クリス・ニッセン![]() ニルス=クリスチャン・"クリス"・ニッセン(Nils-Kristian "Kris" Nissen, 1960年7月20日 - )は、デンマーク出身の元レーシングドライバーである。2009年2月現在、フォルクスワーゲンのモータースポーツディレクターの職にある。 略歴ニッセンはレーシングカートでレースキャリアを開始し、1976年と1977年にデンマークチャンピオンになった。1982年にはデンマークのフォーミュラ・フォード2000で、1986年にはドイツF3選手権でチャンピオンを獲得。WSPCデビューのオファーを受けグループCマシンに乗るチャンスも得られ、F1参戦を開始していたドイツのザクスピードからテスト参加の要請を受けF1マシンをテストするなど、飛躍の年となった[1]。同年11月には鈴鹿で行われた全日本F3最終戦にスポット参戦し、ポール・トゥ・フィニッシュで完全勝利を挙げた。 1987年からは全日本スポーツプロトタイプカー耐久選手権への参戦を開始し、レイトンハウスのポルシェ・962Cをドライブした。1988年は第3戦終了時点でポイントリーダーに立っていたが、第4戦富士500マイルレース直前の7月22日に富士スピードウェイで行われたテストセッション中に第1コーナーでほとんど減速することができずにコースアウトしクラッシュした。この事故でマシンは全焼し、ニッセンは顔面を含む全身の40%におよぶ火傷を負い重体になった[2]。 1989年から1992年に掛けて、ニッセンはドイツツーリングカー選手権(DTM)でBMW・BMW・M3のワークスマシンをドライブした。1991年のニュルブルクリンク24時間レースにBMWで勝利し、1992年にはノルディック・ツーリングカー選手権ノルディックカップを獲得した。この年の後半には、負傷したアラン・メニューに代わりイギリスツーリングカー選手権(BTCC)のBMWをドライブした。1993年にはドイツGT選手権でランキング2位となり、1994年にはDTMに戻りアルファロメオをドライブした。 この間、1990年6月には地元デンマークのカート界に特別ゲストとしてカムバックし、自身が参戦していたボーイェンス・チームから参戦。これはたまたま観戦に訪れていたジョン・ニールセンと二人で「ちょっと走りたいね」と話していたのを聞いた関係者が急遽マッチレースを持ちかけ実現したものだった。ニッセンは「ツーリングカーも面白いけど今日のカートも最高だった」と以後も母国のカート振興に携わる[3]。 1995年にはフォードでドイツSTWスーパーツーリングカーカップに参戦し、1996、1997、1999年にはアウディから同選手権に参戦した。1999年には、フォルクスワーゲン・ビートルでこの年に開始したデンマークツーリングカー選手権にもスポット参戦した。2000年にはDTMに再参戦を果たし、クリスチャン・アプトとアウディ・TTを走らせた。2001年と2002年にはV8スター選手権に参戦し、これを最後に現役を引退した。 レース戦績ヨーロッパ・フォーミュラ3選手権
ドイツ・フォーミュラ3選手権
マカオグランプリF3
全日本F3選手権
ドイツツーリングカー選手権(key)
イギリスツーリングカー選手権
ドイツ・スーパーツーリング選手権(key)
ル・マン24時間レース
脚注外部リンク
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