田島一成
田島 一成(たじま いっせい、1962年6月15日 - )は、日本の政治家。滋賀県彦根市長(1期)。元衆議院議員(4期)。元立憲民主党滋賀県連代表[3]。 環境副大臣(鳩山由紀夫内閣・菅直人内閣)、滋賀県議会議員(1期)、彦根市議会議員(2期)等を務めた。 来歴滋賀県彦根市生まれ[4][5]。彦根市立旭森小学校、彦根市立東中学校、滋賀県立彦根東高等学校、中央大学商学部会計学科卒業、同志社大学大学院総合政策科学研究科修士課程修了(修士論文は「日本社会におけるNPO(民間非営利組織)の現状と方向性―新たなセクターとしての役割と可能性の考察―」)[4]。大学卒業後、竹中工務店勤務を経て、生家が経営する田島物産に入社[6][5]。またアメリカ合衆国カールトン・カレッジに留学し、単位を取得した。 1991年4月、彦根市議会議員選挙に立候補し、当時最年少の28歳で初当選した[4]。1995年の市議選でも再選され、2期8年務める。市議在職中は無所属で活動し、無会派議員団代表を務めた。1999年、滋賀県議会議員選挙に立候補し、当選。県議在職中は会派「県民ネットワーク」に所属[4]。 中央政界入り2001年、彦根市を含む滋賀2区選出の小西哲衆議院議員(自由民主党)の死去に伴う補欠選挙に、県議を辞職して立候補。滋賀2区は元々、新党さきがけから民主党に合流していた武村正義の地盤であったが、武村は2000年の第42回衆議院議員総選挙で落選後、健康上の理由から政界引退を表明しており、補選にも一旦は出馬の意欲を示したものの、最終的に立候補を断念した[7]。補欠選挙には民主党公認で出馬したが、小西哲の弟である小西理に2万票超の差で敗れ、落選した。 2003年、第43回衆議院議員総選挙に民主党公認で滋賀2区から再び立候補し、前回敗れた小西を約4600票差で破って当選した(小西も比例復活)。2005年の第44回衆議院議員総選挙では自民党公認の藤井勇治、郵政民営化法案の採決で反対票を投じたため自民党の公認を得られず無所属で立候補した小西理らを破り、再選(藤井は比例復活)。2009年の第45回衆議院議員総選挙では、藤井に比例復活を許さぬ大差をつけ、3選。同年、鳩山由紀夫内閣で環境副大臣に任命され、菅直人内閣まで務める。 2012年の第46回衆議院議員総選挙では、滋賀1区から国替えした自民党元職の上野賢一郎に2万票弱の差で敗れ、比例復活もならず落選した。2014年の第47回衆議院議員総選挙では滋賀2区で再び上野に敗れたが、重複立候補していた比例近畿ブロックで復活して4選を果たし、2年ぶりに国政に復帰した。2015年1月の民主党代表選挙では、細野豪志の推薦人に名を連ねた[8]が、細野は決選投票で岡田克也に敗れた[9]。2017年10月3日に希望の党の公認申請について、第一次公認候補発表結果で希望の党の候補として滋賀2区から公認された[10]。投開票の結果、三たび上野に敗れ、比例復活も出来ずに落選[11]。 2018年10月17日に立憲民主党に入党した[12]。同年12月17日に同党公認で第25回参議院議員通常選挙に滋賀県選挙区より立候補を検討する意向を明らかにした[13]。その後候補者調整に応じ国民民主党が推す嘉田由紀子元滋賀県知事の支持を表明し、出馬の意向を取り下げた[14]。 2020年10月11日、立憲民主党と国民民主党の合流新党「立憲民主党」の滋賀県連が発足[15]。田島は代表に就任した[3]。 2021年10月31日、第49回衆議院議員総選挙では上野と一騎打ちとなったが敗れ、比例復活もならず落選[16][17]。 2022年2月19日、立憲民主党・国民民主党は同年夏の第26回参議院議員通常選挙滋賀県選挙区(改選数1)に田島を無所属の推薦候補として擁立することを発表した[18]。これに伴い同日付で立憲民主党を離党した[19]。同年7月の参院選・滋賀県選挙区には、無所属の田島のほか、自民党現職の小鑓隆史、日本共産党新人、参政党新人、NHK党新人の計5人が立候補。田島は次点で落選した[20]。 2025年1月17日、同年4月27日投開票の彦根市長選挙に無所属で立候補する意向を表明した[21]。 同年4月27日に行われた市長選挙で、現職の和田裕行を僅差で破り初当選を果たした[22]。 ※当日有権者数:89,077人 最終投票率:43.24%(前回比:
政策・主張憲法
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人物
所属団体・議員連盟
選挙歴
脚注
外部リンク
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