滋賀県道102号大津湖岸線
![]() 滋賀県道102号大津湖岸線(しがけんどう102ごう おおつこがんせん)は、滋賀県大津市を通る一般県道である。 概要大津市浜大津1丁目から琵琶湖西岸に沿って大津市松原町に至る[1]。 大津市が湖岸道路の完成記念に1966年(昭和41年)から行った植樹や、滋賀県が1983年(昭和58年)から始めた修景緑化事業により、クスノキやケヤキが沿道に植えられている[2]。 大津市浜大津から琵琶湖の湖岸に作られた埋め立て地を経て松原町に至る[3]。途中の膳所で近江大橋と連絡する[3]。 路線データ
歴史大津市内の湖岸道路の構想は1932年(昭和7年)の大津市都市計画街路の中に含まれていた[4]。そして、1950年(昭和25年)1月、当時の大津市長である佐治誠吉が発表した大津市の都市計画構想の中で湖岸を埋め立てて観光道路を建設する案が示された[4]。 1936年(昭和11年)から1940年(昭和15年)には東洋レーヨン滋賀工場から出た石炭ガラによって御殿浜から松原町を経て瀬田唐橋の間の1,300 mで埋め立てが行われており、この部分には道路の原型ができていた[4]。その後、1949年(昭和24年)から1951年(昭和26年)にかけて紺屋関(現在の島の関西交差点付近)から浜大津(大津港)の800 mの区間に既設の京阪石山坂本線の軌道と平行するかたちで石油ガラを埋め立て、湖岸道路が設置された[4]。その後、昭和30年代に入り高度経済成長期で大津市内で広大な土地の需要が生じると、琵琶湖の大規模な埋め立てが行われ、この埋め立て事業を先行するかたちで湖岸道路が建設された[5]。1958年(昭和33年)には浜大津から膳所の間で完成していた[5]。そして、1966年(昭和41年)に膳所から御殿浜までの820 mの工事の完成をもって浜大津から松原町の区間が湖岸道路として結ばれた[5]。 近江大橋の完成を前に、1973年(昭和48年)5月には湖岸道路が大津市から滋賀県へ移管され[5]、当該路線となっている。 年表路線状況重複区間
地理通過する自治体交差する道路
交差する鉄道沿線
脚注参考文献
関連項目 |
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