大阪教育大学附属平野中学校
大阪教育大学附属平野中学校(おおさかきょういくだいがくふぞくひらのちゅうがっこう 英: Hirano Junior High School Attached to Osaka Kyoiku University)は、大阪府大阪市平野区に所在する国立中学校。略称は附中、附平中、通称は平附(ひらふ)。 概要大阪教育大学の附属中学校の一つ。1947年に新制中学校として開校した。学校教育法に基づき、中学校としての普通教育を行う。同時に大阪教育大学の附属学校として、教育理論・教育実践の研究や、大阪教育大学の学生を教育実習生として受け入れることなど、大学の教育研究の場としての側面も持ち合わせている。 同じ校地内に大阪教育大学附属高等学校平野校舎が所在するが、併設型の中高一貫教育校ではなく、附属高等学校平野校舎においては、附属平野中学校の生徒について入学者の選抜(連絡進学選考)は実施[1]される。附属天王寺中学校とは違い、第3学年の希望者の内、学年の約2/3(2クラス)を上限に連絡進学[2]が可能。 1992年度から1994年度にかけて、文部省の研究開発指定校として取り組んだ授業システム「JOIN」[注釈 1][3](選択履修の新しい試み)が特徴的である。自分にあった課題を見つけ、主体的な学びと生き方の自覚を深めていくことをグループ学習や教官の指導の下獲得していくものであり、現在の総合的な学習の時間の先駆けであった。 沿革略歴1947年度からの学制改革により、従来の旧制大阪第一師範学校女子部附属国民学校(現在の大阪教育大学附属平野小学校)高等科を振り替える形で、大阪第一師範学校女子部附属中学校として開校した。当時平野にあった大阪第一師範学校女子部[注釈 2]の附属学校として開設されている。 1949年以降学年進行で段階的に進行した旧制大阪第一師範学校女子部から新制大阪学芸大学への移行に伴い、附属中学校は大阪学芸大学第一師範学校平野附属中学校(1949年)・大阪学芸大学附属平野中学校(1951年)へと短期間で改称している。 開校当初の校舎は附属平野小学校に併設されていたが、1951年に現在地に独立校舎を設置している。 大学の改称に伴い、1967年には大阪教育大学附属平野中学校へと改称した。さらに1973年には大阪教育大学教育学部附属平野中学校へと改称している。 1961年には校地の一部を割き、従来は附属平野小学校内にあった附属幼稚園の独立園舎が竣工した。また1972年には敷地内に大阪教育大学附属高等学校平野校舎が併設されている。 年表
教育方針
基礎データ所在地
象徴校訓
通学区域
交通
脚注注釈出典
関連項目外部リンク |
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