2004年のロードレース世界選手権
![]() 2004年のロードレース世界選手権は、FIMロードレース世界選手権の第56回大会である。 シーズンの概要2003年のシーズン終了後、バレンティーノ・ロッシはHRCとの契約を延長しないことを決断し、HRCは契約が切れる2003年12月31日まではロッシが他メーカーのマシンに乗ることを認めないと通達した。テスト不足に加えて、1993年のケビンシュワンツを最後に10年以上ヤマハのマシンに乗るライダーがチャンピオンになっていないということもあり、ロッシのヤマハへの移籍は大きな賭けだと思われた。しかしシーズンが開幕するとロッシはビアッジとの大バトルの末に開幕戦を制し、その強さはシーズン終盤まで衰えることなく、グランプリの最高峰クラスで異なるメーカーのマシンでの連続チャンピオンというエディ・ローソン以来の偉業を成し遂げた。2003年のホンダ、2004年のヤマハという異なるマシンでの連続タイトルは、「ロッシの速さは(ホンダの)マシンのおかげではないのか?」という一部の疑念を実力で一蹴したのである。 この年ロッシの手強いライバルとなったのはセテ・ジベルナウであったが、シーズン終盤まで好調さを維持することができず、最後までタイトルを争うことはできなかった。比較的仲のよいロッシとジベルナウであったが、カタールGPではロッシのペナルティを巡って確執が生まれてしまった[1]。 第4戦イタリアGPでは降雨のため17周でレースが中断され、「中断された時点での順位をスターティンググリッドとした残り周回数の第2レースを行い、第2レースの結果のみで最終順位を決定する」という前年からのルールが適用された。これによりわずか6周の超スプリントレースが行われ、再開時点ではすでに天候も回復していたためほとんどのマシンがスリックタイヤを装着していたことも手伝って、非常に激しいバトルが繰り広げられた。翌2005年には再びルールが改正され、MotoGPでは雨によるレース中断はされないというルールになった。 2004年のルーキー・オブ・ザ・イヤーはルーベン・チャウスが受賞した。ブラジルGPではホンダの玉田誠が初勝利を飾ったが、玉田のこの勝利はブリヂストンタイヤにとってもMotoGP初勝利であった。 250ccクラスでは7勝を挙げて表彰台13回と安定して好成績を残したダニ・ペドロサが、シーズン後半に調子を上げてきたセバスチャン・ポルトを振り切り、250ccクラスデビューイヤーにタイトルを獲得した。前年の125ccクラスタイトルに続く、2クラスにまたがる2年連続のタイトル獲得でもあった。 125ccクラスは前年に続いて誰も連勝できないという乱戦が続いていたが、そんな中でも5勝を挙げたアンドレア・ドヴィツィオーゾが大差でタイトルを獲得した。 日本ではこの年限りで、NHKBSでの放映が打ち切られた。大多数の日本のファンは、翌年以降CSなどの有料放送で視聴しなければならなくなった。 グランプリ
ポイントランキングポイントシステム上位15名のライダーにポイントが与えられる。ポイントの授与はレースを完走することが条件となる。
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