大阪教育大学附属池田中学校
大阪教育大学附属池田中学校(おおさかきょういくだいがくふぞくいけだちゅうがっこう 英: Ikeda Junior High School Attached to Osaka Kyoiku University)は、大阪府池田市に所在する国立中学校。略称は附中、通称は附属、大教大附属、池附(いけふ)。 概要学校教育法に定められた中学校として前期中等教育を行うとともに、大阪教育大学の附属学校として、教育の理論や実践に関する研究もおこなう。 同じ校地内に大阪教育大学附属高等学校池田校舎が所在するが、併設型の中高一貫教育校ではなく、附属高等学校池田校舎においては、附属池田中学校の生徒について入学者の選抜(連絡進学選考)は実施[2]される。附属天王寺中学校とは違い、第3学年の希望者の内、学年の約4分の3を上限に連絡進学[3]が可能。 大阪教育大学は、2001年6月に発生した大阪教育大学附属池田小学校児童殺傷事件を契機に、「学校災害による兄弟姉妹が死亡した生徒の発達過程と支援のあり方」について研究チームを作って研究をおこなっている。その一環として、学校の教育活動中に発生した事件・事故や、通学中の事故で兄弟姉妹を亡くした経験を持つ生徒の発達過程を研究調査するため、そうした経験を持つ生徒への特別枠選考もおこなっている。 2015年には、日本セーフティプロモーションスクール協議会より、学校安全教育の推進に取り組む「セーフティプロモーションスクール(Safety Promotion School 、SPS)」の認証を受けている[4][5]。 2015年に国際バカロレア (International Baccalaureate, IB) 中等教育プログラム (MYP) を行うIBワールドスクールの「候補校」となり、その後校内での研究や教育実践活動を経て、その後2020年1月に国際バカロレアの中等教育プログラム認定校となった[6]。 沿革略歴1947年の学制改革により、大阪第二師範学校男子部附属中学校として設置された。1947年度1年生については大阪第二師範男子部附属国民学校(現在の大阪教育大学附属池田小学校)出身者を主に受け入れ、また2年生については旧制大阪府海外商業学校[注釈 1]より編入した[1]。 創立当初は、池田市城山にあった大阪府海外商業学校の校舎を大阪府から借用して転用する形になった[1]。その後1957年に現在地に移転している[1]。現在地は陸軍砲兵廠池田分工場の跡地に当たる。 年表
基礎データ所在地
象徴校名校名については、母体となった大阪第二師範学校が学制改革に伴って1949年入学生より学年進行で新制大阪学芸大学(池田分校)へ改編されたことにより、大阪学芸大学大阪第二師範学校池田附属中学校(1949年改称)、大阪学芸大学附属池田中学校(1951年改称)となっている。 1967年には大学の改称により、大阪教育大学附属池田中学校となった。また1972年には大阪教育大学教育学部附属池田中学校に改称している。さらに2004年には、国立大学独立行政法人化に伴って大阪教育大学附属池田中学校となった。 校歌校歌は作詞者不明。小部卯八作曲。池田師範学校校歌(1918年制定)をそのまま校歌としている。隣接する附属池田小学校も同じ校歌である。 通学区域
交通関係者出身者政治司法経済
学術
文学芸能・ジャーナリズム
芸術脚注注釈
出典
関連項目外部リンク |
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