秋田赤十字病院
秋田赤十字病院(あきたせきじゅうじびょういん)は、秋田県秋田市に所在する医療機関である。日本赤十字社秋田県支部が運営する。救命救急センター[2]、総合周産期母子医療センター[2]、災害拠点病院[2]などの機能を有する。 沿革かつて旧佐竹藩時代に兵具庫が並んでいた、旭川沿いに現在も残る「鷹の松」付近の場所に大正3年7月1日、東北以北では初の赤十字病院となる「日本赤十字社秋田支部病院」が開院。設計は辰野金吾が担当し、敷地面積約7200坪の敷地にベランダ付き木造2階建ての洋風建築として作られた。初代院長は京都大学出身の山内半作で、山内は特に秋田の外科部門の草創に大きく貢献することとなった。 その後、1939年に県立秋田中学校跡地(現在の中通小学校付近)に秋田支部病院として移築し4年後に秋田赤十字病院と改称。1968年に中通に三代目となる赤十字病院が建設された。1974年に道路を挟んで秋田県交通災害センターが開院すると、赤十字病院が運営を担当。両院を渡り廊下で結ぶ様式となり、長らく秋田駅前地区(ひいては秋田県内全体)の中心病院的役割を果たすようになった。 その後平成になって施設の老朽化と駅前街区の再開発計画の浮上、さらに旧市内地域には赤十字病院・災害センターに加えて市立秋田総合病院や秋田県成人病医療センター・脳研や中通総合病院など多くの大型病院を抱えオーバー状態だったこと、加えて秋田市東部から南部にかけての地域に於いて病院過疎という事情を抱えていたことから、1998年7月1日に現在の上北手に移転した。 先行して、併設されていた秋田赤十字看護専門学校を現病院の隣接地に短期大学として移転・改組し、日本赤十字秋田短期大学(現・日本赤十字東北看護大学介護福祉短期大学部)とした。2009年、看護学科のみを再度改組し、現短大と同居する形で日本赤十字秋田看護大学(現・日本赤十字東北看護大学)が開学した。 年表
医療機関の指定等
その他
その他院内施設近隣施設等交通アクセス
脚注出典関連項目
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