ATS・HS1
ATS・HS1は、ATSチームが1978年のF1世界選手権用に製作したフォーミュラ1カー。デザイナーはロビン・ハードとジョン・ジェントリー。 開発の背景ATSは1969年に設立された自動車用品メーカーで、主に鋳造ホイールを製造していた。1970年代初めに共同オーナーのギュンター・シュミット主導の下、モータースポーツイベントのスポンサーを始める。1975年にはフィンランド人ドライバーのミッコ・コザロウィッツキーと共にフォーミュラ・ヴィーに参戦する。翌年にATSホイールはコザロウィッツキー、ラインホルト・ヨーストと共にフォーミュラ2に参入したが、成功はできなかった。1977年の初めにATSはチーム・ペンスキーの機材を購入した。ATSレーシングチームとしてF1に参戦、ペンスキー・PC4をジャン=ピエール・ジャリエがドライブし、初レースのアメリカ西グランプリでポイントを獲得した。それとは別に、シーズンは「混沌」[1]としたものとなり、それ以上の結果を出すことはできなかった。1978年に入るとATSは、前年限りでF1を撤退したマーチ・エンジニアリングの機材を入手、チームの拠点をイギリスへ移動させ、旧マーチのスタッフと共にオリジナルの車両、ATS・HS1を開発した。この車両は独立デザイナーに設計を依頼した物であった[1]。HS1は何度か完走したものの、いずれもポイント圏外であった。HS1はシーズン終盤には新型のATS・D1に取って代わられた。 製造HS1のデザイナーはマーチ・エンジニアリング創設者の一人であるロビン・ハードとジョン・ジェントリーであった[2]。ある者はHS1を完全な再設計と信じたが[3]、別のソースによると、1976年にジェフ・フェリスが設計したペンスキー・PC4の再設計にすぎないともされ[4]、それは1975年のマーチ・751が起源とされた[5]。 HS1はアルミニウム製モノコックを持ち、PC4に比べてトレッドは前が1500mmから1422mm、後が1525mmから1473mmと縮小された[2]。これは、PC4とその前身のペンスキー・PC3のサスペンションに対応していた。PC4と比較するとより平たいフロントエンドとなり、エンジンカバーは小型の物を装着した。エンジンはフォード-コスワース DFVを搭載した。ギアボックスはヒューランドFG400、タイヤはグッドイヤーを装着した。 シャシーHS1は3台が製作された。シーズンの大半は1号車と2号車が使用され、3号車は2戦にのみ使用された[6]。それぞれのシャシーが使用されたグランプリは以下の通り。
F1における全成績
参照
|
Portal di Ensiklopedia Dunia