日鉄鋼板
日鉄鋼板株式会社(にってつこうはん、英文社名 NIPPON STEEL COATED SHEET CORPORATION)は、めっき鋼板などの表面処理鋼板を主力とする建築物用鋼板メーカーである。日本製鉄の完全子会社。略称は「NISC」。 概要大手高炉メーカーの日本製鉄が出資する建材鋼板メーカーである。旧新日鉄グループの日鉄鋼板と旧住友金属グループの住友金属建材の建材鋼板部門を事業統合して、2006年(平成18年)に日鉄住金鋼板が設立された。その後、2019年4月1日に現商号に変更した。 事業領域は、各種建材鋼板(薄板)の製造・販売と建築物の設計・監理・工事請負である。製品には、めっき鋼板(溶融亜鉛めっき鋼板・ガルバリウム鋼板)やそれらを加工した塗装鋼板・ポリ塩化ビニル被覆鋼板、塗装ステンレス鋼板などの表面処理鋼板や、金属屋根、金属壁、金属断熱サンドイッチパネル[2]がある。外装建材用表面処理鋼板は国内最大手であり、その国内シェアは40%以上、金属断熱サンドイッチパネルは80%以上である。 本社は東京都中央区日本橋本町一丁目にある第10中央ビルに入居する。支店は大阪市・名古屋市・福岡市・仙台市・江別市の5か所に、営業所は富山市の1か所に配置されている。製造拠点は、西日本製造所[尼崎地区](兵庫県尼崎市)・東日本製造所[船橋地区](千葉県船橋市)・同[市川地区](千葉県市川市)・パネル建材製造所[堺地区](大阪府堺市堺区)・同[湖南地区](滋賀県湖南市)・東日本鋼板加工製造部[市川地区](千葉県市川市)・西日本鋼板加工製造部[大阪地区](兵庫県尼崎市)・同[愛知地区](愛知県豊川市)の8か所がある。 沿革日鉄住金鋼板は、2006年(平成18年)に住友金属建材(現 日鉄建材)の建材薄板部門を会社分割により日鉄鋼板(2002~2006年)へ統合し、社名変更の上発足した。日鉄鋼板は大同鋼板(初代)と大洋製鋼を、住友金属建材は住金鋼材工業・イゲタ鋼板・イゲタ建材の3社をそれぞれ前身にもつ。 日鉄鋼板は、2020年(令和2年)7月1日に日鉄日新製鋼建材を吸収合併し、現体制となった。日鉄日新製鋼建材は、2016年(平成28年)に日鉄日新製鋼(現 日本製鉄)の市川製造所を会社分割により日新総合建材へ統合し、日新製鋼建材が発足した後、2019年(平成31年)に、商号変更により発足した会社である。日新総合建材は、新星工業と月星工業を前身にもつ。 大同鋼板と大洋製鋼の統合、日鉄鋼板と住友金属建材の統合のいずれも大同鋼板(日鉄鋼板)が存続会社となっているため、日鉄住金鋼板は大同鋼板設立の1950年(昭和25年)を設立年としている。 大同鋼板→日鉄鋼板大同鋼板(初代)及び日鉄鋼板の前身は、1899年(明治32年)に創業した富永鋼業株式会社である。同社は鋼板の輸入を目的に大阪で創業、1924年(大正13年)には輸入薄板を原板に亜鉛めっき鋼板の製造を始めた。1932年(昭和7年)には原板自給のため薄板用圧延機を導入。1938年(昭和13年)には平炉を導入して薄板の原料を自給した。1941年(昭和16年)に取引関係のあった大同製鋼(大同特殊鋼の前身)と合併するが、戦後過度経済力集中排除法の対象となったため、1950年(昭和25年)に大同鋼板株式会社として分離・再発足した。大同鋼板は1952年(昭和27年)以降平炉を休止し、新日鉄の前身・富士製鐵系列の単圧メーカーとなった[3]。 2002年(平成14年)、後述の大洋製鋼との間で事業統合が実施され、大同鋼板(初代)は日鉄鋼板株式会社(NITTETSU STEEL SHEET CORPORATION、略称:NISSC)に社名を変更した上で、製造部門を大同鋼板(2代目)へ分割、大洋製鋼を製造子会社とした。この事業統合により事業持株会社の日鉄鋼板と製造子会社の大同鋼板(2代目)・大洋製鋼という形態となったが、2004年(平成16年)にさらなる統合が実施され、日鉄鋼板は製造子会社2社を合併した。また、新日鉄との間で株式交換が行われ、同社の完全子会社となった。この結果、東証1部・大証1部での株式上場を廃止している。
大洋製鋼
住友金属建材
日鉄住金鋼板
日鉄鋼板
主なグループ企業
脚注
関連項目
外部リンク |
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