白金台(しろかねだい)は、東京都港区の地名。現行行政地名は白金台一丁目から白金台五丁目。高輪地区総合支所管内に属する地域である。住居表示実施済区域。
概要
東京都港区の西南端に位置し、西部で渋谷区恵比寿・品川区上大崎・東五反田に隣接し、東部で高輪に、北部で白金にそれぞれ接する。目黒通りと外苑西通り・桜田通り(国道1号)沿いには商店・マンションが点在する。町内には、歴史的建造物が所在する明治学院がある。
武蔵野台地の東縁に所在する住宅地の一つであり、住宅地として好適な環境を持つ土地として知られてきたが、バブル景気後半頃より洒落たレストランやカフェ、ブティックが目立ち始め、それらに伴い高級マンションが建つようになり、近年は高所得の住民が増加している。いわゆる、高級住宅街として知られる。その一部の女性住民がマスコミにより「シロガネーゼ」[注釈 1][注釈 2]として取り上げられた。
俗に「しろがねだい」と読まれる場合があるが、町名の正しい読みは「しろかねだい」である。「白金 (東京都港区)#「白金」の読み」も参照。
歴史的には、白金御料地と呼ばれ、近世には高松藩松平家の下屋敷があった。明治期には日本初の大規模屠殺場が開かれ、陸軍の火薬庫が一時置かれ、後に皇室財産(旧朝香宮邸)となっている。
地価
住宅地の地価は、2025年(令和7年)1月1日の公示地価によれば、白金台2-13-2の地点で156万円/m2、白金台3-16-10の地点で470万円/m2、白金台4-16-4の地点で132万円/m2となっている[6]。
歴史
沿革
変遷
実施後
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実施年月日
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実施前(各町名ともその一部)
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白金台一丁目
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1969年1月1日
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芝白金台町一丁目、芝白金今里町
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白金台二丁目
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芝白金今里町、芝白金猿町、芝二本榎西町
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白金台三丁目
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芝白金台町一丁目、芝白金台町二丁目、芝白金今里町
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白金台四丁目
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芝白金台町一丁目、芝白金台町二丁目、芝白金三光町
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白金台五丁目
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芝白金台町二丁目、芝白金三光町
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世帯数と人口
2025年(令和7年)4月1日現在(港区発表)の世帯数と人口は以下の通りである[2]。
丁目 |
世帯数 |
人口
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白金台一丁目
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511世帯
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1,047人
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白金台二丁目
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1,602世帯
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2,955人
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白金台三丁目
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1,912世帯
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3,839人
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白金台四丁目
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1,168世帯
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2,090人
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白金台五丁目
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1,137世帯
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2,010人
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計
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6,330世帯
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11,941人
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人口の変遷
国勢調査による人口の推移。
世帯数の変遷
国勢調査による世帯数の推移。
学区
区立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる(2022年4月現在)[16]。
丁目 |
番地 |
小学校 |
中学校
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白金台一丁目 |
全域 |
港区立白金小学校 |
港区立高松中学校
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白金台二丁目 |
全域
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白金台三丁目 |
全域
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白金台四丁目 |
1〜5番 7〜19番
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6・20番 |
港区立白金の丘学園 |
港区立白金の丘学園
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白金台五丁目 |
1〜12番
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13〜25番 |
港区立白金小学校 |
港区立高松中学校
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事業所
2021年(令和3年)現在の経済センサス調査による事業所数と従業員数は以下の通りである[17]。
丁目 |
事業所数 |
従業員数
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白金台一丁目
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64事業所
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2,860人
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白金台二丁目
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138事業所
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1,031人
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白金台三丁目
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182事業所
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2,408人
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白金台四丁目
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125事業所
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1,737人
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白金台五丁目
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233事業所
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2,104人
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計
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742事業所
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10,140人
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事業者数の変遷
経済センサスによる事業所数の推移。
従業員数の変遷
経済センサスによる従業員数の推移。
施設・名所
白金台一丁目
-
明治学院大学
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八芳園(2018年3月30日撮影)
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スパ白金
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桑原坂
白金台二丁目
白金台三丁目
白金台四丁目
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旧国立公衆衛生院
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東京大学医科学研究所(2018年3月30日撮影)
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港区立白金台児童館(2018年3月30日撮影)
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エリトリア大使館などが入居する白金台STビル
白金台五丁目
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東京都庭園美術館正門
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ジンバブエ大使館
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台北駐日経済文化代表処
鉄道
道路
その他
日本郵便
ゆかりのある人物
脚注
注釈
- ^ 実際にはマスメディアがいうところの「シロガネーゼ」に当たるのはほんの一部の住民であった。しかしそのようにマスコミが仕掛け大々的に取り上げたこともあり、外苑西通りは別名プラチナ通りと呼ばれるようになり、通り沿いを中心にレストランやカフェ、ブティックなどが増え、次第に目黒通り沿いにも同様の光景が見受けられるようになった。その後、地価の急激な高騰と昨今の長期的不況により、店の入れ替わりがいっそう激しくなり、開店して1年も経たずに店が入れ替わるケースもある。
- ^ 旧白金台町は空襲の被害を受けなかったことや、長らく住宅街としての位置づけにあったこともあり、目黒通り周辺には近年まで戦前から残る家屋も並んでいた。しかし、地価の高騰や地下鉄開業、目黒通りの拡幅工事によって、地権者や建造物の入れ替わりが進み、他の東京の地区と同様にマンションやオフィスビルが多くを占めるようになっている。
出典
参考文献
- 人事興信所編『人事興信録 第25版 上』人事興信所、1969年。
- 『まち探訪ガイドブック』 2007年度版 港区発行
- 平井聖ほか 1979「白金長者屋敷」『日本城郭大系』第5巻(埼玉・東京)新人物往来社 pp.244-245
関連項目
外部リンク
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