爆弾三勇士の歌
爆弾三勇士の歌(ばくだんさんゆうしのうた)は、爆弾三勇士(肉弾三勇士)をテーマにした軍歌である。大阪毎日新聞・東京日日新聞(現在の毎日新聞)によって公募され、1932年(昭和7年)4月にポリドール・レコードから発売された。類似の歌として、大阪朝日新聞・東京朝日新聞(現在の朝日新聞)が公募した「肉弾三勇士の歌」がある。 概要大阪毎日・東京日日と大阪朝日・東京朝日は1932年(昭和7年)2月28日、それぞれ三勇士をテーマとした歌の懸賞募集を開始した。3月10日の締め切りで、毎日は8万4177通[1]の応募があり、朝日は12万4561通[1]の応募があった。 競作爆弾三勇士の歌毎日は題名を「爆弾三勇士の歌」とし、当時慶應義塾大学の教授をしていた与謝野鉄幹(寛)が詞を書いた。「廟行鎮の敵の陣」である。作曲は陸軍戸山学校軍楽隊楽長の辻順治・楽長補大沼哲の合作で制作された。陸軍戸山学校軍楽隊によって吹き込まれ、ポリドールレコードで4月に発売された。後に作詞した鉄幹自らの手により一部歌詞が改訂されている。 肉弾三勇士の歌朝日は題名を「肉弾三勇士の歌」とし、長崎日日新聞で経済記者をしていた中野力の作品が選ばれた。歌い出しは「戦友の屍を越えて突撃す」であり、作曲は山田耕筰に依頼された。作品は、3月15日の紙面で発表され、17日に朝日講堂で発表演奏会が行われた。江文也によって吹き込まれ、コロムビアレコードで3月25日に発売された。 歌詞毎日の「爆弾三勇士の歌」の改訂後の歌詞。この曲の著作権は作詞・作曲共に消滅している。
他の関連軍歌
脚注
関連項目外部リンク
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