それでもボクはやってない
『それでもボクはやってない』は、2007年1月20日に公開された日本映画[2][3]。 周防正行監督による、『Shall we ダンス?』以来11年ぶりの新作映画[4]。痴漢冤罪の訴えを題材に、日本の刑事裁判に疑問を投げかける社会派作品である[5][6][7]。 主人公による痴漢行為は冤罪か事実かどうかは作中で描かれないため、マスコミ試写の後に有罪か無罪かの判決投票が行われた[8]。 2007年8月には、第80回アカデミー国際長編映画賞に日本代表作品として出品された(結果は落選)。第31回日本アカデミー賞では優秀賞の1つに選出された[9]。 あらすじ
フリーターの金子徹平は、朝の通勤通学ラッシュで大混雑する電車で就職面接に向かっていた。電車から降りると、女子中学生から痴漢行為を咎められ、駅員室に連行された。無実を主張する金子は、示談で済ませるという妥協案を拒み、まもなくやってきた警官に逮捕・連行され、起訴された。 少女に事実確認することもできず、目撃者の女性とも話ができない中、刑事たちは彼の弁明を信じようとしない。焦燥感に駆られて心が折れかけた徹平だが、彼の無実を信じる家族や親友、元彼女らの運動で、元判事の荒川弁護士や市民団体の助力を得て、徹平は証拠を固めて裁判で真実を明らかにしようとする。目撃者の女性を探し出し証人尋問を行う、再現ビデオを製作するなどの努力も行った。 しかし、検察の立証が不十分と考えていた若手の担当裁判官である大森判事が突如異動となり、検察寄りの室山判事が担当裁判官となったことで、裁判の行方には暗雲が立ちこめ始める。さらに、自身の部屋にあった痴漢もののアダルトビデオを提示されるなど、ますます状況は不利な立場になっていく。 地方裁判所の第一審では、懲役3か月(執行猶予3年)の有罪判決が下される。無罪判決を期待していた徹平はこれを不服として控訴を宣言する。[2][4][注 1] キャスト主要人物
主人公の家族・知人
裁判官
検察弁護士警察その他
スタッフ
製作企画監督・脚本の周防正行は、2002年12月に朝日新聞で痴漢の罪に問われた人物が東京高裁で逆転無罪を勝ち取った記事を読んだ[13][14]。その記事には支援者や家族、本人の奮闘についても書かれており、日本の刑事裁判の有罪率の高さや、無罪を取るためには被告人側が無実を証明しなければいけない現状についても触れられていた[13]。周防が考えていた刑事裁判と現実の刑事裁判の違いを感じ、それを切っ掛けとして司法関係者への取材や刑事裁判の傍聴などを行い、裁判の現実を多くの人に知ってもらいたいと考え、映画制作を決意した[7][13][15][16][17]。刑事裁判のありかたを伝えたいと「つまらなくても作りたかった」という[11]。 脚本最初は司法のプロを前にして奮闘し、無罪を勝ち取った“素人”側の意見を聞きたいと思って取材を始めたが、取材を進めていくにつれ、新聞の記事にあったような日本の刑事裁判の現状が具体的に分かってきた[13][15]。支援者には申し訳ないという気持ちもあったが、彼らの頑張り以前に、日本の刑事司法の現状に怒りを感じたため、被害者側の奮闘を讃える映画にするよりは、刑事司法について自身が疑問に思っている事をぶつけたいと考えた[13][15]。つまり“怒り”がスタートだったという。ただ、それまで法律のことはあまり知識がなかっため、シナリオを書き上げるのに3年もかかった[4][13][15]。「この映画は“怒り”という“ダークサイド”の面から作った映画ですので『スター・ウォーズ』のように、ダークサイドに落ちていなければいいな、と思います」などと述べている[13]。またモデルになった人物からは「コメディにして笑いとばして下さいよ」と言われ、「そういうやり方もあるのかな」と考えたが、結局、「斜めから笑うよりは正面から堂々と立ち向かわないといけないな」と感じた。自身は映画監督として、今の日本の社会にこういった映画を作らされているんだと使命感を感じたことから、コメディ要素はほぼないシリアスドラマになった[13]。 周防は痴漢冤罪事件の取材に始まり、「痴漢えん罪被害者救済ネットワーク」[注 3]に関わっていた法学者に取材したり、全国痴漢冤罪弁護団会議に出席したり、各種勉強会にも出席し、元検察官の弁護士等にも取材した[11]。シナリオのチェックを弁護士に依頼し、誤りは全てカット[11]。裁判は200回以上傍聴[15][11]。東京地裁高裁にも通い、裁判官の物腰や言葉遣いも含めて公判もたくさん取材した[11]。最後の判決文は、裁判官にチェックしてもらいながら書き上げた[11]。取材した法曹は分からない程の数[11]。取材で得た疑問点を映画の中に片っ端から詰め込もうとしたが、なかなかまとまらず、そんな中で木谷明の書いた『刑事裁判の心』(法律文化社)を読み、感銘を受け、方向性が決まり、書き上げることができた[11]。映画完成後に木谷と対談させてもらったことから自身でも本を書いた[11]。刑事司法の中で最も強く問題を感じたのは証拠開示といい[11]、映画でもクローズアップされている。 タイトル題名がなかなか決まらず[15]、当時のヒット映画の題名は『セカチュー』とか『いま会い』とか短縮形が流行っていたため、『それボク』と言ってもらいたくて『それでもボクはやってない』と周防が考案した[15]。 キャスティング主人公の職業を実際とは違うフリーターにしたことで当てはまる役者のイメージが湧かなくなった[15]。20代の役者に片っ端から会ったが、なかなか決められず[15]。若く見える30代まで対象を広げたとき、加瀬亮に会ってピッタリだなと感じたという[15]。加瀬のキャラクターに合わせて脚本も変更し[15]、加瀬を中心に回りの役者もキャスティングした[15]。 制作会社の声明制作会社・アルタミラピクチャーズは、多くの女性が痴漢犯罪に傷つき苦しむ痴漢行為は憎むべき犯罪であり、また冤罪被害者も痴漢犯罪が生み出した被害であり、痴漢行為こそが撲滅されるべきと声明を出している[22]。 演出周防は“怒り”をスタートにはしたが「なるべく客観的な視点でいこう」という気持ちで「映画的にこうすれば面白いだろうな」という演出は一切しないで作ったという[13]。役者にも最初に「この映画の主役は“裁判”です」と伝えた[13]。自身が現実に見て感じた刑事裁判そのものをこの映画に込めようと思い、日本の刑事裁判について映画を観て考えてほしいと述べている[13]。主人公の職業をフリーターにしたのも家族のいるサラリーマンを主人公にしたら、家族の苦悩に時間を割かないといけなくなるため、裁判に集中するため、比較的しがらみの少ないフリーターにした[15]。『アラバマ物語』にオマージュを捧げているという[11]。 撮影金子徹平役の加瀬亮が『硫黄島からの手紙』の硫黄島ロケから帰ってすぐの撮影だったと話していることから[8]、同作の硫黄島ロケは2006年4月27日とされるため[23]、クランクインは2006年4月後半か5月始めと見られる。同年7月11日クランクアップ[24]。実際の事件は西武新宿線ながら[14]、劇中に登場する城北急行や岸川駅など、路線や駅名は架空のもので、駅のホームで撮影も行われているが、どこの駅か電車か分からないよう駅名標、車体の特徴などが変えられている。ただエンディングで室山省吾(小日向文世)裁判官が主文を読む際に「杉並区城北急行…」という場面がある。岸川駅として登場するのは府中競馬正門前駅で、佐田満(光石研)と金子豊子(もたいまさこ)、斉藤達雄(山本耕史)の3人で会うのは目黒駅。岸川署庁舎として登場する市役所庁舎は秦野市。荒川正義(役所広司)と須藤莉子(瀬戸朝香)が勤める弁護士事務所は九段辺りで、窓から首都高速5号池袋線を行き交うの車両が見える。何度か登場する地方裁判所の階段等は、茨城県水戸市の茨城県議会議事堂と見られる[25]。ラストカットは最高裁判所。この他、エンドクレジットに撮影協力として、精和印刷、いばらきフィルムコミッション、アンダーソン・毛利・友常法律事務所、秦野市フィルムコミッション、あつぎフィルムコミッション協議会、さいたまスーパーアリーナ、東京ロケーションボックス、マルハン新宿店、社会文化会館、さいたまフィルムコミッションなどが表示される。全公判をリアルに描くことにこだわり[11]、警察の留置場や取調室は実際に警察に取材し[11]、資料をもとに作った[9][11]。同行室は創作[11]。法廷は東京地裁の法廷を実際に採寸して作ったという[11][15]。東宝スタジオのセットと見られる[15][26]。 作品の評価
受賞歴
備考周防監督は人質司法については、「以前は、東京地裁は『否認していると勾留23日間』という現実があったのですが、今は否認しているからといって必ずしも勾留するわけではなく、2日ほど警察にいて、そのあと検察に送致。そこで検察官が勾留請求しても裁判所が却下するケースが増えているようです」とし(「痴漢冤罪#冤罪被害の問題点」も参照)、この年の上半期に相次いだ「痴漢被疑者による線路への逃走」に触れ「ホーム上に誰かを突き落とすことになったり、線路に飛び降りて危険な目にあったり、誰かに取り押さえられたら痴漢の犯人だという証拠を与えてしまうことになるので、絶対やらないで。今は勾留期間も短くなっているので、(身分を明かして弁護士を呼ぶなどの)ちゃんとしたプロセスを踏んでほしい」と呼びかけている[10]。周防は本作がきっかけで、日弁連からの推薦により、法制審議会の「新時代の刑事司法制度特別部会」の委員になった[11]。 モデルとなった事件本作品のモデルの1人に、2000年5月30日に電車内で痴漢したとして逮捕され、懲役1年6月の有罪判決が確定し、刑務所で服役し2004年に出所した男性がいる[14]。2015年、46歳となった男性は、東京地裁に15年前の事件について再審請求を行った。その記者会見では周防監督も同席し、再審請求のための新しい証拠となる「再現ビデオ」を制作したことを明かし、本人の無実を信じていることを語った[30]。 社会的影響2022年度東京都の痴漢被害調査では女性45.4%、男性8.6%が被害を経験しており、場所は電車内が8割を占め、7割が被害届をしていない状況にある[31]。こういった状況を背景に、任意団体の「Stop痴漢バッジプロジェクト」では、都内高校入学から痴漢被害に苦しんだ女子高生が再犯者を捕まえたが執行猶予がついた経験を元に、缶バッジで泣き寝入りしないことを主張する活動をしている。しかし自意識過剰なブスなどの誹謗中傷が寄せられた。これらの発言者は痴漢=冤罪との視点を持っているが、2007年の本作公開の影響が強いと活動者から指摘されている[32]。 書籍
脚注注釈
出典
関連項目
外部リンク
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