第40回読売新聞社杯全日本選抜競輪は、2025年2月21日~24日まで、豊橋競輪場にて行われた競輪のGI競走である。優勝賞金は4,190万円(副賞込み)[1]。
大阪・関西万博協賛 第40回読売新聞社杯全日本選抜競輪の名称で開催された。
決勝戦
競走成績
・各項目について
着 |
番 |
選手名 |
齢 |
府県 |
期別 |
班 |
着差 |
上り |
決ま り手 |
S/J H/B |
個人 状況 |
1 |
9 |
わ 脇本雄太 |
35 |
25.18福井 |
94 |
S |
|
11.7 |
差し |
|
|
2 |
7 |
て 寺崎浩平 |
31 |
25.18福井 |
117 |
1 |
1身1/2 |
12.0 |
捲り |
|
|
3 |
3 |
ふ 深谷知広 |
35 |
22静岡 |
96 |
1 |
3/4輪 |
12.0 |
|
|
|
3.5
|
4 |
2 |
よ 吉田拓矢 |
29 |
08茨城 |
107 |
1 |
1身 |
12.5 |
|
S |
|
5 |
6 |
む 村田雅一 |
40 |
28兵庫 |
90 |
2 |
3/4身 |
12.3 |
|
|
|
6 |
4 |
みb南修二 |
43 |
27大阪 |
88 |
1 |
3/4身 |
12.5 |
|
|
|
7 |
1 |
こ 古性優作 |
34 |
27大阪 |
100 |
S |
微差 |
12.6 |
|
|
|
8 |
8 |
みa三谷将太 |
39 |
29奈良 |
92 |
1 |
1/2身 |
12.0 |
|
|
|
9 |
5 |
ま 眞杉匠 |
26 |
09栃木 |
113 |
S |
大差 |
14.5 |
|
JHB |
|
配当金額
・各項目について
2枠複
|
|
ワイド
|
7=9
|
1,300円
|
(15)
|
3=9
|
380円
|
(4)
|
3=7
|
1,350円
|
(17)
|
|
2枠単
|
|
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2車複
|
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3連複
|
|
2車単
|
|
3連単
|
|
レース概略
近畿勢が6人勝ち上がったことで並びが注目されたが、古性は別線を選択したことで、寺崎 - 脇本の福井コンビに三谷が、古性 - 南の大阪コンビに村田が、それぞれつける形で3対3に分かれた。ほか、眞杉 - 吉田の栃茨関東ラインと、豊橋が元ホームバンクで単騎の深谷とで、レースは4分戦。3.4mの強風の中で行われた。
前受けの眞杉が突っ張って、残り2周で誘導が退避し、古性は3番手に収まる。後方では赤板2センターで深谷が9番手から内を突いて寺崎をどかし、すっぽり1車分空いていた6番手をキープした所で残り1周[7]。縦一本の隊列から、最終2角で7番手の寺崎がロング捲りを放ち、先行する眞杉[8]の番手から吉田も車間を切って発進。その後ろの古性は吉田に併せられ進まず[9]。眞杉以外の「8車凝縮」の状態で最後の直線を迎える[10]。
先頭を行く最内の吉田を、寺崎が30m線の手前でなんとか捉え切る[11]。しかし、少し離れながらの寺崎追走から外に持ち出していた脇本が、間もなく交わしてイエローライン沿いに勢い良く豪快にゴールイン[10]。15年前にGIIIを初制覇した地で、史上初の7冠'グランプリスラマーに輝いた。
2着には、寺崎が残った。寺崎は3大会連続のGI優出であったが前走・前々走はともに大差の9着であったことから車券は売れておらず、ラインで決着ながら2車単は4,010円と高配当となった。3着には、周回で脚を使いながらも[12]脇本を追って外を踏んだ深谷が入った。
![[icon]](//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/1/1c/Wiki_letter_w_cropped.svg/20px-Wiki_letter_w_cropped.svg.png) | この節の 加筆が望まれています。 (2025年2月) |
[13][14]
特記事項
- 今大会のキャッチフレーズは、「情熱の祭典 ビバ!! 豊橋けいりん」。開催のポスターは、前回豊橋で行われた2020年同様に地元豊橋市出身の漫画家佐野妙が作成した。
- 今開催は、多くのイベント・ファンサービスが組まれていた[15]。特に、最終日の24日には事前抽選制を実施して地元豊橋出身の松平健によるスペシャルライブショー[注 1]が行われた[16]。なお、松平は表彰式でのプレゼンターも担当[17][18]。
- 2日目のスタールビー賞の表彰式での花束贈呈は、元ガールズケイリン選手の鈴木咲香が務めた。なお、全日全レースともに勝利者インタビューがバンク内で行われたが、インタビューは決勝戦(閉会式)を除いていずれもフェンス手前、ほぼファンの目の前で行われた。
- シリーズ全体の目標額は103億円[20]であったが、シリーズ4日間全体の総売上は前年比1.4%増の105億677万4200円[21]で、目標額を上回った。なお、各日ごとの入場者数・売上額は、初日入場2,226人・売上22億1204万2400円[22]、2日目入場3,511人・売上21億7020万5000円[23]、3日目入場5,739人・売上25億3312万8200円[24]、最終日入場5,913人・売上35億9139万8600円[25]。また、全日本選抜競輪の売上が105億円を超えたのは2013年の第28回大会(松山)以来12年ぶりだった。
放送関係
競走データ
- 同年12月25日に出場選手(正選手108名・補欠8名)が決定となった[28]。
- 今回もナショナルチームの選手は、小原佑太(一次予選敗退)と山崎賢人(準決勝敗退)を除いて同チームでの活動を優先して欠場の扱いとなった[注 4]。
- 山崎芳仁が今大会で読売新聞社杯全日本選抜競輪連続20回出場を達成し、開会式にて表彰された[33]。
- 二次予選から12人全員が勝ち上がったことで、準決勝の3個レースすべて近畿勢が4人ずつの構成となった[34]。なお、決勝にはそのうち6人が進出した[35]。
- 山口富生が最終日第2レース(一般)で55歳1か月18日にて勝利し、自身が持つGI最年長出場記録と最年長勝利記録を更新した。これまでの記録は前年11月24日の競輪祭最終日で挙げた54歳10か月18日であったが、この日の勝利で92日更新した[37]。
脚注
注釈
- ^ 当初は2月4日に公表するまでシークレットゲスト扱いで、今回のチラシ等にも明記されていなかった。
- ^ 今回は通常の平日の放送時間と異なり、5分繰り上げての放送となった。
- ^ 当時は、S級1班。
- ^ この大会の期間中に、マレーシアで開催されたアジア自転車トラック選手権があり、それに出場した。
- ^ この時も地元から唯一の出場予定だった鈴木庸之が負傷欠場したため。なお、同大会には新潟支部所属としては菊池岳仁が唯一出場していた(ただし菊池の登録地は長野)。
- ^ 競技規則11条では、暴走について「打鐘開始前からスパートしたが、他の選手に追い抜かれ、先頭で決勝線に到達した選手より5秒以上離れて決勝線に到達したとき」と明記されている。今回、中釜は打鐘前から先行体制に入るも勝った寺崎浩平より相当遅れてゴールしたことから、暴走と判定された。
- ^ さらに中釜は11条失格したため、当年のKEIRINグランプリには仮に残りのGIを優勝するなどしても選考除外されるため出場不可となった。
出典
外部リンク