興宮町
興宮町(おきのみやちょう)は、東京都江戸川区北部の町名で「丁目」の設定はない。住居表示実施済み区域である。 地域隣接する地域は、北は上一色二丁目、東は新中川を挟んで対岸に南小岩五・六丁目、南は松本二丁目、西は本一色二・三丁目および上一色一丁目。 江戸川区北部に位置する。地区の東辺を新中川と接し、南辺を国道14号、西辺を東京都道318号環状七号線(環七通り)で画す。 地価住宅地の地価は、2025年(令和7年)1月1日の公示地価によれば、興宮町25-18の地点で32万4000円/m2となっている[5]。 歴史江戸時代は葛飾郡興宮村。1889年(明治22年)鹿本村の大字となる。1932年(昭和7年)より江戸川区興宮町。1966年(昭和41年)住居表示実施により一部が南小岩・東松本となる。1986年(昭和61年)一部が本一色3丁目・松本2丁目となり、同時に本一色町の一部をあわせた残りの町域で住居表示を実施し現行の「興宮町」となった。 地名の由来興宮神社に由来した旧来の「興宮村」に由来。神社が海に面しており、「沖の宮」と呼ばれたことが由来とされる。「興之宮」「興野宮」とも表記し、更に「興」の代わりに「奥」が混同して使用されることもあった。 世帯数と人口2025年(令和7年)1月1日現在(江戸川区発表)の世帯数と人口は以下の通りである[1]。 人口の変遷国勢調査による人口の推移。
世帯数の変遷国勢調査による世帯数の推移。
学区区立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる[12]。なお、江戸川区では学校選択制度を導入しており、区内全域から選択することが可能。[13]。
事業所2021年(令和3年)現在の経済センサス調査による事業所数と従業員数は以下の通りである[14]。
事業者数の変遷経済センサスによる事業所数の推移。
従業員数の変遷経済センサスによる従業員数の推移。
交通公共交通興宮町の町域内に鉄道駅は存在しない。さらに同地区の全域が至近の駅から1km以上離れた鉄道空白地帯に当たり、地域住民の鉄道交通機関の利用に困難を来たすことがある。以下に最寄駅を挙げる。
実験で一時的に本一色や上一色、興宮を通り小岩駅を終点であり、始発点とする周回バスがでている。 道路・橋梁
施設
史跡
その他日本郵便関連項目脚注
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