1980年モスクワオリンピックの日本選手団
1980年モスクワオリンピックの日本選手団(1980ねんモスクワオリンピックのにほんせんしゅだん)は、1980年7月19日から8月3日まで開催された1980年モスクワオリンピックの日本代表選手団。選手所属は1980年当時のもの。 概要日本オリンピック委員会 (JOC) は、1980年のモスクワオリンピックに参加するために、準備を進めてきた。しかし、開催国ソビエト連邦のアフガニスタン侵攻を受け、西側各国が不参加を表明する中、5月24日にJOCは、最終的に大会不参加を決定し、6月11日に、以下の選手・役員を承認した。 日本オリンピアンズ協会では、日本代表でありながら実際のモスクワ五輪出場選手でない彼らもオリンピアンと認めているが、世界オリンピアンズ協会からはオリンピアンと認定されていない[1]。 モスクワオリンピックの開会式における各国選手の入場行進はロシア語のアルファベット順で行われたが、「日本」のロシア語表記「Япония」は当時のIOC加盟国の中で最も後に位置する表記であり、参加していればオリンピック史上初めて日本が開催国(慣例上、開催国は最後に入場する)の1つ前に行進する予定だった[2]。しかし上記の理由で不参加となり、結局開催国ソ連の1つ前を行進したのはジャマイカ(Ямайка)だった。 競技別選手、スタッフ名簿陸上競技→「陸上競技日本代表」も参照
監督:小掛照二
水泳監督:浜口喜博
ボートボクシングバレーボール
体操監督:太田昌秀 レスリング
ヨット
ウエイトリフティング
ハンドボール
自転車競技フェンシング
柔道ライフル射撃近代五種競技カヌーアーチェリークレー射撃監督:井口哲次郎 馬術馬術については、役員1名、選手7名の計8名がJOCから与えられた枠であったが、最終選考は行われなかった。 選手団本部役員団長をはじめとする本部役員、スタッフ18名はJOCから発表されなかった。 脚注
参考文献
関連項目 |
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