宍戸錠
宍戸 錠(ししど じょう、(英:Joe Shishido)1933年〈昭和8年〉12月6日 - 2020年〈令和2年〉1月18日[1][2][3][4])は、日本の俳優・タレント・司会者。血液型はB型。宍戸錠事務所所属。愛称は「エースのジョー」。 妻はエッセイスト、宍戸游子。宍戸開は長男、宍戸史絵(現・紫しえ)は長女、郷鍈治は実弟、ちあきなおみは義妹(実弟・郷鍈治の妻)。大阪府桜宮(現在の大阪市都島区)出身[5][4]。宮城県白石高等学校卒業、日本大学藝術学部演劇科中退。 来歴父親は現在の福島県伊達市出身[5]。錠によれば母親は神奈川県横浜市出身だが[5]、母親自身の話では父が台湾総督の副官であり、台湾で生まれ[6]、父の転勤で日本へ戻り、静岡県浜松市で育ったと述べている[6]。横浜高女時代に関東大震災に遭い、一家で滋賀県大津市に疎開したが、田舎暮らしを嫌い、20歳の時に単身大阪に出て、海上火災という会社に勤める。この時期に、自身と同じく関東大震災で大阪に居を移し、大阪のアーサー・バルファーという商社に勤めていた父が同じビルで働いていたことで知り合い、結婚したという[5][6]。父はその後、工作機械を扱う会社を起業して独立し[5][6]、満州事変の特需で250万円[注釈 1]の収益を得た[5]。この後、「錠」は大阪で出生[5]。「錠」という名前の由来は宍戸家が子沢山だったため、『この子を最後の子にしたい(子作りに錠前を掛ける)』という両親の思いがあったからだという[注釈 2][7]。家のあった桜宮は下請けの町工場と温泉マークがあったため、環境に悪いと3歳[5]から5歳の頃[4]、家族で東京滝野川へ移り住む[6]。父は仕事を辞めその後は亡くなるまで定職に就かず、1300坪ほどの家を建て、一家は裕福な生活を送る[5][4][6]。当時は300円で家が一軒買えた時代だったが、滝野川の家は10万円で購入した[6]。1970年頃の価値で、5~6億円はしたという[6]。 小学6年生の頃に東京大空襲で敷地に焼夷弾240発が落とされて自宅が全焼し[6]、跡地はドサクサに紛れた何者かに居座られ、奪われてしまう。遠い親戚を頼り宮城県斎川村(現在の白石市)に疎開する[5][6]。当地に父が家を建て[5]、高校卒業まで当地で育つ。 勉強もスポーツもよく出来、高校ではバスケットボール部に所属。映画鑑賞にも熱心で、プロ野球選手か、実業団で野球をやるか、俳優になるか考えた末、1952年の高校卒業後、早稲田で演劇をやろうと決意する。しかし受験に失敗[5]、日本大学藝術学部に進む[5]。同期にケーシー高峰、砂塚秀夫、赤江瀑、嵐徳三郎ら[5]。 大学2年の1954年、日活ニューフェイス(第1期生)に合格[5]、大学を中退し3月15日付で日活に入社[5]。 ![]() 1955年、『警察日記』での若い巡査役で銀幕デビュー。この頃は線の細い美青年だったが、1956年にトレードマークとなる豊頬手術を受ける。本人は「それはそれでいいんですが、一方ではもし整形しなかったら、もっとすごい俳優になれていたかもしれないっていう意識も常にあったんですよ」と述懐するが、これを機に「アクの強い役=悪役」への転向を果たした。 1962年に游子(昌子)と結婚し、3人の子を儲ける。宍戸開は長男である。 2001年、豊頬の際に注入された異物(オルガノーゲン)を摘出手術で取り除いた[注釈 3]。摘出手術に踏み切った理由を「理由の一つに、僕は70歳を前にして普通のジジイの顔になりたくてやっただけ」と語っていた[8]。 映画や創生期のテレビドラマ『事件記者[注釈 4]』などに出演。タフでハードボイルドな役柄で小林旭らと共に名を知られ、日活アクション映画の需要もあって、「エースのジョー」と呼ばれて親しまれた。エースのジョーのニックネームは日活の宣伝部員によって名付けられ、これは宍戸が「ハリウッドの3流ギャング映画的な『殺し屋ジョー』でやりたい」というリクエストに応えたものだった[9][注釈 5]。 ![]() 1971年、日活との専属契約を打ち切りフリーとなる。テレビへと活動の場を移し、テレビドラマの他に『巨泉・前武ゲバゲバ90分!』に出演したり息子と『くいしん坊!万才』のレポーターを務めた。 2006年、息苦しさを感じ、心臓血管研究所付属病院での検査の結果、虚血性心不全と診断されて即入院。冠状動脈カテーテル・バルーン手術を受けた。 2013年2月4日、1966年に建築した自宅が全焼[11][12]、妻の死去後は独り暮らしで外出時の出火だった[13]。直後のホテル住まいを経て、翌月からは賃貸マンションで暮らした。消防署の調べでは古い電熱器のコードが原因だと判明。この火事で思い出の品々や過去の衣装、日用の衣類までほぼすべて失い[14]、本人は「しょうがない、今後の衣服はユニクロで我慢するか」と語った[15]。 2020年1月18日、虚血性心疾患のため東京都内の自宅で死去[1][16]。86歳没[2][3]。1月21日未明に東京都世田谷区にある自宅で倒れている宍戸が発見され、警察や救急隊により死亡が確認された。 2021年、第44回日本アカデミー賞会長特別賞を受賞。 人物![]()
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