1974年モナコグランプリ座標: 北緯43度44分4.74秒 東経7度25分16.8秒 / 北緯43.7346500度 東経7.421333度
1974年モナコグランプリ(英: 1974 Monaco Grand Prix、正式名称: XXXII Grand Prix de Monaco)は、1974年のF1世界選手権の第6戦として、1974年5月26日にモンテカルロ市街地コースで開催された。 概要レースは78周で行われ、ロータスのロニー・ピーターソンが3番手スタートから優勝した。ティレルのジョディー・シェクターが2位、シャドウのジャン=ピエール・ジャリエが3位となった。 エントリー2週間前に開催された前戦ベルギーGPにおいてエントリーが殺到した[注 1]ため[W 4]、主催者であるモナコ自動車クラブ (Automobile Club de Monaco, ACM) のミシェル・ボエリ会長は、エントリー台数を27台に制限した。そのため、リンカー、トークン、スクーデリア・フィノット、AAWの各チームは欠場し、ウィリアムズ(イソ・マールボロ)はアルトゥーロ・メルツァリオ1台のみエントリーした。一方、前戦ベルギーGPを欠場したクリス・エイモン(エイモン)が復帰した[W 5]。また、イギリスでF1参戦開始の準備を着々と進めていた日本のマキ[2]はハウデン・ガンレイをエントリーしたが参加しなかった[W 5]。 ロータスは新車76のパフォーマンスがあまりにも低かったため、コーリン・チャップマンは旧型の72E[注 2]に戻す決断を下した[W 5]。モナコには2台の72Eとスペアカーの76を1台持ち込んだ[3]。 エントリーリスト
予選(特記のない出典:[5]) プラクティスは木曜日の午後から土曜日までの3日間行われたが、本当の意味でのタイムアタックは金曜日の早朝5時から始まった。 金曜の時点でのトップタイムはニキ・ラウダの1分26秒3で、ロータス・76の不振により古い72Eに戻したロニー・ピーターソンが0.5秒差で続く。この日注目を浴びたのはティレルのジョディー・シェクターで、モンテカルロ市街地コースを走った経験はほとんどないにもかかわらず、同コースでの走行経験が豊富なチームメイトのパトリック・デパイユと同タイムの1分27秒1を叩き出した。 最終日の土曜日、ラウダは1分26秒8で自己ベストを更新できなかったがポールポジションを獲得し、チームメイトのクレイ・レガツォーニが1分26秒6に縮めて2番手を獲得し、フェラーリがフロントローを独占した。 予選結果
決勝(特記のない出典:[7]) フォーメーションラップ中にトラブルが発生したため、2台が出走を見合わせた。ヨッヘン・マスはホイールシャフトが破損し、プラクティスからトラブルが頻発していたクリス・エイモンはディストリビューターにトラブルが発生した[W 7]。 パトリック・デパイユは決勝前のウォームアップでティレル・007が燃料漏れを起こしてしまい、修理する時間がなかったためスペアカーのティレル・006に乗り換えた。しかし、所定の4番グリッドに着くには間に合わず、ピットレーンからのスタート(最後尾スタート)を余儀なくされた。カルロス・ロイテマンはギアボックスに問題が発生したが、修理が間に合い所定のグリッドからスタートすることができた。 ロニー・ピーターソンが好スタートを決め、フロントローを独占したフェラーリ勢をかわして首位に立った。クレイ・レガツォーニ、ニキ・ラウダのフェラーリ勢が2-3位に後退し、ジャン=ピエール・ジャリエが続く。 レースは序盤からアクシデントが続き、サバイバルレースの様相を呈した。まず、スタート直後に後方グループで多重クラッシュが発生する。ジャン=ピエール・ベルトワーズとデニス・ハルムのタイヤが接触した影響により両者リタイアとなる。この直後を走っていたエマーソン・フィッティパルディは間一髪で横をすり抜けてアクシデントを回避したが、その後方を走る5台がアクシデントに巻き込まれ、一斉にリタイアとなった。 1周目の終わりにはレガツォーニが首位に立ち、ラウダが2番手とフェラーリ勢が1-2位の座を取り戻す。好スタートを決めたピーターソンはジャリエにも抜かれて4位に後退したが、3周目にはジャリエを抜き返した。その後方ではマイク・ヘイルウッドがジェームス・ハントとハンス=ヨアヒム・スタックを抜き去り、スタックもハントに仕掛けるも両者は接触。スタックのマシンはミラボーからカジノスクエアまで吹っ飛んでクラッシュし、そのままリアイアとなった。 6周目にピーターソンがヘアピンを抜けたコーナーでスピンを喫した。直後を走っていたジャリエは接触を免れたが、コースに復帰するためにバックしていたピーターソンのリアタイヤにロイテマンのフロントタイヤが接触してしまう。ピーターソンはノーダメージだったが、ロイテマンはアップライトを壊してリタイアとなった。 レース中盤まで続いたフェラーリ勢の1-2体制はレガツォーニがピット直前でスピンを喫して5位に後退したことで崩れ去り、スピンで一時6位まで順位を落としていたピーターソン[8]が26周目にジャリエを抜いて2位に浮上する。32周目、首位を独走していたラウダのエンジンが異音を発し始めて速度を落としてストップした。これでピーターソンは首位に返り咲いた。 ロータス・72Eは登場から5年目を迎えたが、その歳月を感じさせない力強い走りでピーターソンはそのまま首位を独走し、2位のジョディー・シェクターに30秒近い大差を付けて今シーズン初勝利を挙げた。シェクターは自己最高位を更新する2位[W 5]、ジャリエはレガツォーニやフィッティパルディを抑えて3位となり、F1キャリア初の表彰台[W 5]を獲得した。ジョン・ワトソンは6位に入賞し、F1初のポイントを獲得した[W 5]。 レース結果
主な記録ドライバー
コンストラクターエンジン第6戦終了時点のランキング
脚注注釈
出典
参照文献
外部リンク
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