エクラアニマル
株式会社エクラアニマルは、アニメーションの企画・制作を主な事業内容とする日本の企業。 本項では事実上の前身である「あにまる屋」についても述べ、作品履歴も同一のものとして扱う。 概要Aプロダクションの制作管理を経てシンエイ動画のプロデューサーを務めていた真田芳房が1982年12月13日に「有限会社アニマル屋」(あにまるや)[1][2]として設立した。 設立当時のメンバーは福冨博、森脇真琴、本多敏行、木上益治、奈須川充、鈴木信一、徳田悦郎の計7人のシンエイ動画所属の演出家・アニメーターであり、いずれも真田がプロデューサーを務めていた『怪物くん』のスタッフであった。社屋は同年12月に業務拡大のため田無市(現:西東京市)南町へ移転したシンエイ動画の旧社屋を譲り受けたものである。よって、事実上シンエイ動画の『怪物くん』制作班が残留したものともいえる。 独立後もシンエイ動画とは円満な関係が続き、同社作品を中心にグロス請けしていた。この他、東京ムービー、土田プロダクション(及び実質的後継であるスタジオコメット[3])、グループ・タック、そしてアメリカのディズニー・テレビジョン・アニメーションを主な取引先とした。 過去には所属していた木上益治等がプロレスファンであったことから[4]「肉体派アニメーター」を自称し、旧あにまる屋時代からスタジオにトレーニング場を設け、ダンベルやバーベルなどボディビルの器具が設置されているという異色のスタジオであった[5][6][7]。入社の基準も40キロのバーベルを持ち上げられることになっていた[8]。本多のAプロ時代の同僚である近藤喜文がテレコム・アニメーションフィルムを退社した際、細身であった氏を招こうと、バーベルの基準を大幅に下げることを考えていたという逸話がある[8]。 1987年12月、真田芳房が肝硬変のため慰安旅行先の草津温泉で客死し、本多敏行が二代目代表取締役となった。会社で入っていた生命保険は遺族の意向で絵本の自費出版資金となり、木上益治が中心となって『小さなジャムとゴブリンのオップ』を製作し[9]、関係者に配布された。同書の登場人物であるジャムはそのままあにまる屋のマスコットキャラクターとなった。 同時に、それまでもっぱら下請け会社に過ぎなかった同社も元請けとしてアニメを自主制作する機運が高まり、上田トシコ原作の『フイチンさん』、ちばてつや原作の『風のように』、『キャラ丸くんとドク丸くんシリーズ』、『かっぱのすりばち』、『さくらとサクリン』、松本かつぢ原作『くるくるクルミちゃん』、『KABUTO武士シリーズ』など、数は少ないが自主制作作品も作るようになった。 本多が代表に就任してからエクラアニマルに継承するまで、ワーナーのTVシリーズ『フリーカゾイド!』のオープニング映像・ハンナバーバラの『パワーパフガールズ』のパイロット版、そして前述の通りディズニー作品の制作に参加するなど、アメリカのアニメも多く受注するようになった。 2007年、「株式会社エクラアニマル」を設立し業務を継承。制作プロデューサーの豊永ひとみが代表取締役に就任した。同時に環境活動などをはじめとした市民活動に力を入れるようになり、企業CM制作・ブライダルアニメ制作・絵本制作・漫画制作なども行っている。 作品履歴
制作協力
関係者
関連項目
脚注注釈出典
参考資料 |
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