1983年の中日ドラゴンズ(1983ねんのちゅうにちドラゴンズ)では、1983年の中日ドラゴンズにおける動向をまとめる。
この年の中日ドラゴンズは、近藤貞雄監督の3年目のシーズンである。
概要
前年リーグ優勝を果たし、2年連続の優勝と日本一奪回が期待されたシーズンであったが、開幕から波に乗れず、5月には正捕手中尾孝義の戦線離脱なども響き最下位に転落するなど苦しい戦いが続いた[2]。6月以降は持ち直してAクラス争いに加わったものの、勝負所の10月に失速し、10月3日から15日にかけて8連敗を喫した[3]。最終的に首位の巨人に17ゲーム差をつけられ、前年の優勝から一転して5位に終わった[2]。投手陣は、郭源治がチーム最多の11勝を挙げ、小松辰雄も9勝を記録したが、前年に引退した星野仙一の穴は大きく、チーム防御率はリーグ3位の4.11であった[4]。打撃陣では大島康徳が自身初の本塁打王、田尾安志が2年連続の最多安打を獲得する活躍を見せた[5]。しかし、チーム全体では攻守に精彩を欠き、特に守備面ではリーグワーストの121失策を記録し、安定感を欠いた[6]。巨人には9勝16敗1分と大きく負け越したことが、優勝争いから脱落する一因となった[2]。シーズンの全日程を終えた翌日の10月24日、近藤監督は成績不振の責任を取り辞任した[7]。
レギュラーシーズン
1983年セントラル・リーグ順位変動
順位
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4月終了時
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5月終了時
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6月終了時
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7月終了時
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8月終了時
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9月終了時
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最終成績
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1位
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巨人 |
--
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巨人 |
--
|
巨人 |
--
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広島 |
--
|
巨人 |
--
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巨人 |
--
|
巨人 |
--
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2位
|
阪神 |
3.5
|
広島 |
8.0
|
広島 |
5.0
|
巨人 |
0.5
|
広島 |
6.0
|
広島 |
7.5
|
広島 |
6.0
|
3位
|
中日 |
5.0
|
阪神 |
12.5
|
ヤクルト |
12.5
|
ヤクルト |
11.5
|
中日 |
12.5
|
大洋 |
15.0
|
大洋 |
11.0
|
4位
|
広島 |
5.5
|
ヤクルト |
13.0
|
中日 |
14.0
|
大洋 |
12.5
|
大洋 |
13.0
|
中日
|
阪神 |
11.5
|
5位
|
ヤクルト
|
大洋 |
16.0
|
大洋 |
14.0
|
阪神
|
阪神 |
14.0
|
阪神 |
15.5
|
中日 |
18.5
|
6位
|
大洋 |
7.5
|
中日 |
16.5
|
阪神 |
14.5
|
中日 |
14.0
|
ヤクルト |
14.5
|
ヤクルト |
19.0
|
ヤクルト |
19.0
|
[1]
オールスターゲーム1983
- 近藤貞雄
- 田尾安志
- 牛島和彦
- 谷沢健一
- 大島康徳
できごと
選手・スタッフ
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監督 | |
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一軍コーチ | |
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二軍監督・コーチ | |
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投手 | |
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捕手 | |
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内野手 | |
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外野手 | |
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[10]
表彰選手
ドラフト
脚注
注釈
- ^ 10勝7セーブを記録し、勝利とセーブの双方でチームに貢献した[9]
- ^ 山本浩二(広島東洋カープ)と同数での受賞[12]。また、大島の同年の94打点は自己最高記録であったが、打点王は103打点を記録した原辰徳(読売ジャイアンツ)が獲得した[11][12]。
- ^ 1976年に外野手部門で受賞しており、通算4度目。
出典
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1930年代 | |
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1940年代 | |
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1950年代 | |
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1960年代 | |
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1970年代 | |
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1980年代 | |
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1990年代 | |
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2000年代 | |
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2010年代 | |
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2020年代 | |
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1945年は戦況悪化のため、公式戦を休止。合同チームによる非公式戦のみ開催。 |