木寺浩一
木寺 浩一(きでら こういち、1972年4月4日 - )は、埼玉県日高市出身の元プロサッカー選手、サッカー指導者。ポジションはGK。 来歴
名門・武南高校で1年時からレギュラーとして活躍し、全国高等学校サッカー選手権大会において第67回大会ベスト8、第68回大会準優勝(大会優秀選手)、第69回大会第3位(大会優秀選手)という経歴を持つ。また、高校3年時には日本ユース代表(日本ユース代表メンバーには、名波浩、藤田俊哉、名良橋晃や武南高校1学年下の上野良治がいる)に選出され、1990年のAFCユース選手権に出場した。高校卒業後はJSL1部のNKKサッカー部に入部。1992年、バルセロナ五輪予選代表候補に選出される。なお、NKKサッカー部は1993年をもって廃部となったため、旧JFLの京都パープルサンガ[2](現・京都サンガF.C.)に移籍した。 1995年、京都を戦力外通告を受け退団。1996年1月から9か月間はサッカーとは無縁の生活を過す。その間、怪我で左肩じん帯を断裂、手術の際に医師に「リハビリすれば、サッカー選手として十分やっていける」と告げられたことで意欲を目覚めさせ、1996年11月に関東サッカーリーグのホンダルミノッソ狭山FCに入団[3]。 1998年、浜野征哉の負傷による緊急補強という形で旧JFLのアルビレックス新潟に移籍。翌1999年にJ2に昇格し、吉原慎也とスタメンを争う、2001年以降は野澤洋輔とスタメンを争った。J1昇格の2004年2ndシーズンでは野澤の負傷離脱により出番が回りJ1デビュー、そのシーズンにおける4連勝の原動力となった。2005年、野澤の出場停止をきっかけにスタメンを奪ったが、同年11月30日に若手育成のため、戦力外通告を受け退団。 2006年、J1のサンフレッチェ広島に移籍し、下田崇のバックアッパーを務める。2008年には下田の怪我による出遅れがあったため、レギュラーとして定着、同年3月のXEROX SUPER CUP 優勝(優勝メンバーには、佐藤寿人、青山敏弘、槙野智章、久保竜彦がいる)に貢献するも、同年6月21日J2第21節対水戸ホーリーホック戦で肩を脱臼し戦線離脱、その穴を埋めた佐藤昭大の台頭により同年末に戦力外となった。 2009年、北信越フットボールリーグ1部のツエーゲン金沢に移籍、正GKとして活躍した。全国社会人サッカー選手権大会で準優勝。全国地域サッカーリーグ決勝大会で3位に入り、JFL17位のFC刈谷との入れ替え戦に勝利し、日本フットボールリーグ(JFL)昇格に貢献した。チームのJFL昇格を見届け、2010年1月8日をもって退団。 現役引退後は、指導者の道へ進む。現在は、ジュニア ~ ユース世代のゴールキーパー専門スクール「KIDE Football Academy」を立ち上げ、指導にあたる。 所属クラブ
個人成績
その他の公式戦
代表歴タイトルクラブ
指導歴
脚注
関連項目外部リンク
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