和訓栞
『和訓栞』(わくんのしおり)は、谷川士清が編纂した国語辞書。江戸時代に編纂され、明治にかけて刊行された。 概要![]() 「和訓栞」の表記は題叢で、内題・版心から「倭訓栞」とも表記される[2]。前編45巻34冊、中編30巻30冊、後編18巻18冊、全93巻82冊のち合冊。 五十音順の配列、穏当な語釈、出典・用例などの整備から、「日本初の近代的な国語辞書」とされる[注 1]。石川雅望の『雅言集覧』、太田全斎の『俚言集覧』とともに「近世の三大(国語)辞書」として並称されることがある[4][5][6][7]。また『雅言集覧』とともに双璧をなすと言われることもある[8]。 沿革当初は、製版本として谷川士清の没翌年から1887年(明治20年)までの百余年、数次にわたり刊行された[9]。原稿完成当時のものとして、士清の曾孫にあたる清逸(すがはや)の筆写した清逸本『倭訓栞』が現存する。当初は一部の予定であったが、出版は難航し、三部構成に変更された[10]。 時系列的には次のように刊行された[11]。
内容首巻の「大綱」では漢字、仮名、方言など、国語に関して論ずるが、その所説は谷川士清の主著『日本書紀通證』と密接な関係にあり[12]、附録の「倭語通音」説に基づいて、見出し語を各編ごと仮名一字の語、二字の語、三字の語などそれぞれ別に、また第二音節までを五十音順に配列している[注 2]。前編(7496語)には古言・雅語、中編(9618語)に雅語、後編に方言・俗語・外来語(3783語)を収録する[13]。 受容曲亭馬琴が書肆に宛てた書簡に『和訓栞』の注文が見られる[14]。また、喜多村信節は『嬉遊笑覧』において、語の考証に『和訓栞』を引用している[14]。 明治以降でも、たとえば幸田露伴は「音幻論」の中で『和訓栞』を引いている[14]。また、大槻文彦が編纂した国語辞典『言海』には、『和訓栞』の影響が指摘されている[15][16]。さらにジェームス・カーティス・ヘボンの『和英語林集成』第3版「和英の部」においても、古典語の増補にあたって『和訓栞』や『雅言集覧』などの近世辞書が編纂資料として参照されているが、特に『和訓栞』は意味・解説の際にも参照された[17]。 復刻・影印
脚注注釈出典
参考文献
外部リンク |
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