MAX (音楽グループ)
MAX(マックス)は、日本の4人組・女性ダンスグループ。メンバー全員が沖縄県出身。所属事務所はライジングプロダクション。所属レコードレーベルはSONIC GROOVE。2021年5月からはオンラインサロンによる公式ファンクラブ「J-MAX NEO」を開設。 概要1995年に結成された沖縄アクターズスクール出身のダンス・ボーカルグループ。「MAX」というグループ名は、「Musical(音楽的な)」「Active(活動的な)」「eXperience(経験、体験)」の頭文字をとったもので、現avex社長松浦勝人のニックネーム“マックス松浦”に由来する[2]。なお、グループ名の候補は他に「THE BOON(ザ・ブーン)」、「レディーマドンナ」、「ハーレムクイン」があったという[3]。 メンバー全員沖縄県及び沖縄アクターズスクール出身。"安室奈美恵 with SUPER MONKEY'S"からの派生ユニットとして、安室を除く4人で結成[4]。 →「SUPER MONKEY'S」を参照
現メンバーNANA以外はすべて沖縄県那覇市出身。
元メンバー
略歴
MINAの脱退 〜 復帰ヒット曲を連発し、第一線で活躍していたMAXであったが、2000年以降はCDの売り上げも下降線を辿りつつあった。その後2001年の12月24日にMinaを除く3人が所属事務所に呼ばれ、事務所スタッフと共にいたMinaから妊娠の事実を伝えられる。この時にMinaは妊娠3ヶ月であった。 この事実に対し、ほとんどの曲でリードヴォーカルを取っているMinaが脱退することは今後のMAXの状況では考えられる事態ではなく、「ここが踏ん張り所である」として頑張っていたメンバーの気持ちと、また今まで家族同然に過ごしてきたメンバーが、何より一番先に相談されたのがメンバーでなくスタッフであったことに対する「裏切られた」という怒りで、妊娠を喜ぶどころか、別の人生を選択しようとしているMinaを責めてしまう事態となった。その後一緒に仕事をしていても3対1の状態となり[4]、スタッフもメンバーに近づきにくい状況となってしまった。2002年に入っても今後の活動が白紙のまま、同年1月30日付のスポーツ新聞に妊娠の事実がスクープされてしまい、その日の夜に緊急記者会見を開いた。 その場では結婚、妊娠を報告するMinaに対し、残りのメンバー3人は実際は祝う気持ちなど全くなく、「何故私達3人も一緒に記者会見に出席しなければならないのか?」という気持ちを抱えたまま出席し、作り笑顔と社交辞令の言葉でその場を乗り切った[4]。また復帰の時期について聞かれたMinaも「まだ決めていない」と言いつつも、MAXに残る気持ちは全くなかった。2002年3月22日の『ミュージックステーション』の生放送を最後にMinaはMAXを去った。 3人となったMAXに、2002年7月新メンバーとなるAkiを紹介され加入を快諾、ライブで新メンバーとなるAkiを観客に紹介したが、一部の観客はこれに納得せず、メンバーがステージから退場する際に「美奈子」コールが起こる事態となった。更にライブに参加しなかった多くのファンにも反感を買う事態となってしまった。その後シングルの売上も2000枚まで落ち込む事態となり、「MinaがいないMAXを認めない」多くのファンがいる中の活動は非常に厳しいものとなった。その中で「辞めていった美奈子を見返してやりたい」という気持ちだけが唯一の支えとして、そんな厳しい状況でもなんとか活動を続けていた。 脱退後、Minaは地元沖縄に戻り専業主婦として生活をしていたが、脱退から5年後の2007年、「沖縄での芸能活動を行いたい」という気持ちを手紙にし、メンバー3人の両親に送った。この手紙に対しメンバー3人は「何故自分たちに手紙を送らないのか?」という気持ちであったが、Minaの抱えていた罪悪感はあまりにも大きくメンバーに自分の意志を伝えられる状況ではなかった。その後2007年1月にダンス講師として、沖縄のローカルテレビ番組に出演した。 その手紙を貰った後にMAXの沖縄でのライブが決定し、そのライブで沖縄に行く際に3人はMinaに連絡を取り、4人で会うこととなった。しかし5年の歳月はあまりにも長く、3人のメンバーでもわだかまりが完全に解けたわけではなかった。 1年後、2008年8月にAkiがMAXからソロ活動のため脱退することとなり、そこで3人はMinaにMAXに戻ってきてもらうことを決断、Minaに打診をした。Minaは家族に相談し了承を得、2008年10月にMAXに戻ることとなった。なお、LinaはMinaが戻ってくることは最後まで反対していたが、Mina復帰後最初のテレビ出演となったフジテレビ『情報プレゼンター とくダネ!』内のコーナーである「朝のヒットスタジオ」に出演した際に、「求めていたのは、この空気感だった」とわかり、Minaの復帰を了承した[22]。 ディスコグラフィ
シングル
アルバム
映像作品
配信限定
コンピレーションアルバム / トリビュートアルバム
MAX写真集
メンバー写真集
楽譜
その他
受賞歴
ライブ/ライブツアー
タイアップ一覧
出演グループでの出演のみ。個人出演の番組については各メンバーの項目を参照。 テレビバラエティ・音楽番組グループでのレギュラー出演など、主な活動のみ。
NHK紅白歌合戦出場歴
ドラマ映画
ラジオ番組
CM
インターネット配信脚注出典
外部リンク
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