[21]。 出島を舞台・ロケ地とした作品
脚注
関連項目外部リンク |
Portal di Ensiklopedia Dunia