1954年スペイングランプリ
1954年スペイングランプリ (1954 Spanish Grand Prix) は、1954年のF1世界選手権第9戦(最終戦)として、1954年10月24日にペドラルベス・サーキットで開催された。 レースは80周で行われ、フェラーリのマイク・ホーソーンが優勝、マセラティのルイジ・ムッソが2位、メルセデスのファン・マヌエル・ファンジオが3位となった。 レース概要ランチアの新車D50(90度V型8気筒)がようやく姿を現した。アルベルト・アスカリは予選でポールポジションを獲得し、初戦から速さを見せつける。決勝でもアスカリが3周目にトップに立ち、次第にリードを広げていきファステストラップもマークする。しかし、10周目にクラッチが壊れてリタイアとなった。代わってトップに立ったのはマセラティのハリー・シェル。これにフェラーリのモーリス・トランティニアンとマイク・ホーソーン、スターリング・モス(マセラティ)、ファン・マヌエル・ファンジオ(メルセデス)が順位を入れ替えながら続く。シェルはチームの指示により、ハーフタンクで先行して他車のペースを撹乱させる作戦であったがリタイアとなる。モスは燃料ポンプの不調により順位を落とし、トランティニアンもエンジントラブル、ファンジオ以外のメルセデス2台もオーバーヒートで脱落する。その後はホーソーンがトップをひた走り、ファンジオが差を縮めていったが、ファンジオのマシンから白煙が吐き始めペースを落としていき、マセラティの若手2人(セルジオ・マントヴァーニとルイジ・ムッソ)に迫られていく。マントヴァーニはリタイアとなったが、ムッソがファンジオを抜き2位の座を奪った。ホーソーンは2勝目を挙げ、足回りに改良を受けたフェラーリ・553(スクアーロ)は初勝利となった[1]。 翌年はル・マン24時間レースの大事故によりスペインGPはキャンセルされ、ペドラルベス・サーキットでF1が開催されるのも当レースで最後となった。以後スペインGPは1966年まで開催されず、1967年にハラマ・サーキットで非選手権として再開、翌1968年に同地で選手権の一戦に復帰した。 エントリーリスト
結果予選
決勝
注記
ランキング→ドライバーズ・チャンピオンシップの詳細については「1954年のF1世界選手権 § 1954年のドライバーズランキング」を参照
脚注
参照文献
外部リンク
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