アントアン・リチャードソン
アントアン・エドワード・リチャードソン(Antoan Edward Richardson、1983年10月8日 - )は、バハマ・ナッソー出身の元プロ野球選手(外野手)。右投両打。2024年シーズンよりMLBのニューヨーク・メッツで一塁コーチを務める。 21世紀で唯一のバハマ出身のメジャーリーガーである[1]。 経歴プロ入り前2001年のMLBドラフト27巡目(全体803位)でボルチモア・オリオールズから指名されるも拒否。 2002年のMLBドラフト27巡目(全体796位)で前年と同じオリオールズから指名されるも拒否。 2004年のMLBドラフト13巡目(全体375位)でアリゾナ・ダイヤモンドバックスから指名されるも拒否。 プロ入りとジャイアンツ傘下時代2005年のMLBドラフト35巡目(全体1062位)でサンフランシスコ・ジャイアンツから指名され、6月16日に契約。この年は傘下のルーキー級アリゾナリーグ・ジャイアンツでプロデビュー。53試合に出場して打率.321、1本塁打、10打点、40盗塁と結果を残し、アリゾナリーグのオールスターに選出された。 2006年はA級オーガスタ・グリーンジャケッツでプレーし、124試合に出場して打率.292、2本塁打、28打点、66盗塁を記録した。 2007年はA+級サンノゼ・ジャイアンツでプレーし、107試合に出場して打率.279、2本塁打、29打点、43盗塁を記録した。 2008年はAA級コネチカット・ディフェンダーズでプレーし、123試合に出場して打率.241、5本塁打、31打点、33盗塁を記録した。 2009年もAA級コネチカットでプレーし、50試合に出場して打率.207、6打点、6盗塁を記録した。7月24日に自由契約となった。 独立リーグ時代2009年シーズン途中に独立リーグであるノーザンリーグのシャンバーグ・フライヤーズに入団。27試合に出場し、打率.287・6打点・20盗塁だった。 2010年1月12日にアトランタ・ブレーブスとマイナー契約を結んだが、4月3日に自由契約となった。その後ノーザンリーグのシャンバーグに復帰し、4試合に出場。 ブレーブス時代2010年5月26日にブレーブスと再びマイナー契約を結んだ[2]。この年は傘下のAA級ミシシッピ・ブレーブスでプレーし、74試合に出場して打率.279、20打点、24盗塁を記録した。8月にAAA級グウィネット・ブレーブスへ昇格。AAA級グウィネットでは7試合に出場した。 2011年、マイナーでははAA級ミシシッピでプレーし、91試合に出場して打率.283、21打点、17盗塁を記録した。9月4日にメジャー初昇格を果たし、同日のロサンゼルス・ドジャース戦でメジャーデビュー。5回裏に代打として出場し、クレイトン・カーショウからメジャー初安打を放った[3]。この年メジャーでは9試合に出場して打率.500を記録した。オフの11月2日にFAとなった。 オリオールズ傘下時代2011年12月16日にオリオールズとマイナー契約を結んだ。 2012年シーズンは傘下のAA級ボウイ・ベイソックスとAAA級ノーフォーク・タイズでプレー。AA級ボウイでは90試合に出場して打率.279、1本塁打、15打点、26盗塁を記録した。オフの9月16日に第3回WBC予選のイギリス代表に選出された事が発表され[4]代表入りした[5]。オフの11月3日にFAとなった。 ツインズ傘下時代2013年2月1日にミネソタ・ツインズとマイナー契約を結んだ。開幕から傘下のAA級ニューブリテン・ロックキャッツでプレーし、33試合に出場して打率.336、14打点、14盗塁を記録した。5月にAAA級ロチェスター・レッドウイングスへ昇格。AAA級ロチェスターでは82試合に出場して打率.265、29打点、25盗塁を記録した。オフの11月5日にFAとなった。 ヤンキース時代![]() (2014年9月14日) 2013年11月11日にニューヨーク・ヤンキースとマイナー契約を結び、2014年1月29日に球団が発表した[6]。この年マイナーでは傘下のAAA級スクラントン・ウィルクスバリ・レイルライダースでプレーし、93試合に出場して打率.271、3本塁打、22打点、26盗塁を記録した。9月2日にヤンキースとメジャー契約を結び[7]、13試合に出場。打率.313、1打点、5盗塁を記録した。オフの11月3日に40人枠を外れ、AAA級スクラントン・ウィルクスバリへ降格し、11月6日にFAとなった。 ヤンキース退団後2014年12月11日にテキサス・レンジャーズとマイナー契約を結んだ[8]。 2015年3月11日にメジャー契約となった[9]が、3月27日に椎間板ヘルニアの手術を受け[10]、4月2日に60日間の故障者リスト入りした。10月21日に40人枠から外れ、傘下のAAA級ラウンドロック・エクスプレスに降格した[11]。オフに自由契約となり、12月14日にピッツバーグ・パイレーツとマイナー契約を結ぶ。 2016年4月25日に自由契約となる。5月29日にロサンゼルス・ドジャースとマイナー契約を結び、6月22日に自由契約となる。7月8日に独立リーグであるアトランティックリーグのサザンメリーランド・ブルークラブスと契約。 2017年3月7日に33歳で引退した。 引退後![]() (2023年6月13日) 2020年シーズンからはジャイアンツの一塁兼外野守備コーチに就任した[12]。 詳細情報年度別打撃成績
年度別守備成績
背番号
代表歴脚注
関連項目外部リンク
|
Portal di Ensiklopedia Dunia