千代丸一樹
千代丸 一樹(ちよまる かずき、1991年4月17日 - )は、鹿児島県志布志市出身で九重部屋所属の現役大相撲力士。本名は木下 一樹(きのした かずき)。身長178.0cm、体重166.0kg。血液型はB型。最高位は東前頭5枚目(2018年3月場所)。同じ九重部屋所属の元小結・千代鳳(13代大山)は実弟。好物はパスタ、モンブラン[2]。 経歴小中学生時代には柔道を経験した他、小学生時代には相撲も並行して習っており、相撲の指導者の子が九重部屋所属の元力士だった縁で志布志市立志布志中学校を卒業後、九重部屋に入門[5]。2007年5月場所で初土俵を踏んだ。同期には旭秀鵬がいる。本人は後年、相撲を取っていなかったら地元で子供たちに柔道を教えていただろうという趣旨のコメントをしている[6]。また、13代九重からは「相撲は強ければお金になるよ」と勧誘の際に口説き文句を受けたといい[2]、13代九重が角界屈指の金持ちであったことから強い説得力を感じたという。 入門後は勝ち越しと負け越しを交互に繰り返す場所が続いていたが、着実に番付を上げ初土俵から約3年半で幕下に昇進した。入門して1年はホームシックにかかっていたなど苦労したため、弟の祐樹(後の千代鳳)には最初「最初はしんどいぞ。お前は高校・大学まで行って柔道を続けた方がいい。考え直せ」と釘を打った[6]。三段目昇進時には四股名を本名の木下から千代丸に変えている。後に明かしたところによると、親は「千代大志」という四股名を考案していたが、14代九重こと千代大海がまだ現役であり「"大"の字を使うのは顔じゃない」と思ったのと、13代九重が「よし、丸いから"千代丸だ"!」と思いついたことから四股名が決まった[6]。2011年4月1日に火事で実家が全焼して以来、千代鳳と共に「2人で頑張って新しい家を建てたい」と動機を見出して精進するようになった[5]。その後も番付を上げ、2012年には幕下上位に定着し、2013年7月場所は東幕下筆頭位で勝ち越しを上げ[7]、場所後の番付編成会議で新十両昇進となり、史上17組目の兄弟関取となった[8]。地元の志布志市からは史上3人目の関取となった(旧志布志町出身の陣岳を史上初とした場合。)。十両に上がるまでには千代鳳の付け人を経験しており、千代丸もこのままではいけないと奮起したことも関取昇進に関係していた[6]。 新関取(新十両)の翌9月場所は7勝8敗と負け越したが、翌11月場所は同じ東十両13枚目に据え置きであった。翌11月場所は9日目に十両で一番乗りとなる勝ち越しを決め、11勝4敗の好成績を残した。この場所では弟の千代鳳が優勝を果たしている。翌2014年1月場所には千代丸が13勝2敗で十両優勝し、史上初の兄弟による十両連続優勝となった[9]。翌3月場所では史上10組目の兄弟幕内力士の誕生となる[10]新入幕を果たした。志布志市からは史上3人目の幕内昇進で、千代丸の新入幕を記念した祝賀会が4月13日に都内のホテルで行われた際「兄弟幕内なんて無理だろうと思っていたら想定外。勝ち越しは無理だろうと思ったら、あれよあれよという感じ。鳳は今度は新小結の可能性があるし、あれよあれよで兄弟大関なんていう想定外を」と抱負を語っていた[11]。新入幕の場所は2日目に前の場所は小結だった妙義龍や、幕内最高優勝経験者の旭天鵬など、上位経験が豊富の実力者相手にも物怖じせず突き押し相撲に徹して、12日目に勝ち越しを決めた。西前頭16枚目の地位で迎えた同年7月場所は8勝7敗と勝ち越し、翌9月場所は東前頭11枚目の地位を得て自己最高位も半枚更新した。しかし9月上旬に千代丸の虫垂炎が発覚し、白血球の数値が平常値の倍以上を記録するなど明らかな不調に悩まされたこともあって[12]、この9月場所は4勝11敗と振るわず、翌11月場所は幕尻となる西前頭16枚目に残留。9月場所が終わるまでは投薬治療を行っていたが、10月の秋巡業を全休して開腹手術を敢行[12]。入院生活を経て福岡入りした後に申し合いを再開[13]。11月場所に際してはおかゆが苦手で病院食をまともに食べられなかったことから入院前より10kg減量して175kgとなるなど怪我の功名ならぬ「病気の功名」に与った様子が伝えられており[13]、この場所を8勝7敗の勝ち越しに終えた。2015年5月場所は3勝12敗の大敗を喫し、翌7月場所は十両に陥落した。 その7月場所は西十両5枚目の地位で9勝6敗と勝ち越し、続く9月場所は西十両筆頭と再入幕がかかる地位を与えられたが、この場所は5日目に1勝しただけで9日目から途中休場した。同年11月場所は東十両14枚目と幕下陥落が見える地位にあり、10日目まで4勝6敗とピンチであったが残りを5連勝して9勝6敗と勝ち越し、関取残留を果たした。2016年は1月場所を怪我で途中休場し、再び十両下位まで番付を下げたが5月場所から3場所連続で勝ち越し、11月場所は東十両筆頭という幕内復帰目前の番付まで戻したが惜しくも負け越し、結局この年は丸1年間十両暮らしだった。 2017年に入ると、3月場所7日目の臥牙丸との取組で太鼓腹をうまく使った相撲を会得して勝ち越したのをきっかけに、あくまで主体は押し相撲としながらも、四つでも相撲を取れるようになったため、同年7月場所で13場所ぶりに幕内に復帰した[14]。この場所は西前頭15枚目の地位で土俵に上がり、9勝6敗と幕内の地位では2年半ぶりの勝ち越し。続く9月場所は西11枚目に番付を上げた。この場所では腹を活かして四つに組む相撲が多く見られ、中盤に星を稼いで9勝と自身初めて幕内の土俵で二場所連続勝ち越しを決めた。自身最高位となる西前頭8枚目で迎えた11月場所は、中盤に黒星を重ねて12日目に負け越しとなったが、そこから3連勝として7勝8敗で終えた。 2018年1月場所は9勝を挙げ、翌3月場所は自己最高位を更新する東前頭5枚目で迎えた。この場所は上位勢を相手に序盤から負けが込み、6勝9敗と負け越したものの9日目に豪栄道、12日目に高安と両大関を破る見せ場を作った。10日目には横綱鶴竜を相手に、自身初となる結びでの土俵を経験した。(結果は寄り切りで千代丸の負けとなった。)。9月場所は西前頭14枚目の地位で6勝9敗(千秋楽は休場して不戦敗)の負け越しで、番付運次第では幕内残留が叶わない状況となった[15]。11月場所は幸運にも西前頭16枚目となんとか幕内に残留。しかし先場所で負った足のケガの影響か全く振るわず、10日目に早くも負け越し。結局、4勝11敗と大敗を喫して十両陥落が濃厚となった。2019年1月場所は西十両6枚目に大きく番付を下げたが、10勝5敗と勝ち越し。西十両筆頭で迎えた3月場所も10勝を挙げ、幕内返り咲きを決めた。5月場所は東前頭13枚目で初日から3連勝と好発進。しかし、4日目に矢後に叩き込まれると、この日から6連敗を喫する。終盤は4連勝と持ち直したが、7勝7敗で迎えた千秋楽に同じく7勝7敗の阿武咲に電車道で押し出されて向こう給金。7月場所は番付が幸運にも据え置かれたが、5勝6敗で迎えた12日目から4連敗。5勝10敗の大敗でわずか2場所で十両に逆戻りすることになった。東十両筆頭の9月場所は一進一退の末、14日目に翔猿を突き出して勝ち越しを決め、再入幕を濃厚にしたが、千秋楽は一山本に叩き込まれて8勝7敗に留まった。返り入幕の九州場所は序盤から好調であり、12日目に佐田の海を電車道で押し出して勝ち越しを決めると、千代丸は「今場所は落ち着いて取れている。今年で一番調子がいいですね」と納得の表情だった。この場所は最終的には9勝を挙げた。 2020年1月場所は不運にも番付が1枚しか上がらず、東前頭12枚目で迎えた。この場所は初日に元大関・琴奨菊を突き出したが、それ以外はあまり見せ場もなく6勝9敗に終わった。3月場所は7日目の石浦戦後の検温で38度6分の発熱を記録し、中日朝には39度7分の高熱を出した[16]ため2019新型コロナウイルス感染症対策の観点から休場した。この場所で十両以上の力士が発熱のために休場するのは初めて。日本相撲協会は病院での受診と隔離を指示したという[17]。千代丸の弟で十両の千代鳳は、「昨日は元気だった。今朝は『体はすごく元気だけど熱がある』と言っていた。ちょっと休んだらケロッと土俵に立つと思う」と話した[16]。16日朝には熱が40度に上がり新型コロナウイルス検査を受けたが結果は陰性で、蜂窩織炎であることが明らかになった。17日の朝には37度7分まで熱が下がった[18]。最終的に、7勝6敗2休に終わった。 2021年1月場所は場所直前、同部屋の力士に新型コロナウイルス感染が確認されたことに伴い、千代丸も濃厚接触者に該当する可能性があるとして同場所を全休した[19]。翌3月場所の番付は事情が考慮されて、全休ながら1枚降下に留まった[20]。2023年5月場所は東十両10枚目の地位で6勝9敗であったが、翌7月場所はわずか1枚下降の東十両11枚目の地位を与えられるなど番付運に恵まれた。2023年11月場所は東十両8枚目の地位で4勝7敗4休と幕下陥落も見える成績となったが、2024年1月場所は4枚下降の東十両12枚目の地位を与えられ、十両残留を果たした[21]。 2023年12月25日に長崎県出身で2歳年下の客室乗務員の女性と葛飾区役所へ婚姻届を提出し、翌26日に公表した[22][23]。2024年1月場所は東十両12枚目の地位で5勝10敗の負け越しを喫し、62場所連続で務めた関取から陥落となった[24]。 東幕下筆頭に落ちた3月場所、3勝3敗からの7番相撲で十両の天空海を倒し勝ち越し、1場所で十両復帰を果たす。 しかし西十両13枚目で迎えた5月場所、初日に欧勝海に勝利した後、4連敗、3連敗、2連敗2回で1度も連勝することなく4勝11敗に終わり、1場所で再び幕下陥落となった。その後幕下で2場所連続勝ち越しにより、ご当所となる11月場所で西十両12枚目となるも初日から12連敗、結局13日目の東白龍戦の勝利のみで1勝14敗に終わり、1場所で幕下再陥落となる。東幕下10枚目で迎えた2025年1月場所は、初日の不戦勝もあり中日時点で3勝1敗だったもののそこから3連敗で負け越し、3月場所は原則1場所では十両復帰が不可能な東幕下16枚目まで番付を落とす。 取り口など弟の千代鳳と概ね同様の突き押しが千代丸の型であるが、立合いからの諸手突きを得意としており弟より若干突き押しに徹した傾向がある。下位時代には反り腰の癖が祟って丸い体型を活かせず突き押しも甘くなりがちであったがそれを解消したことで関取昇進を掴むことができた[25]。また稽古嫌いでもあり、九重からは新十両昇進会見で「自分から稽古をやろうとしない。弟がいたから上がれた」と辛口の評を下され、稽古嫌いであることを明かされた。同じ場にいた千代丸もそれを自覚しており「弟が先に上がって、焦りも負けたくないという気持ちもあった」と千代鳳に対する競争心も語った[26]。2017年13日目の支度場所では幕内で2年半ぶりに勝ち越した要因について「四つ相撲に変えて引く相撲が少なかったから。四つになったら、引きようがない」と自己分析していた[27]。的が小さく、巨腹をあてがいづらい小兵力士には弱く2019年頃になってもその傾向は変わらない。 塩を撒く量は少なく、ソップ型でありながら大量の塩を撒く照強とは好対照である。 2021年2月の協会公式YouTubeチャンネルで測定したところによると千代丸の握力は35kgであり、企画参加者17人中最下位であった(1位は宇良の100kg超、最下位から2番目の松鳳山は54kg)。進行担当の音羽山が思わず本気を疑う測定値であった[28]。 エピソード
主な成績2025年5月場所終了現在 通算成績
各段優勝
場所別成績
合い口2025年5月場所終了現在
(以下は引退力士)
幕内対戦成績
(カッコ内は勝数、負数の中に占める不戦勝、不戦敗の数。太字は2025年5月場所終了現在、現役力士) 改名歴
ギャラリー
脚注
関連項目外部リンク |
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