ジェレミー・マクウィリアムス
ジェレミー・マクウィリアムス (Jeremy McWilliams, 1964年4月4日 - ) は、イギリス北アイルランド・ベルファスト出身のオートバイレーサー。 経歴キャリア初期本格的にレースを始めたのは24歳と、GPレーサーとしては非常に遅い時期だった。1988年、電気技師の仕事に就いていたマクウィリアムスは自腹で購入したヤマハの350ccマシンでアイルランドの国内プロダクションレースに参加し、見事チャンピオンを獲得した。その後1990年、1991年とアイルランド国内選手権を制し、1991年から1992年にかけてはイギリス選手権にも参戦した。 ロードレース世界選手権1993年、マクウィリアムスは29歳にしてグランプリデビューを果たした。最高峰500ccクラスでヤマハ・YZR500を駆って3シーズン、その後ROC[要曖昧さ回避]ヤマハで1シーズンを戦った後、1997年からは250ccクラスに戦いの場を移した。1998年にはテクニカル・スポーツ製フレームのマシンで自身初の表彰台を獲得、シリーズランキング9位に入った。 2000年にはアプリリアのVツインマシンで500ccクラスに復帰した。原田哲也をチームメイトに、非力なマシンながら2回表彰台に立つ活躍を見せ、シリーズランキング14位の記録を残した。 翌2001年、250ccクラスに戻ってアプリリアのワークスマシンを駆り、この年が マクウィリアムスにとってGPでのベストシーズンとなった。シリーズランキングは6位に入り、第7戦ダッチTTでは、37歳にして遂に表彰台の中央に立った。 2002年には最高峰クラス(この年からMotoGPクラスに改編)にケニー・ロバーツ率いるプロトンチームから復帰。青木宣篤をチームメイトにシーズンを戦い、第15戦フィリップアイランドではポールポジションを獲得する活躍を見せた。 2004年は再びアプリリアと組み、並列3気筒マシンのRS3 CUBEを駆った。アプリリアはこの年でMotoGPクラスの活動を休止し、翌2005年はGPでレギュラーシートを見つけることができず、ブリティッシュスーパーバイク選手権に戦いの場を移した。GPにはチーム・ロバーツで1戦のみ参戦したが、ノーポイントに終わった。 2006年シーズンはWCMチームから参戦する計画があったが実現せず、11月のヘレスでの合同テストに、翌年から参戦を予定しているイルモアのプロトタイプマシンを駆って参加した。そのテストでマクウィリアムスは激しく転倒し、左大腿骨と右鎖骨を骨折する大怪我を負ってしまった。さらに左手の指も2本失うことになったが、マクウィリアムスはこのことについて「以前から骨折していて、あまり使い道がない指だったから大したことないよ」とインタビューに答えた[1]。 2007年開幕戦カタールGP、怪我から回復したマクウィリアムスはアンドリュー・ピットと共にイルモアのレギュラーライダーとしてエントリーされた。ところが予選でまたも転倒・負傷してしまい、決勝レースを走ることはできなかった。そしてチームは資金難を理由にこのレースを最後に活動を休止してしまい、42歳のマクウィリアムスは不本意な形でGPレーサーとしてのキャリアを終えることになった。 グランプリ引退後GPを退いた後は、オートバイやタイヤの開発ライダーとしての仕事をこなしている。また「ジェレミー・マクウィリアムス・スーパーバイク・アカデミー」を主催し、後進ライダーの指導にあたっている。 戦績ロードレース世界選手権
年別成績
脚注外部リンク |
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