檀崎竜孔
檀崎 竜孔(だんざき りく、2000年5月31日 - )は、宮城県名取市出身のプロサッカー選手。ポジションはミッドフィールダー[1]。 来歴プロ入り前小学1年生の時に館腰サッカースポーツ少年団(以下、館腰SSS)でサッカーを始めた[2]。館腰SSSからアバンツァーレ仙台SC、ベガルタ仙台ジュニアに進み[3]、ベガルタ仙台ジュニアでは第36回全日本少年サッカー大会宮城県大会で6年連続6回目の優勝を経験[4]。小学6年生の時に青森山田中学校が全国中学校サッカー大会で優勝したのを観て憧れるようになった[5]。ベガルタ仙台ジュニアユースへ昇格まで決まっていたが地元を離れ[5]、檀崎が憧れた青森山田中学校に進学した。2年生の時に第45回全国中学校サッカー大会で優勝し、3年生になると背番号10番の主将となり、第46回全国中学校サッカー大会を優勝し連覇に貢献し、檀崎は同大会で優秀選手と[6]、得点王になった[7][注 1]。 青森山田は中高一貫のため、青森山田高校に進学。1年生の時からスタメンを獲得して[5]、高円宮杯プレミアリーグイースト、高円宮杯プレミアリーグチャンピオンシップ、第95回全国高等学校サッカー選手権大会の優勝を経験した[5]。2年生の時に同学年で唯一スタメン起用された[8]。青森山田高校サッカー部では7番と10番の背番号がダブルエースナンバーとされており[9]、その7番を付け第96回全国高等学校サッカー選手権大会で出場し優秀選手に選出された[10]。3年生になるとキャプテンとして10番を背負い、高円宮杯プレミアリーグで活躍。7月頃にセレッソ大阪の練習に参加し、練習参加していたらクラブから『インターハイを見てから決断する』と言葉をかけられた[5]。インターハイ2回戦で敗退し、オファーには至らなかった[5]。8月下旬に北海道コンサドーレ札幌の練習に参加。練習参加の最終日に札幌監督のミハイロ・ペトロヴィッチから『突破の部分でも、インサイドでプレーする分にも面白いプレーヤーだね。これから他のクラブに練習参加をするかもしれないけど、決断できるなら私の下でやってほしい』と言葉をかけられた[5]。数日後に正式オファーを受け、9月18日に札幌への来季加入内定が発表された[11]。大会前の12月に黒田剛監督から檀崎の負担軽減のため主将を交代させられた[12]。第97回全国高等学校サッカー選手権大会に出場、決勝では流通経済大柏高校相手に檀崎の2得点などもあり3-1で優勝に貢献し[13]、優秀選手に選出された[14]。 プロ入り後2019年、北海道コンサドーレ札幌に加入。背番号は前年まで所属していた、稲本潤一が背負っていた「17」に決定した。3月6日、ルヴァンカップ第1節の横浜F・マリノス戦でプロデビューを果たした[15]。4月10日、ルヴァンカップ第3節の湘南ベルマーレ戦でプロ入り初得点を決めた[16]。 2020年11月19日、Aリーグのブリスベン・ロアーFCへの期限付き移籍が発表された[17]。2021年1月20日、ニューカッスル・ユナイテッド・ジェッツFC戦で移籍後初ゴールを決めた[18]。7月23日、期限付き移籍の満了とともに札幌への復帰が発表された[19]。 2021年8月12日、ジェフユナイテッド市原・千葉に期限付き移籍で加入[20]。 2022年シーズン、札幌に復帰。だがカップ戦要員としての起用に留まり、2022年7月9日にブリスベン・ロアーFCへ再度レンタル移籍すると発表された[21]。 2023年1月7日北海道コンサドーレ札幌より退団する事が発表された[22]。 2023年1月28日スコットランド1部のマザーウェルへ入団する事が発表された[23]。 2023年7月24日オーストラリア・Aリーグのウェスタン・ユナイテッドFCへ入団する事が発表された[24]。 賭博不正疑惑2025年6月2日、賭博に関する不正の容疑で逮捕・起訴されたと現地メディアが報じた。試合中、故意にイエローカードを受け、スポーツ賭博の結果を操作した疑いが持たれているという[25]。同年7月4日、ウェスタン・ユナイテッドFCから契約満了による退団が発表された[26]。同月21日、檀崎と友人がスポーツ賭博で計1万8000豪ドル(約170万円)以上の利益を不正に得ていた容疑であることが報じられた[27]。起訴状の内容によると、檀崎がイエローカードを受けることを計画し、試合前に友人に情報を与え、それを基に友人がスポーツ賭博でイエローカードに賭け、檀崎自身も直接賭けていた、とされる[27]。 所属クラブ
個人成績
タイトルクラブ
個人
代表歴
脚注
関連項目外部リンク
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