芦川いづみ
芦川 いづみ(あしかわ いづみ、1935年10月6日 - )は日本の元女優。本名:伊藤 幸子(旧姓:芦川)。日活の黄金期を代表する女優として知られる[1]。 来歴![]() 東京市北区滝野川田端町で生まれる[2]。1952年に法政大学潤光女子高校を中退し[3]、松竹歌劇団付属松竹音楽舞踊学校に入学する[2]。同期に野添ひとみ、山鳩くるみらがいた[3]。このとき芸名を「芦川いづみ」とする[3]。 1953年にファッション・ショー出演中に松竹の川島雄三監督に認められ[3]、川島監督の『東京マダムと大阪夫人』でデビューする[2]。1955年に川島監督の推薦で[3]、松竹歌劇団を退団して日活に入社する[2]。市川崑監督の『青春怪談』で日活映画に初出演する[3]。 『幕末太陽傳』など川島監督の作品をはじめ[3]様々な役に挑み、松竹から移籍した北原三枝とともに日活を代表する女優となった[3]。浅丘ルリ子、吉永小百合、中原早苗、笹森礼子と合わせて「パールライン」と愛称された[4][5]。 1956年に田坂具隆監督の『乳母車』で石原裕次郎と初共演して[3]爽やかな演技で人気を確かにすると[3]、北原とともに裕次郎映画のヒロインとして欠かせない存在となり[3]、北原の引退後も裕次郎の相手役として活躍した[3]。浅丘ルリ子にそのポジションを譲ってからも、日活を代表する女優として活躍した[3]。1958年の『美しい庵主さん』で、尼僧を演じるために坊主頭となった[6]。1961年に映画『激流に生きる男』製作中、共演者の赤木圭一郎が他界して製作が中止された[7]。1962年の『硝子のジョニー 野獣のように見えて』で、これまで演じたことがない「男たちを魅了してやまない流浪の女[3]」を演じて新たな魅力を見せた。 1968年に藤竜也と結婚して[2]映画『孤島の太陽』が引退作となった[2][3]。以後は映画やテレビなどに女優としては出演していない[8]。 2007年11月17日に京王プラザホテルで開催された日活出身の俳優で構成する「俳優倶楽部」とスタッフらで構成する「旧友会」の合同パーティーに、渡哲也・浅丘ルリ子・宍戸錠・川地民夫・沢本忠雄・鈴木清順・井上梅次・齋藤武市・舛田利雄らと共に出席して、久々に公の場に姿を見せた。2009年に石原裕次郎の二十三回忌、と南田洋子の死去に際してスポーツ新聞にコメントを寄せる。2018年にデビュー65周年企画として出演した10作品のDVD販売にあたり、DVDで音声解説した[1]。 エピソード
出演歴映画![]() ![]() ![]() ![]() ![]()
テレビドラマ
バラエティー番組
CM文献注釈
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