お笑い頭の体操
『お笑い頭の体操』(おわらいあたまのたいそう)は、1968年2月3日から1975年12月27日までTBS系列局ほかで放送されていたTBS製作の大喜利番組である。ロート製薬の一社提供。全414回。放送時間は毎週土曜 19:30 - 20:00 (JST)。 概要毎回「創造力テスト」や「定義付けテスト」などのさまざまな「テスト」に解答者たちが挑戦するという内容。オープニングでは、解答者たちが穴の開いたパネルから顔を出し、各回のテーマに沿う小咄または司会の大橋巨泉との掛け合いをする「オープニングテスト」が行われていた。「名解答者」とされたメンバーにはテスト終了時に「ビッツラプレゼント」というご褒美が贈られ、5代目月の家円鏡(後の8代目橘家圓蔵)がそれをお題にしたなぞかけを毎週披露していた。 当初はTBS旧局舎内のスタジオで公開収録を行っていたが、後期には赤坂メディアビル内のTBSホールでの公開収録になった。スタジオセットや例題のイラストには、『ほのぼの君』で知られる佃公彦の作品が使われていた。番組タイトルは、当時話題となっていた多湖輝のベストセラー『頭の体操』からの借用。 当番組は、当初は白黒放送だったが、1970年1月3日放送回からカラー放送となっている。[1] 1998年12月30日に同系列局で放送された『テレビのちから』の「とっておき映像永久保存版 20世紀名番組ベスト200」によれば、最高視聴率は1971年4月3日放送分の30.9%と高い人気を誇っていたが、1975年ごろには裏番組だった『欽ちゃんのドンとやってみよう!』(フジテレビ、19:30 - 20:54)の人気上昇の影響で陰りが見えはじめ[2]、末期には視聴率も10%を保つのがやっと、一桁に下がることもしばしばとなっていた[2]。ロート製薬や電通サイドからてこ入れの話が出始めたころに巨泉が「てこ入れなら俺は辞める」「新番組を作ろう。新番組ならやる」と宣言したために番組は終了することになった。そして巨泉自身が企画して誕生した後番組が『クイズダービー』である。なお、巨泉は番組終了の理由として「番組には寿命が来ており、てこ入れを行ったとしても2 - 3年で打ち切られる。視聴率が取れるうちに、新番組をやるつもりだった」と後年回想している。 出演者司会解答者
その他の出演者
スタッフネット局
系列は放送当時のもの。
近畿地区でのネット状況について近畿広域圏(以下、近畿地区)では、ほとんどの期間においては朝日放送で放送し、当時朝日放送は土曜19:30枠で自社製作ドラマ『部長刑事』を放送していたため、同局では火曜 19:30 - 20:00 (TBSなどでは『進め!ドリフターズ』などが放送されていた時間帯、因みに朝日放送ではTBSの火曜19:30枠で放送されていたレギュラー番組はネットチェンジが実施するまで土曜18:00枠に4日遅れで放送されていた)に3日遅れでロート製薬の一社提供によるスポンサードネットで放送されていた。当時同系列局の火曜19:30枠にはトクホン(当時鈴木日本堂)がネットワークスポンサーに付いていたが、基幹局の自主制作番組・遅れネット番組のローカル編成や民放が2 - 3局しかない県の他系列番組ネットなどへの配慮により、同枠放送番組を時差ネットとすることでローカルセールス枠とすることが可能な、フルネットの対象から外された時間帯であった。 その後、朝日放送と1975年3月までNETテレビ系列だった毎日放送がネットチェンジ(いわゆる腸捻転の解消)したのに伴い、近畿地区では同年4月5日から毎日放送で放送されるようになり、同時にTBSとの同時ネットへ移行した。これによって放送曜日が全ネット局一律になったため、番組冒頭の巨泉の挨拶に「土曜日が来ました」と曜日が入るようになった(ネットチェンジ前までは、曜日を言わない「巨泉のお笑い頭の体操の時間がやって参りました」で始まっていた)。 なお、朝日放送はネットチェンジの際に、TBSにおける1975年3月22日放送分(朝日放送では同年3月25日に放送)をもってネットを打ち切ったため、同年3月29日放送分は近畿地区では未放送となった。また、因みに朝日放送は、ロート製薬一社提供番組に関しては、NETテレビ系列に移行して直後に放送されたNETテレビ製作の『お笑い他流試合』については木曜19:30枠にて同時ネットで放送された。 コミカライズ放送開始から1年後の1969年には、講談社マガジンブックスから本作コミカライズ版(原案:中富尚志 / 絵・構成:峯たろう)の単行本が発売された。全1巻。 脚注注釈
出典
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