ジャック・コルヌー
ジャック・コルヌー(Jacques Cornu, 1953年5月15日 - )はスイス・ヴォー州出身の元オートバイレーサー。1980年代にロードレース世界選手権中排気量クラスで活躍した。 略歴1980年から本格的にグランプリに参戦し、プライベーターながらコンスタントに入賞して250ccと350ccの両クラスでランキング一桁を得る。 ![]() グランプリのかたわら耐久レースにも参戦し、1982年にはカワサキ・ワークスでペアライダーのジャン・クロード・シュマランと共に耐久世界チャンピオンとなった。1983年いっぱいでカワサキが耐久レースのワークス活動から撤退したのを機に、コルヌーも1984年からはグランプリに専念する[1]。 1986年にはホンダの市販マシンRS250でプライベーター最上位のランキング7位となり、この年の走りが認められて翌年からワークスマシンNSR250を与えられる[1]。 ワークスマシン1年目の1987年は、第10戦スウェーデンGPでのクラッシュによる怪我で以後のレースを欠場せざるを得なくなり[1]、ランキング9位とふるわなかったが、翌1988年はグランプリ初優勝を含む2勝を挙げてランキング3位を獲得し[2]、コルヌーのグランプリにおけるベストシーズンとなった。 続く1989年も1勝を含む表彰台8回の活躍で、2年連続ランキング3位を得た[2]。 26歳と比較的遅めのグランプリデビューだったが、1990年までの10年間に渡って250ccのスペシャリストとして活躍した。耐久のカワサキ・ワークス時代には鈴鹿8時間耐久レースにも出場している[3]。 主な戦績ロードレース世界選手権
鈴鹿8時間耐久ロードレース
※1983年は当初コードレイとのチームで参戦していたが、予選でコードレイが転倒し負傷したため急遽別チームから参戦予定の清原明彦とのコンビが結成され決勝を走った(清原のチームは自動消滅)。これはコルヌーに世界耐久選手権ポイントで年間タイトル獲得の可能性があったための措置だったが、決勝では清原がS字で転倒しリタイヤとなったため、コルヌーのタイトル獲得は成らなかった。 脚注
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