舞鶴赤十字病院
舞鶴赤十字病院(まいづるせきじゅうじびょういん)は、京都府舞鶴市にある医療機関。日本赤十字社京都府支部が運営する病院である。 特徴舞鶴市、綾部市北部、宮津市南部および福井県嶺南西部からの来院者が多い。立地環境から医療圏が比較的広く、外来主導型の病院である。 眼科、整形外科の受診者が多い。 京都府立医科大学医局の関連病院として医師派遣が行われているが、新臨床研修医制度が始まった平成16年以降は京都第一、京都第二赤十字、京都大学医学部からの医師増援も行われている。 大規模災害時は全国の赤十字病院と連携して救護隊の派遣を行っており、阪神淡路大震災、東日本大震災、熊本地震などの大地震救護の他、台風などの水害救援にも救護隊の派遣を積極的に行っている。 概要戦時中の1943年(昭和18年)に舞鶴市と東舞鶴市が合併して現在の舞鶴市が誕生したが、城下町として発展した西地区と軍港都市として急速に発展した東地区とは都市の性質が異なり、また両市街地が五老ヶ岳で隔てられている地理的要因も相俟って終戦後西地区を中心に合併解消の住民運動が発生した。また、国立舞鶴病院(現舞鶴医療センター)、舞鶴共済病院はすでに旧東舞鶴市街に設立されていたが、終戦後昭和22年に設立された舞鶴市民病院までもが旧東舞鶴市中心部に立地することとなったため医療サービスが偏在することになり、西地区にも誘致を希望する市民の声が強く上がりはじめた。そうした背景もあり、1950年(昭和25年)には旧舞鶴市側(西側)の申し入れで舞鶴市再分離の住民投票が行われた。住民投票では市民の過半数の賛成があったものの、決定権を持つ京都府議会で否決されたため、結局市の再分離は実現しなかった。しかし、西地区住民から医療施設偏在解消を求める声は根強く、これに応える形で旧海軍工廠の建物を改修整備して昭和28年6月に一般病床90床に内科、外科および放射線科の3科で舞鶴赤十字病院が発足した。 2014年(平成26年)に竣工した東館には京都府北部地域最大のリハビリテーションセンターがある。また東館2階部分に東舞鶴より移転した舞鶴市民病院との連絡通路が設けられており、転院患者および両施設の職員の往来が可能となっている。1階部分には京都府緊急時放射線検査施設がある。 一般 100床 地域包括ケア病床 50床 回復期リハビリテーション病床 48床 (2020年4月現在) 沿革
診療科・部門
医療機関の指定等(下表の出典[1])
院内設備・収容施設
交通アクセス近隣施設
脚注
関連項目外部リンク |
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