ディーノ・ベガノヴィッチ
ディーノ・ベガノヴィッチ(Dino Beganovic、2004年1月19日 - )は、スウェーデン・ボスニア・ヘルツェゴビナのレーシングドライバー。 マスメディアによっては「ディノ・ベガノビッチ」「ディーノ・ベガノビッチ」と表記される場合もある。 経歴カート2011年にカートレースを始め、2018年にはスウェーデン国内の複数のカート選手権でOKジュニアカート部門で優勝[1]。2019年、スウェーデンカート選手権とイタリアカート選手権・OK部門で優勝し、WSKユーロシリーズでは2位に入った[2][3]。 フォーミュラ42020年、プレマ・パワーチームからイタリアF4選手権でデビュー[4]。開幕戦(ミサノ)のレース3で3位表彰台を獲得すると[5]、第2戦(イモラ)ではポールポジションを獲得[6]。第4戦(ムジェロ)ではダブル表彰台を獲得し[7]、第6戦(イモラ)のレース2で初優勝を飾り、3レース全て表彰台を獲得[8][9]。 優勝1回・表彰台6回・179ポイントを獲得し、ランキング3位で終えた[10]。また、ADAC・フォーミュラ4選手権でプレマから2戦スポット参戦し、12ポイントを獲得した(ランキング16位)[11][12]。 FR・ヨーロピアン・チャンピオンシップ![]() 2021年にプレマ・パワーチームからF3・アジア選手権とフォーミュラ・リージョナル・ヨーロピアン・チャンピオンシップに参戦[13]。開幕戦(ドバイ)の2レースで2位に入ると[14]、第2・3戦(アブダビ)でも2回の表彰台獲得と5回のルーキー優勝を飾り、ランキング7位[15]。 ヨーロッパでのシーズン前半戦の最高位は8位2回で、12ポイントと苦戦を強いられたが[16]、後半戦が始まると、第6戦(スパ・フランコルシャン)で4位およびルーキー優勝を果たすと[17]、第9戦(ムジェロ)では2位に入り、初表彰台を獲得[18]。最終戦(モンツァ)で初のポールポジションを獲得するが[19]、首位争いの最中にチームメイトのダビド・ビダーレスと接触しリタイアに終わった[20]。ルーキー優勝2回・表彰台1回・53ポイント獲得し、ランキング13位で終えた。 ![]() 2022年、ムンバイ・ファルコンズからフォーミュラ・リージョナル・アジアン・チャンピオンシップに参戦[21]。開幕戦(アブダビ)ではマシントラブルで思うような結果を残せなかったが[22]、第2戦(ドバイ)で2位表彰台を獲得[23]。第3戦(ドバイ)のレース1では3位表彰台を獲得すると、レース2で優勝を飾った[24]。第4戦(ドバイ)では無得点に終わったが[25]、最終戦(アブダビ)ではダブル表彰台を獲得し、優勝1回、表彰台5回、130ポイントと成績を残し、ランキング5位[26]。 ヨーロッパではプレマに残留し、フォーミュラ・リージョナル・ヨーロピアン・チャンピオンシップでの参戦2年目を迎える[27]。開幕戦(モンツァ)のレース1で初優勝を飾り、レース2では2位表彰台を獲得[28][29]。第2戦(イモラ)では当初トップチェッカーを受けたガブリエレ・ミニがペナルティで後退し、繰り上げ優勝となった[30]。第3戦(モナコ)で3勝目を挙げると、第4戦(ポール・リカール)で表彰台を獲得[31][32]。第5戦(ザントフォールト)のレース1では4位で終え、連続表彰台獲得記録は途切れたものの、レース2では3位表彰台を獲得した[33]。第6戦(ハンガロリンク)では2レースとも表彰台を逃したが[34]、第7戦(スパ・フランコルシャン)で勝利し[35]、第8戦(レッドブル・リンク)では2回目のダブル表彰台を獲得[36]。最終戦(ムジェロ)のレース1で4位でチェッカーを受け、ドライバーズタイトルを獲得[37]。優勝4回、表彰台13回、300ポイントという成績を残した[38]。 2023年、F3参戦前にムンバイ・ファルコンズから新たに名称が変わったフォーミュラ・リージョナル・ミドル・イースト・チャンピオンシップに復帰し、2戦スポット参戦[39]。開幕戦(ドバイ)ではガブリエレ・ミニとの激しい首位争いを制し優勝を飾ると[40]、第2戦(クウェート)のレース1で優勝、レース3で5位に入り[41]、優勝2回、62ポイントを獲得し、ランキング11位。 FIA F3選手権![]() 2022年9月20日、プレマ・レーシングはポール・アロン、ザック・オサリバンと共にヘレスで3日間のFIA F3テストに参加し[42]。1か月後にプレマ・レーシングと契約し、FIA F3選手権に参戦[43][44]。開幕戦(バーレーン)のスプリントレースで予選8番手から4位に入り、続くフィーチャーレースで3位に入り、初表彰台を獲得した[45][46]。第2戦(メルボルン)で予選8番手に入り、スプリントで5位に入ったが、フィーチャーレースでのファイナルラップでカイオ・コレットとの接触によるペナルティを受け、13位に後退[47]。第3戦(モナコ)の予選で最速ラップを叩き出し、2番手からのスタートとなった[48]。スプリントレースでは無得点に終わったが、フィーチャーレースでは2位表彰台を獲得した[49][50]。第4戦(バルセロナ)でのスプリントレースではグレゴワール・ソーシーとの接触でリタイアしたが、フィーチャーレースでは3位表彰台を獲得し、ランキング3位に浮上[51][52]。第5戦(レッドブル・リンク)の予選では2番手を付けたが、わずか0.004秒差でポールポジションを逃した[53]。フィーチャーレースではタイヤの摩耗が激しくなり5位フィニッシュしたが、レース後のインタビューで「レース序盤にDRSから逃れようと無理プッシュしすぎた」と述べた[54]。 第6戦(シルバーストン)の予選でフライングラップを刻む前にエンジントラブルが発生し、最後尾からのスタートを余儀なくされた。2レースともに予選最下位からのスタートだった影響もあり、初の無得点に終わった[55]。第7戦(ハンガロリンク)の予選では2番手からスタートし[56]、フィーチャーレースではオサリバンに2秒差で2位フィニッシュした[57]。第8戦(スパ・フランコルシャン)のスプリントレースではガブリエル・ボルトレトとの接触によるペナルティを受け23位、フィーチャーレースでは濡れた路面でのレース戦略でミスが響き16位に終わった[58]。最終戦(モンツァ)では予選タイムが抹消され、23番手からのスタートとなったが[59]、フィーチャーレースでは追い上げを見せ、9位に入った[60]。新人ながら表彰台圏内4回・96ポイント獲得し、ランキング6位に入り、未勝利ドライバーの中では最上位となった[61][62]。 シーズンオフにヘレスで行われたテストに参加し、2日目に全体の最速タイムをマークした[63][64][65]。また、プレマからアロン、ミニと共にマカオグランプリに出場し[66]、予選レースで4位に入った後、決勝レースではミニを追い抜いて2位を狙おうとした際にクラッシュしリタイアに終わった[67]。 ![]() 2024年に引き続きプレマ・レーシングからFIA F3に参戦。チームメイトはミニとレッドブル・ジュニア所属のアービッド・リンドブラッド[68]。開幕戦(バーレーン)で初のポールポジションを獲得したが[69][70]、スプリントレースでのオープニングラップで接触しピットインを余儀なくされ、フィーチャーレースでスタート時のトラブルが発生し後方に下がったが、驚異の追い上げを見せた(結果は13位)[71][72][73]。第2戦(メルボルン)での予選で3番手を獲得し[74]、スプリントレースでは6位チェッカーを受けたが[75]、セバスチャン・モントーヤとの競り合いでコースアウトさせたとペナルティを受け、13位に降格した[76]。フィーチャーレースではチームメイトのミニ、トップを走っていたレオナルド・フォルナロリを抜きF3初優勝を飾った[77][78]。第3戦(イモラ)はスプリントレースで4位、フィーチャーレースで5位と好調を維持した[79]。 第4戦(モナコ)でのスプリントレースで7位、フィーチャーレースを6位で終え[80]。第5戦(バルセロナ)では2レースともに8位に終わった[81]。第6戦(オーストリア)の予選では5番手となったが、1周目のスピンで後方に下がり、15位に終わり[82]、フィーチャーレースでのレース序盤で2位に浮上し、レースの大半でルーク・ブラウニングの後ろについてDRS圏内に留まったものの、チームメイトのミニにかわされ3位に終わった[83][84]。第7戦(シルバーストン)での予選で不運が重なった影響で両レースともに入賞圏外に終わった[85]。第8戦(ハンガロリンク)のスプリントレースでリバースポールを獲得したが、スタート時にニキータ・ベドリンに敗れ、更にタイヤの摩耗が激しく、ベドリンへのオーバーテイクを試みるが失敗し順位を落とし、3位に終わった[86][87]。続くフィーチャーレースでは9位で終えた[88]。 第9戦(スパ)の予選で2度目のリバースポールを獲得[89]。スプリントレースでミニの猛追をかわし、2勝目を挙げた[90][91]。しかしフィーチャーレースでは11位に終わり、タイトル獲得の可能性は無くなった[92][93]。最終戦(モンツァ)ではスプリントレース4位、フィーチャーレース9位に終わり[94][95]、優勝2回・ポール1回・表彰台圏内4回・109ポイント獲得し、前年と同じランキング6位で終えた[96]。シーズン終了後にプレマからマカオグランプリに出場し[97]、決勝レースでは8位に終わった[98]。 FIA F2選手権![]() 2024年、ファン・マヌエル・コレアに代わってDAMS・ルーカスオイルからFIA F2選手権終盤2戦に起用され、ジャック・クロフォードと組んだ[99]。 デビュー戦となった第13戦(カタール)では予選4番手を獲得[100]。スプリントレースで宮田莉朋に追突されてスピンし、10位とポイントを獲得できなかったが[101]、フィーチャーレースでは5位入賞[102]。続く最終戦(アブダビ)では予選5番手を獲得[103]。スプリントレースは4位でチェッカーを受けたが、アロンがレース後に失格となったため3位に繰り上がり、F2レース3戦目にして初表彰台を獲得した[104][105]。フィーチャーレースではギアトラブルを抱えながらも7位ででレースを終え[106]、22ポイント獲得し、ランキング20位[107]。 2025年、ハイテック・TGRに移籍し、ウィリアムズ・ドライバー・アカデミー所属のルーク・ブラウニングをチームメイトとして迎える[108]。 フォーミュラ12020年初めに、フェラーリ・ドライバー・アカデミーに加入することが発表された[109][110]。新型コロナウイルス感染症によるロックダウン中、バーレーン・バーチャルGPでフェラーリから出場した[111]。 人物ベガノヴィッチはスウェーデンにあるリンシェーピングで生まれた。両親は生まれる前にボスニア・ヘルツェゴビナからスウェーデンに移住している。弟はサッカーチーム・オートヴィーダベリFFに所属している[112]。 母国語であるスウェーデン語やボスニア語の他に、英語とイタリア語が話せる。 シミュレーションレーサーで、チーム・ロングラインのメンバーであった。新型コロナウイルス感染症によるパンデミックの間に、多くのレースやイベントに参加していた。 レース戦績略歴
イタリアF4選手権
ADAC・フォーミュラ4選手権
フォーミュラ・リージョナル・アジアン・チャンピオンシップ
フォーミュラ・リージョナル・ヨーロピアン・チャンピオンシップ
フォーミュラ・リージョナル・ミドル・イースト・チャンピオンシップ
FIA フォーミュラ3選手権
マカオグランプリ
FIA フォーミュラ2選手権
フォーミュラ1
脚注
外部リンク
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