ギガンテウスオオツノジカ (Megaloceros giganteus )は、200万年前 - 7,700年前[ 1] (新生代 第三紀 鮮新世 後期 - 第四紀 完新世 )のユーラシア大陸 北部に生息していた大型のシカ の化石種 であり、ケナガマンモス やケブカサイ やステップバイソン などと並んでユーラシア大陸の氷期 を代表するメガファウナ の一種として知られる[ 2] [ 3] 。
分類
化石 が多く産出してきたアイルランド に因んだ英名 から「アイリッシュエルク (Irish Elk)」や「アイルランドオオツノジカ 」とも呼ばれる[ 4] [ 5] 。巨大な角 の後枝を持つのが特徴で、学名 は「巨大な枝角 」を意味する。アイルランドでは「エルク」と呼ばれる現生のヘラジカ も大型の角を持ち本種もヘラジカを思わせる英名を持つが、両者の分類学上の類縁は遠い[ 4] [ 5] 。
メガロケロス属 は分類的には(アメリカ合衆国 での「エルク」である[ 5] )アカシカ に近いという説もあるが[ 6] 、一方でダマジカ属 の姉妹群 に該当するという説も存在する[ 7] [ 8] [ 9] [ 10] 。
なお、日本語において同様に「オオツノジカ (巨角鹿)」と呼称されているものの、アジアで発掘されるヤベオオツノジカ (Sinomegaceros yabei )、ハレボネオオツノシカ (Sinomegaceros pachyosteus )、オルドスオオツノシカ (Sinomegaceros ordosianus )、フラベラトゥスオオツノシカ (Sinomegaceros flabellatus )[ 11] などはシノメガケロス属 に属する別属・別種である[ 4] [ 12] 。一方で、ヤベオオツノジカと共に岩手県 一関市 の花泉遺跡 から報告されている鮮新世 のキンリュウオオツノジカ(M. kinryuensis )は本種と同じくメガロケロス属に分類されている[ 13]
概要
ギガンテウスオオツノジカの生体復元想像図。
コニャック洞窟 (英語版 ) の洞窟壁画 に描かれた本種の雌雄。
最大のものでは肩高約2.1メートル [ 15] 、体長3.2メートル[ 16] 、体重700キログラム 以上に達した現生のヘラジカ に匹敵する大型のシカであり[ 17] 、その名の通り巨大な角を持つ。この角は性淘汰 によって大型化したことが示唆されており、差し渡しは最大3.6メートル以上[ 15] 、重量は40キログラムを超え、体の大きさこそ地球史上最大のシカであったジャイアントムース (英語版 ) (大型のヘラジカの仲間)よりも小柄だったが、角の大きさではギガンテウスオオツノジカが上回っていた[ 7] 。角の役割は繁殖期 にオス同士の闘争用の武器だけでなくメスへのアピールポイントになったと思われる[ 5] 。
この角を支えるために体の形態も頑健になり、頭蓋骨、頸椎 、首筋から肩にかけての筋肉が非常に発達して筋肉の隆起(こぶ)を形成していた。角は(近縁であるダマジカ と同様に)発情期において性的ディスプレイ及び闘争の手段として使われたと思われる。それによって傷を負い、動けなくなって餓死したと思われる個体の化石も発見されている。また、本種は角の大きさによって行動と分布に支障が出ていた可能性があり、角の発達に多くの栄養とくにカルシウム を必要としただけでなく、森林 での行動が抑制されるため、主な生息環境は開けた森林地帯と草原 が混在する地域だったと思われる。マンモス・ステップ (英語版 ) などの氷河期 のマンモス動物群 の生息環境は一般的に乾燥しており、水分の蒸発が活発であったことが植生が土壌のカルシウムを摂取しやすい条件が整っており、本種やジャイアントバイソン やコロンビアマンモス などの角や象牙 が発達した一因であったと思われる[ 5] 。
また、フランス のコニャック洞窟 (英語版 ) などに遺された洞窟壁画 の描写から黒いリング状の模様が首回りに、縞模様が首から腹部にかけて存在した可能性がある[ 7] [ 18] 。これらの模様以外に目立った体色の特徴はなく、毛並みは比較的に明るい色だったことが示唆されている。当時のマンモス・ステップ (英語版 ) は気候が寒冷でありながらも緯度の関係から日差しが強く、草原を素早く駆ける動物にとっては濃い毛色は日差しと運動による体温の過剰な上昇を招くために不利な要素となり得たと思われる[ 5] 。
ヨーロッパ から中央アジア の北部を中心に分布し、氷河 周辺の草地や疎林、マンモス・ステップなどで暮らして草や葉を中心的な餌としていたと思われる[ 7] 。一方で後期更新世 のアイルランド 以外からの化石の出土は決して多くなく、アイルランドの泥炭地帯から多数の化石と保存状態のよい標本の大部分が発見されている。これは当時のアイルランドの(氷河融解 による多数の湖沼の形成という)環境条件が影響していると思われる。化石は各地の洞窟 からも発見されており、ホラアナハイエナ のような捕食動物によって洞窟に運ばれた痕跡とも考えられている[ 2] [ 7] 。巨大な角の生育には大量のカルシウム を必要とするため、たとえばヤナギ のような餌を好んでいたことが推測される。アイルランドから発掘されてきた約1万年前の標本も独り立ちした以降のオスの成獣が多く、湖などの水辺の周辺での発見が顕著だったことも水辺に生えるヤナギを優先的に摂取いていた可能性の証拠であると指摘される場合もある[ 5] 。
人間との関わり
ギガンテウスオオツノジカの骨格標本(国立科学博物館 )。
ラスコー洞窟 に存在するギガンテウスオオツノジカを描いた洞窟壁画 。
フランス のラスコー洞窟 などの旧石器時代 の洞窟壁画 に本種の姿が描かれており[ 4] 、おそらく人類 の狩猟の対象になったと思われる[ 7] 。
本種が完新世 まで生息していた可能性はマン島 からの化石などによって示唆されていたが[ 15] 、2004年 にシベリア の地層から発掘されたギガンテウスオオツノジカの化石が約7,700年前の中期完新世のものと特定され、それまでの仮定であった絶滅 の時期が数千年単位で更新され[ 1] 、後期更新世 や完新世初頭に多くが絶滅した大部分のマンモス動物群とは異なり、本種はステップバイソン と共に中期完新世まで生存したメガファウナ の一角であった[ 16] [ 19] 。
一方で、定向進化説 の観点から、その巨大な角が多くの栄養を必要とするため[ 7] 、後期更新世から完新世にかけての最終氷期 によって気候と植生が変動したことによって森林 が減少したり、対照的に完新世に入って温暖化を迎えた上での再度の植生の変化と、定向進化説 においては本種の角の大きさと角の育成に必要とする栄養の量などが(ジャイアントバイソン の体と角の大きさやコロンビアマンモス などの象牙 などと同様に)過剰・過負荷気味になったことが絶滅の要因になったとする意見も存在する[ 7] [ 18] [ 5] 。
しかし、上記の通り本種の最終的な絶滅は中期完新世であり[ 1] 、「第四紀の大量絶滅 」においてはそれまでの複数の気候変動 を乗り越えてきたメガファウナなどが多く絶滅しているため(本種の場合も計4度の間氷期 を生き延びてきた)、気候変動が本種の減少や地域絶滅を引き起こしたものの、大量絶滅の最終的な要因としての人類の影響は大きかったと思われる[ 2] [ 7] [ 20] 。ウラル山脈 や西シベリア などに生息していた最後の個体群も[ 5] 、ウラル山脈の麓に分布していた頃は比較的に人類からの狩猟圧から守られていたが、気候変動による植生の変化によってこれらの個体が平野部に移動したことで分布を拡散させてきた人類 との接触の機会が増加し、これまでに幾度もの気候変動を経て生存してきた本種も、個体数の全体的な減少と環境の変化の中での人為的な圧力には耐えられなかったことが示唆されている[ 2] [ 7] [ 20] 。
なお、『ニーベルンゲンの歌 』に見られる「Shelch」という動物とギガンテウスオオツノジカを関連付ける者もおり、紀元前700年 から紀元前500年 ごろまで少数がスティリア地方 や黒海 付近に生息していたとする説もある[ 21] 。
関連画像
脚注
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^ a b 「ナウマンゾウとオオツノジカ 」(pdf)『うもれ木(魚津埋没林博物館広報誌) 』第41巻、魚津印刷株式会社、2014年7月7日、2025年6月9日閲覧 。
^ ビヨルン・クルテン (英語版 ) 『Pleistocene Mammals of Europe 』ラウトレッジ 、2017年7月5日、165頁。ASIN B073RQCXQZ 。
参考文献
外部リンク
Megaloceros giganteus Alce gigantea