2000年のJリーグ ディビジョン1
この項目では、2000年シーズンのJリーグ ディビジョン1(J1)について述べる。 概要2部制となって2年目のJ1。 2000年シーズンのJ1のクラブ2000年シーズンのJ1のクラブは以下の通り。この内川崎フロンターレとFC東京が前シーズンJ2からの昇格クラブである。
レギュレーションの変更点レギュレーションに変更はない。 2000年シーズンのJ1のスケジュール3月11日に1stステージが開幕、5月27日に閉幕した。約1ヶ月の中断期間を経て6月24日に2ndステージが開幕し、11月26日に閉幕した(ともに全15節)。途中、シドニーオリンピックおよびAFCアジアカップ2000のため、8月19日の2ndステージ第10節から11月8日の同11節まで、2か月を超える中断期間がとられた。 リーグ概要1stステージでは、終盤にかけて横浜FMとC大阪の両チームがマッチレースの様相を見せ、第14節の直接対決でC大阪が横浜FMに勝利して首位に立つが、最終節C大阪はホームで川崎に敗れ、アウェーで市原に勝利した横浜FMが優勝。J2からの昇格組の2チームのうち、FC東京は1stステージで開幕から3連勝、2ndステージでも開幕5連勝するなどの快進撃を見せ「東京旋風」と呼ばれるなど話題を作る[1] 一方、川崎は選手・監督の大幅な入れ替えが裏目に出て、残留争いに巻き込まれるという対照的な結果になった。 2ndステージでは、前年からやや調子を落としていた鹿島が復調し、1stステージからの好調を維持する柏にG大阪を加えた三つどもえの様相となるが、終盤G大阪は第12節の柏との直接対決で敗れると以後勝利がなく(1分2敗)優勝争いから脱落。最終節で首位鹿島と2位柏の直接対決で雌雄を決することとなった。国立競技場(鹿島ホーム)で行われた試合は5万を超える観衆を集め、スコアレスドローで鹿島が優勝を手にした。下位では市原が失速し、残留争いに関わることになったが、結局1stステージの後れを取り戻せなかった川崎と京都が降格することとなった。 1stステージと2ndステージで大きく順位が入れ替わった結果、年間の最多勝ち点は1stステージ4位・2ndステージ2位の柏、2番目は1stステージ5位・2ndステージ3位の磐田となったが、レギュレーションにより年間成績はステージ優勝の横浜FM・鹿島に次ぐ3位・4位に留まった。年間勝ち点1位のクラブがリーグ優勝を逃した例はこれまで多数あったが、チャンピオンシップへの出場も逃したのはこれが史上初のケースであった。このことがのちにチャンピオンシップの存廃にかかわる問題、更には2015年から導入されたポストシーズンのレギュレーション検討にも影響を及ぼすことになる(当該項参照)。 なお、FC東京は東京スタジアムが建設中の段階であったので、登録上の本拠地は駒沢オリンピック公園陸上競技場とした上で、国立競技場を主たる本拠とした(駒沢はキャパシティーはJ1規定を満たすが、ナイター設備がないため。前年J2在籍中に使用した国立西が丘サッカー場と江戸川区陸上競技場はいずれもJ1開催スペックに適合しないためJリーグナビスコカップでの使用に留めた)。 順位表
年間総合順位上位2チームの順位はJリーグチャンピオンシップの結果により確定する。
最終更新は2000年11月26日の試合終了時 チャンピオンシップJリーグチャンピオンシップ(J1リーグ)についてはサントリーが冠スポンサーとなり、サントリー・チャンピオンシップの名称で開催された。 ホーム・アンド・アウェーの2回戦制(1stステージの勝者が第1戦ホーム)で争われる。この年から決着方法が変更になり、第一戦の延長戦が廃止され、2試合の合計ゴールが同じなら第二戦の後にVゴール方式の延長戦→PK戦により勝敗を決定することとなった。 2試合合計3-0で、鹿島アントラーズが2年ぶり3度目の優勝を飾った[2]。
得点ランキング
出典
|
Portal di Ensiklopedia Dunia