1978年のF1世界選手権においてドライバーズタイトルを獲得したマリオ・アンドレッティ
1978年のF1世界選手権(1978ねんのエフワンせかいせんしゅけん)は、FIAフォーミュラ1世界選手権の第29回大会である。1978年1月15日にアルゼンチンで開幕し、10月8日にカナダで開催される最終戦まで、全16戦で争われた。
シーズン概要
ロータスのマリオ・アンドレッティとロニー・ピーターソンが8勝・11ポールポジションとシーズンを席巻。シーズン中に本格的なグラウンドエフェクト構造を持ったマシンのロータス・79が登場した。アンドレッティは自身唯一のチャンピオンを獲得したが、ピーターソンがイタリアGPのスタート直後のクラッシュに巻き込まれ、後日死亡した(このときは79をクラッシュさせて使えなかったため、旧車78を使用していた)。
フェラーリはミシュランタイヤにスイッチし、カルロス・ロイテマンが4勝。ジル・ヴィルヌーヴも地元カナダGPで初優勝した。
前年度王者ニキ・ラウダが移籍したブラバムはスウェーデンGPで奇抜なファン・カーBT46Bを登場させ優勝したが、その後使用禁止となった。
この年デビューした有力ドライバーはネルソン・ピケ、ディディエ・ピローニ、ルネ・アルヌー、ケケ・ロズベルグ、エディ・チーバー。
チームでは旧チームが買収されウォルター・ウルフ・レーシングとなりチームを追われていたフランク・ウィリアムズが新生ウィリアムズを立ち上げコンストラクターとして参戦を開始。シャドウからの独立メンバーがアロウズを設立。資金難に悩まされたサーティースはこの年をもってF1撤退。新興セオドールは他チームからシャーシを購入するなどして参戦を続けたが、結局スポンサーとしての活動に戻る。セオドールが復活するのは1981年である。
開催地及び勝者
エントリーリスト
エントラント名変更
- サーティースのNo.18は、第13戦まで「デュレックス・チーム・サーティース」で、第14戦以降は「チーム・サーティース」。
- サーティースのNo.19は、第14戦まで「ベータ・チーム・サーティース」で、第15戦以降は「チーム・サーティース」。
- エンサインのNo.23は、第1,2,15戦は「チーム・ティソット・エンサイン」、第10戦は「マリオ・デリオッティ・レーシング」、第11-14戦は「ザックス・レーシング」。
- セオドールは、第3戦以降「セオドール・レーシング・香港」。
ドライバー変更
- ATSのNo.9は、第14戦以降はブレークモレンがドライブ。
- ATSのNo.10は、第1-5,11戦はジャリエが、第6,7戦はコロンボが、第8-10,15,16戦はロズベルグが、第12戦はビンダーが、第13戦はブリークモレンが、第14戦はアーテルがドライブ。
- サーティースのNo.18は、第14戦はジマックスが、第15戦以降はアルヌーがドライブ。
- サーティースのNo.19は、第15戦以降ガビアーニがドライブ。
- エンサインのNo.22は、第3,4戦はレオーニが、第5-8戦はイクスが、第9-10,12-16戦はデイリーが、第11戦はピケがドライブ。
- エンサインのNo.23は、第1,2戦はレオーニが、第10戦リースが、第11-14戦はアーテルが、第15戦はランガーがドライブ。
- ヘスケスのNo.24は、第3戦はチーバーが、第4戦以降はデイリーがドライブ。
- セオドールのNo.32は、第3戦以降ロズベルグがドライブ。
エンジン変更
タイヤ変更
スポット参戦
- エンサインのNo.23は第1,2,10-15戦のみ出走。
- ヘスケスのNo.24は、第6戦まで出走。
- マクラーレンのNo.28は、第7戦のみ出走。
- マクラーレンのNo.29は、第12-14戦のみ出走。
- マクラーレンのNo.30は、第14戦まで出走。
- マルティニのNo.31は、第3,5,6,9,11-13戦のみ出走。
- セオドール,ウルフのNo.32は、第6戦まではセオドールTR1で、第7-10,15,16戦は欠場、第11-14戦はウルフWR3,4で出走。
- マクラーレンのNo.33は、第6,9,10,13,14戦のみ出走。
- メルツァリオのNo.38は、第14戦のみ出走。
- ロータスのNo.55は、第15戦以降出走。
- ブラバムのNo.66は、第16戦のみ出走。
1978年のドライバーズランキング
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色 |
結果
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金色 |
勝者
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銀色 |
2位
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銅色 |
3位
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緑 |
ポイント獲得
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青
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完走
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† 完走扱い(全周回数の90%以上走行)
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規定周回数不足(NC)
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紫 |
リタイア(Ret)
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赤
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予選不通過(DNQ)
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予備予選不通過(DNPQ)
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黒 |
失格(DSQ)
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白
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スタートせず(DNS)
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レース中止(C)
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水色
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プラクティスのみ(PO)
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金曜日テストドライバー(TD) 2003年以降
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空欄
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プラクティス出走せず(DNP)
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除外 (EX)
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到着せず (DNA)
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欠場 (WD)
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ドライバーズポイントは1位から順に6位まで 9-6-4-3-2-1 が与えられた。前半8戦の内ベスト7戦および後半8戦の内ベスト7戦がポイントランキングに数えられた[1]。
1978年のコンストラクターズランキング
コンストラクターズポイントは1位から順に6位まで、各コンストラクター最上位の車両に 9-6-4-3-2-1 が与えられた。前半8戦の内ベスト7戦および後半8戦の内ベスト7戦がポイントランキングに数えられた[3]。太字はカウントされたポイント
ノンタイトル戦結果
参照
- ^ Mike Kettlewell, The Champion Book of World Championship Facts & Figures, 1982, Page 34
- ^ Automobile Year, 1978/79, Page 236
- ^ Mike Kettlewell, The Champion Book of World Championship Facts & Figures, 1982, Page 40
外部リンク
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