メガドライブ (MEGA DRIVE )は、セガ・エンタープライゼス が1988年 10月29日 に日本 で発売した16ビット の家庭用ゲーム機 である。発売時のキャッチコピーは「時代が求めた16ビット 」「VISUAL SHOCK! SPEED SHOCK! SOUND SHOCK! [ 注 2] 」。
セガ・マークIII およびセガ・マスターシステム の後継機として開発された。日本では任天堂 のスーパーファミコン やNEC HE のPCエンジン と競合した。
米国 ・カナダ ・メキシコ ではGENESIS (ジェネシス、Sega Genesis とも)という名称で1989年 に、その他のヨーロッパ 地域(イギリス ・フランス ・スペイン 等)、オセアニア 地域(オーストラリア ・ニュージーランド )、南アメリカ 地域(ブラジル 等)、アジア 地域といった大部分では日本と同じ名称で1990年 に発売された。
世界市場や北米市場では任天堂のSuper Nintendo Entertainment System とシェア争いで拮抗し、更にAtari Jaguar や3DO とも競合した。欧州市場ではAmiga CD32 などとシェア競争を繰り広げた。
歴史
日本市場
日本 市場では1988年にメガドライブの名称で、世界で最も早く発売された。任天堂 のファミリーコンピュータ 、NEC-HE のPCエンジン と競合し、後に任天堂のスーパーファミコンとも競合した。
TVCM には発売当初はいとうせいこう [ 注 3] 、中期には高橋由美子 が起用された。「ビジュアルショック、スピードショック、サウンドショック」を謳い文句とし、「時代が求めた16BIT」と、16ビット機であることを大きくアピールしていた。
1990年 にメガドライブの出荷数はピークを迎え、年間70万台を出荷したが、この年のハード出荷数はファミコンが136万台、PCエンジン が127万台、スーパーファミコンが66万台と、熾烈な競争状態であった[ 5] 。
1991年 に北米 市場においてメガドライブが普及するきっかけになった『ソニック・ザ・ヘッジホッグ 』は[ 注 4] 、日本市場において大きなヒットを記録するに至らず、ハードの出荷台数は前年と同じ70万台に留まった[ 5] 。数字を累計するとスーパーファミコン が1717万台、PCエンジン が392万台[ 注 5] 、メガドライブが358万台[ 3] となる。
『週刊ファミ通 』による1992年時点の市場調査では、各ハードのシェアはスーパーファミコンが55.9%、PCエンジンが24.7%、メガドライブ19.4%となっていた。同誌ではRPGタイトルの不足を苦戦の理由として挙げている[ 8] [ 注 6] 。
ライバル機種の牙城を崩すには至らなかったが、日本国内において初めて100万台以上を出荷したセガハードとなり、セガの家庭用ゲーム機では「セガサターン 」に次ぐ出荷台数を記録した。
北米市場
SEGA GENESIS
アメリカ・カナダを含む北米市場では、1989年に『SEGA GENESIS』として発売された。北米では「MEGA DRIVE」の商標が既にアイオメガ によって登録されており、同社からの名称使用許可も得られなかったため、「GENESIS」に改名されている。
発売当初は、任天堂のNES が8割という圧倒的なシェアを背景に、1社独占のシステムを販売店や流通など業界内外の隅々まで行き渡らせており、サードパーティーの参入や小売店への納品すら困難だった。
セガ・オブ・アメリカ副社長だった豊田信夫は、アメリカのスタッフが作るアメリカ的なゲームこそがアメリカ市場で受け入れられると考え、セガがマーベルコミックス からライセンスを受けて『スパイダーマン 』をゲーム化する際、セガ・オブ・アメリカ主導での開発許可を貰った。また、北米スポーツゲームの市場が約4割と非常にシェアが大きいアメリカでの販売促進を狙って、大物スポーツ選手の起用によるビッグタイトルを発売すべく、全米スポーツ界No1のスター選手であるNFL サンフランシスコ49ers のジョー・モンタナ が要求したロイヤリティー契約では、国際電話で中山隼雄社長から承諾を得て任天堂よりも好条件を提示して交渉を成立させ、『ジョー・モンタナフットボール』シリーズを発売。100万本の売り上げを記録した。他にもF1 レーサーのアイルトン・セナ や大物ミュージシャン のマイケル・ジャクソン など、世界的に人気にある著名人ともライセンス契約を締結してゲームを発売した。
これらを機に、セガの意欲と市場の存在が、エレクトロニック・アーツ やアクレイム など海外のソフトメーカーにも伝わり、参入を決めるサードパーティーが次々と増えたという[ 10] 。
また、当時北米で放送されたCMでは、Genesis does what Nintendon't(ジェネシスには出来る。任天堂に出来ないことが。) と、任天堂を挑発するキャッチコピーも人気となった。
任天堂のSNESが北米市場で発売された1991年の年末商戦では、キラータイトル である『ソニック・ザ・ヘッジホッグ』を全面的に押し出した。当時SNESは『スーパーマリオワールド 』同梱で199ドル、GENESISは『ソニック1』同梱で149ドルであり、GENESISとSNESの2台を並べて、マリオに対してソニックのスピード感と販売価格の優位性をアピールするTVCMなど徹底した比較広告戦略を展開[ 11] 。これが功を奏して、同年のクリスマスシーズンでは米国内の需要に対して生産台数が追い付かず日本からも空輸で輸入しニューヨーク のジョン・F・ケネディ国際空港 の貨物コンテナはほぼジェネシスとソニックだけになるなど、アメリカ最大手の新聞紙USA TODAY では「ゲームマーケットで遂にセガが優位に立った」という記事が掲載されたりと、マスコミ各社が米ゲーム市場でのセガの成功を報じた[ 10] 。
1994年末にSNESでリリースされた『スーパードンキーコング 』などの大ヒットにより、Newsweek 紙の報道では1995年度での販売台数がSNESの270万台に対し、GENESISの販売台数は210万台に留まるなど、単年度では逆転された[ 12] 。しかし、1995年1月の時点でコンシューマ市場で55%のシェア[ 13] および1500万台の売り上げを記録した。
しかし、当時の北米市場では、セガ・オブ・アメリカ主導で作られた周辺機器であるスーパー32X の失敗および、ジェネシスのデッドストック が問題[ 14] となっており、次世代ゲーム機であるセガサターンに移行する上での大きな障害となっていた。当時のセガ社長の入交昭一郎は「サターンを出しても上手くいかず、現地の人達が意欲を失っていた時、16ビット時代からの在庫のツケなどが非常に重く、よい話は何もなかった」「1996年の7月に、『終戦処理を私がしましょう』ということでアメリカまで行った」「アメリカでは1500万台程度の販売台数」と語っている[ 15] 。セガは1996年末にアメリカの連結子会社「セガ・オブ・アメリカ」の累積損失処理と、旧型の16ビット機(ジェネシス)の廃棄損合わせて270億円を1997年3月期の決算において特別損失として計上することを発表した[ 16] 。
NPD (英語版 ) 調査でも1994年以降の本体売り上げやゲームソフトのラインナップなどでSNESを上回り、次世代ゲーム機であるPlayStation やセガサターンが発売がされてからも、MLB やNBA 、NFL、NHL など人気スポーツゲームは1998年頃まで発売され続けた。結果GENESISは、16ビット機市場トップの座を守り通した[ 17] 。
結果として『ソニック・ザ・ヘッジホッグ』『2』『3』『ナックルズ』『スピンボール』といったソニックシリーズ 作品だけではなく、『モータルコンバット 』『NBA Jam』シリーズ、『獣王記 』『ストリートファイターIIダッシュプラス 』『Street of Rage 』、ディズニー 作品など映画を題材にした『アラジン 』『ライオンキング 』『ジュラシック・パーク 』、北米で人気のタイトルをゲーム化した『X-MEN 』『パワーレンジャー 』などは100万本以上のミリオンセラー を記録した。
南米市場
南米各国では、1990年にセガの正規代理店であるブラジル のTectoy によって発売された[ 18] 。
特にブラジルでは、ゲーム機を含むなどの精密機器への「輸入税」が高額であったが、ブラジル国内での製造はTectoyが請け負っており、マスターシステムやメガドライブは輸入税の影響を受けなかったため、消費者が購入しやすい価格帯に止めることができた。さらに、セガが2001年にゲームハード事業から撤退後もTectoyは両ハードの製造・販売・移植を継続していた。そのため、2015年の時点で、ブラジルの家庭用ゲーム機市場では健在であった[ 19] [ 20] 。ソニーもセガと同様にゲーム機の現地生産を行うことで価格を抑える戦略をとっている。
『ファンタシースターII 』『III』や『シャイニング&ザ・ダクネス 』『幽☆遊☆白書 魔強統一戦 』などが移植されたほか、ブローダーバンド が発売した教育ソフトウェア 『カルメン・サンディエゴを追え! 世界編 』のコンセプトを使ったテレビの教育バラエティ番組『カルメン・サンディエゴを探せ!(原題:Where in the World is Carmen Sandiego?)』など、現地メーカーが開発したオリジナル作品も存在する。
2012年度でも、マスターシステムとメガドライブがあわせて年間15万台は売れているなど、販売台数を伸ばしている[ 21] 。
南米市場では約300万台の販売台数を記録している。また、2009年以降はTectoyによって、音楽ゲームとギター型コントローラーが付属したメガドライブ互換機「Mega Drive 4 Guitar Idol」が発売された[ 18] ほか、2013年までの時点においても携帯型メガドライブ互換機「MD Play」などのメガドライブ互換機が販売されている[ 22] 。これらのメガドライブ互換機は本体にゲームソフトが内蔵されており、カートリッジの利用はできない。2016年11月にも新型が発売された[ 23] 。
欧州市場
フランス・ヨーロッパ・オーストラリアを含む欧州市場では1990年に日本と同様、メガドライブの名称で発売された。
元々セガは、NESの投入が遅れていた欧州市場に先行して、マスターシステムを発売して市場を形成するなど、早くからブランドイメージが確立されていた。さらに、欧州で人気を博していたAmigaは、ゲームの違法コピーが蔓延していたことから、多くのソフトメーカーがメガドライブへ参入した。
北米市場と同様に、SNESに対しても互角の市場を構築。日本ではPlayStationやセガサターン、NINTENDO 64 で発売された『FIFA ロード・トゥ・ワールドカップ98 ワールドカップへの道 』が発売されるなど、次世代ゲーム機が登場してからもソフトは供給され続けた。
欧州市場での販売台数は800万台で[ 4] 、SNESの858万台をわずかながら下回った[ 注 7] 。
ハードウェア
名称の由来は、当時使っていた容量1Mビット のカートリッジをドライブするというものであった[ 25] 。
メインCPUとしてMC68000 、サブCPUおよびセガ・マスターシステムの互換性を担当するZ80 の2つのCPUが搭載されている[ 26] 。
開発
セガは1986年から「マークV」のコードネームでメガドライブの開発を開始した[ 11] 。最大の争点は、CPUを実績があり、かつ安価な8ビットを採用するか、アーケードゲームでは実績があるが、高価である16ビットを選択するかであった。これに関してセガは以下の2点から最終的に16ビットCPUのMC68000を採用した[ 11] 。
アーケードゲームの移植を念頭に置いていた[ 26] 。業務用のチームは既にMC68000用のライブラリを持っており、これを活用する狙いがあった[ 注 8] 。
本体コストを抑えるためにモトローラや日立をはじめ様々な会社と交渉を行ない、シグネティクスが68000CPUのビジネスを模索しているという情報を得て、30万個単位という大量の一括発注や、セガのアメリカにおける「マスターシステム」の販売実績[ 注 9] を元に交渉し、当時68000CPUの市場価格の十分の一の値段である一個400円以下の価格で確保することができた[ 28] 。
以上のことから、メガドライブは68000CPUを搭載する機械としては安価なものとして普及することとなった[ 29] [ 注 10] 。
CD-ROM採用について
当初CD-ROM採用の予定は無かった[ 26] が、将来ゲームのデータ容量の増加の可能性があったため、あらかじめメガドライブ設計時に必要な配線を拡張用スロットに引き出した設計にしていた[ 30] 。設計はメガドライブの設計・開発に関わった石川雅美が全て一人が行っており、実際に使用した図面はヤマハが書き直して使っている[ 30] 。
開発の途中までは販売価格を抑えるため搭載メモリを2Mビットにして設計されていたが、ゲームアーツ の強い要望により6Mビットに増強された。この変更によって、コストが本体1台当たり1万円増加したという[ 32] 。この事からゲームアーツの宮路社長は「たかがソフトメーカーの要望を早急に採用し、発売時期も決まっているにもかかわらず原価コストの上昇や販売プロモーションにも影響を及ぼすであろうとしながらも全てを調整してくれたセガさんには敬服しかなかった。」とセガの決断と恩義に報いる形でゲームアーツはメガCDに開発資源を注入する事になる。
メガCD自体に68000CPUを搭載しており、これを利用することで動画の展開と表示を並列的に実行できるため、1時間以上の動画再生が可能であった[ 33] 。このような動画再生とゲームの進行を同時に扱える特性を生かした作品に、『ナイトトラップ』のようなインタラクティブムービー や『シルフィード』などがあり、32ビット 機以前のゲーム機では唯一『スターブレード 』(ナムコ)の移植も可能にしている。
また任天堂のスーパーファミコンを意識して回転拡大縮小機能を有している。反面、互換性を維持[ 33] する必要性から発色数やスプライトの増強は見送られた。
メガCDの仕様に強く関与したゲームアーツなど、一部のメーカーは積極的にソフトをリリースしたものの、基本的にサードパーティーはCD-ROMの規模に合わせて開発期間が長くなることを危惧しており、また8 - 16MビットのROMカートリッジでやることがあると考えていた。そのROM容量の増加でさえ「容量だけを増やしても発想が貧弱になる」「2Mだろうと1Mだろうと大した問題ではない」という考えさえあった[ 34] 。
また、セガの初CDタイトルとなる『惑星ウッドストック ファンキーホラーバンド 』は、専門誌の読者レースで最下位付近を争う低い評価を得るなど、初期ソフトの拡充が停滞していた。
このため、メガドライブの市場はROMカートリッジが主流のまま[ 35] で進み、日本国内ではメガCDは普及しなかったが、メガCDの普及当初(20万台程度の時点)にゲームアーツが発売した『ルナ』および『シルフィード』はそれぞれ10万本以上の売り上げがあった[ 36] 。一方、海外では当時CD-ROM採用機種のNEC「TurboDuo 」やPhilips 社「CD-i 」がほとんど普及しなかった事もあって、全世界累計で600万台を販売するなど海外ではメガCD(北米での名称はSEGA CD)が事実上、CD-ROMドライブユニットとしての一番手の役割を担った。
動画の使用を前提に設計されたメガCDには、上記のソフト以外に『ヘブンリーシンフォニー 』、『スターウォーズ レベルアサルト』や『ジュラシックパーク』、『マイクロコズム』、『トムキャットアレイ』のような実写・特撮・ポリゴンを素材にしたソフトが多く発売されており、それがメガCDの特色となっていた。
仕様
メガドライブに採用されているFM音源 YM2612
メガドライブ・ジェネシス本体はほとんどの部分を世界共通にしており、カートリッジのピン配列も共通で、リージョンコード のみ基板上のジャンパーで設定していた。リージョンチェックがあるため、通常はリージョンの違うソフトを使用できないが、ジャンパー部分に改造を施して日本国外製のソフトをプレイするユーザーもいた。その後、リージョンコードを変換する海外製の中間アダプタが輸入されるようになり、本体を改造する必要はなくなった。なお、リージョンフリーの海外製ソフトもあり、そのようなソフトはカートリッジロック用のアームを除去すればそのまま挿して使用できる。
CPU(MPU)
メインCPU:MC68000 (7.67MHz /NTSC 、7.60MHz /PAL )
メイン側からサウンド処理をすることも可能。テラドライブ では東芝 製のものが搭載されており、10MHz動作も可能である。
サブCPU(サウンド処理・外部通信の制御):Z80 A(3.58MHz/NTSC、3.54MHz/PAL)
別売りオプションのメガアダプタ を使用した際には、サブのZ80がメインCPUとして互換動作する。
本家のザイログ製よりもセカンドソースのシャープ製の方が多く使用されておりロットによりNEC製などの同等品も使用されていた。
RAM
メインメモリ(68000用):64KB
サブメモリ(Z80用):8KB
VRAM:デュアルポートDRAM 64KB(32KB×2)
テラドライブのVDP用VRAMは倍の128KBが搭載されている。
VDP(315 - 5313)
ヤマハ製のメガドライブ専用カスタムチップである[ 注 11] 。
画面表示:NTSCには横320または256ドット×縦224ライン(インターレース 表示で縦448ラインも可能)
PALには横320または256ドット×縦240ライン(インターレース 表示で縦480ラインも可能)
同時発色数:512色[ 注 12] 中64色(16色×4パレット[ 注 13] )
この通常性能を2倍の128色に高めることも可能であった[ 37] 。発色数の増加には後述のシャドウ・ハイライト機能を利用するソフトもある。
表示のみではなく、旧機種互換の音源の機能も内包している。
スプライト
1画面:最大80個
画面表示が横320ドット時に1ラインあたり20個まで表示できる。
画面表示が横256ドット時は1ラインあたり16個まで表示できる。
スプライトのサイズは最小8×8ドットから最大32×32ドットまで8ドット単位で16種類のサイズをスプライト毎に指定できる。また、画面上方で表示したスプライトを画面下方で再利用することにより1画面上のスプライト表示数を増やす「スプライトダブラー」という技法が使われていた。
スクロール
2画面(独立球面スクロールが可能) - 2つのスクロール面を合成して表示できる。各スクロール面のサイズは256×256ドットの画面を最大4画面連結したサイズ(512×512ドット、1024×256ドット、256×1024ドット)まで指定できる。
水平スクロール - 画面全体のスクロール以外に8ライン単位もしくは1ライン単位に独立して表示位置を指定できる。1ライン単位のスクロールはラスタースクロール 機能と呼ばれ、擬似的な遠近表現、空間の歪みなどの演出に多用された。
垂直スクロール - 画面全体のスクロール以外に横16ドット単位に独立して表示位置を指定できる。水平スクロールの機能と組み合わせてある程度の角度までは画像の回転処理も可能であった。国内では『ダイナマイトヘッディー』『ガンスターヒーローズ』『ヴァンパイアキラー』『ジノーグ』などに使われている。
特殊機能
シャドウ・ハイライト機能 - スプライトもしくはBGをマスクにして画面の一部の輝度を変更することで、限定的な半透明処理が行える。
主に影や光の表現に使われており、国内の使用例では『スペースハリアーII』『エクスランザー』『ヴァンパイアキラー』などがある。
ウィンドウ機能 - 1つのBG画面はスクロールとは無関係に一部の表示位置を固定したままにすることが可能で、主にゲームのスコア表示部分などに使われる。
インターレースモード - データ量を増やさないで描写回数を増やすモード。
内蔵音源
ヤマハ 製YM2612 (OPN2 7.67MHz)[ 注 14] :ステレオ FM音源 6ch
内1chを8ビットリニアPCM として使用が可能で、再生レートはCPUに依存する。音質はメーカーおよびドライバに依存する。
テキサス・インスツルメンツ 製SN76489 相当の 3ch+ノイズ 1ch
メガアダプタ使用時の下位互換性が考慮され、セガ・マークIIIと同じ音源をVDP内に搭載している [要出典 ] 。セガはこの音源をPSG音源と称していた[ 38] [ 39] 。
採用にあたって、チップそのものを製造している半導体部門は快諾したが、FM音源の知的財産権を管理していた楽器部門は、これが横流しされたりメガドライブ本体から抜き取られたりしてシンセサイザー のコピー品を作られてしまうことを危惧し、難色を示していた。最終的にはセガ側が当時のヤマハの社長であった川上浩 に直談判し、採用にこぎ着けた。
スロット
カートリッジ用:1スロット(スロット保護用の自動開閉式シャッターつき)
メガドライブ用ソフトのロムカセット および、周辺機器メガアダプタ 、スーパー32X の接続が可能。
本スロットには、電源投入中のカセット抜去を防止するためのロックアームが付いている。メガドライブ本体を振った時にカラカラと鳴るのはこれが原因である。電源スイッチをスライドさせることで、カートリッジ左側の切れ込みにアームが入る機構であるが、右側はロックされていないため、知らずに引き抜くと左側だけ引っかかり歪な抜け方をする。
拡張用:本体側面に1スロット。周辺機器メガCD /メガCD2の接続に使われる。
本体の開発当時は、2インチのフロッピーディスク ドライブの接続も予定されたが[ 41] 、発売されなかった。
出荷時はスロットカバーが取り付けられている。
接続端子
コントロール端子:2ポート
SC-3000 から継続してATARI規格 に準拠したD-sub 9ピンコネクタ(オス)が採用された。
拡張コントロール端子(初期モデルのみ):1ポート
初期モデルはD-sub 9ピンコネクタ(メス)のシリアルポート (300 - 4800bps)が採用され、メガモデム 、メガターミナル[ 1] 等の取り付けが可能である。後期モデルのメガドライブ2では削除された。
A/V出力端子:1ポート
初期モデルは 8ピンDINコネクタ (メス)が採用され、コンポジット映像信号・RGB信号(コンポジットシンク)・モノラル 音声信号が出力されている。後期モデルのメガドライブ2は9ピンミニ DINコネクタ (メス)が採用され、コンポジット映像信号・RGB信号(コンポジットシンク)・モノラル音声信号・ステレオ音声信号が出力されている。
ビデオエンコーダー(RGB信号からNTSC 方式のコンポジット映像信号に変換)はソニー製のCXA1145が搭載されている。
付属品のAVケーブルの映像はコンポジット映像信号 (ビデオ 端子)、音声は当時の一般家庭に普及していたテレビの仕様に合わせてモノラルである。
なお、S端子 やRGB 接続ユニットが電波新聞社 などサードパーティー から発売された。セガ純正ではフランス 向けのみにRGB接続ケーブルが付属された。
ACアダプタ端子:1ポート
初期モデルは専用ACアダプタ(DC 9V )が1個付属された。消費電力は約13W である。後期モデルのメガドライブ2ではEIAJ規格の専用ACアダプタ(DC10V)が1個付属された。消費電力は約7Wに下がった。
ヘッドホン端子(初期モデルのみ):1ポート
3.5mm 径ミニプラグ が採用されており、上記A/V出力端子の理由から音量調節用のヘッドフォンボリュームも装備している。
本体開発スタッフの「ユーザーにステレオサウンドを聴いてもらいたい」との意向で本体前面にヘッドホン端子が装備されることになった[ 41] 。初期の本体ではノイズ が混入している場合があるなど、基板リビジョンにより出力は大きく異なっている。
後期モデルのメガドライブ2ではステレオ出力が可能になったためヘッドホン端子とヘッドホンボリュームは削除された。
コントロールパッド
デザインは手にフィットすることを念頭に曲線主体で手にすっぽり収まる形とした[ 42] エルゴノミクスデザインを意識したパッドである。トリガーボタンもこれに合わせて斜めに配置された。
初期標準パッドでは方向ボタン・スタートボタン・トリガーボタン(A・B・Cの3ボタン)で構成された。ただし方向ボタンは斜め方向へ入りやすく、操作には多少の慣れが必要だった。クライマックス の内藤寛 はこの操作性を逆手に取って、ゲーム画面を斜め見下ろし型にした『ランドストーカー 皇帝の財宝』を開発したという[ 43] 。
後期標準パッド(ファイティングパッド6B)はメガドライブ2から標準装備された。初期標準パッドで指摘されていた方向ボタンの問題点を解消し内部的にはジョイスティックに近い構造になっている。ボタンは当時流行していた格闘ゲームに対応させるために新たにX・Y・Zの3つが増設され合計で6つのボタンになった。modeボタンを押しながら本体を起動することでX・Y・Zボタンを無効にすることができ、6ボタンパッドでは誤動作を起こすごく一部のタイトルについても使用可能となる。良好な操作性はユーザーから高く評価され方向ボタンの構造はセガサターンの標準パッドに受け継がれていった。
事業展開
ライセンス事業
セガは日本国外での販売にディストリビューターを活用しており、また国によってはライセンスによる製造も認めていた。Tectoy 、サムスン電子 、マジェスコ・エンターテインメント などがそれで、互換機市場が作られていった。
既に特許は切れており、ノンライセンスで製造された互換機[ 注 15] も発売されている。
広報
セガ関連の情報は当初『ファミ通』のような雑誌で取り上げられることは少なかった。これは、セガ社内の各部署が独自に情報を公開し、広報の一元管理がされていなかったことが原因であった。当時のユーザーは雑誌広告や雑誌の記事に加えテレビCMを見て、その評価をもとにしてソフトを購入するのが一般的であった。そのためこの状況はメガドライブの事業展開に不利に働いた[ 34] 。
この問題は次世代機の発売を翌年に控えた1993年、セガに竹崎忠が入社して一元管理体制が整うことでようやく解消されることとなった。『ファミ通』に記事が掲載されるようになったのはその半年後になる[ 44] 。
サードパーティー
メガドライブの発売を機に、セガはサードパーティー 制に本腰を入れるようになった[ 11] [ 注 16] 。
テクノソフト
メガドライブのサードパーティーで一番に名乗りを上げたメーカーで、『サンダーフォースII』の移植では見た目の美しさという視点をセガに認識させた[ 45] 。
ゲームアーツ
代表取締役 社長 の宮路洋一 は会社設立当初からCD-ROMの重要性を認識しており、パソコンメーカー各社にCD-ROMドライブ搭載パソコンを作るように依頼していた。CSK を介した情報ルートによってメガドライブ用CD-ROMドライブの開発を知るとメガドライブに参入し、それと同時に本業をパソコンゲーム からメガドライブ・メガCD用タイトルのリリースに切り替えた。これは、当時のセガ親会社 であるCSKがパソコンゲームをリリースしていた時に流通委託 を行っていたことがきっかけでゲームアーツとCSKとの関わりが深かった。
メガCDのメモリが計画当初2Mビットだった時期に、メモリの増強を強く要望し、セガに対してメガCDのメモリを6Mビットに拡充させるきっかけとなった[ 46] 。
テンゲン
セガにマルチタップの企画を持ち込んだ会社。元々は同社移植作品『ガントレット 』の4人同時プレイの実現のため、開発会社のM2が設計したものだった[ 47] 。
ネットワーク事業
メガドライブでは外部ネットワークを利用した通信対戦やゲーム配信事業を行っていた。
ゲーム図書館
電話回線を利用した配信事業。ゲームだけでなくセガ・ネット・ニュースという情報サービスもあった。サービスの利用料金は月額制。家庭用ゲーム機で本格的な通信を導入した先駆的なサービスだった[ 48] 。
セガチャンネル
ケーブルテレビ回線を利用した配信事業。ゲーム図書館とは違いサードパーティーを含めROMですでに販売されていたゲームを配信していた。ゲームソフトだけでなく『プラネットメッセージクイズ』や『入試直前チェック難問奇門危機解快』のような学習ソフトの配信も行われた。
バリエーション
(→メガCD も参照のこと)
NOMAD
Victor ワンダーメガ
セガ製
メガドライブ(HAA-2510)
初期型。1988年10月29日発売。価格21,000円。
メガドライブ2[ 49] (HAA-2502)
メガドライブの廉価版。本体が小型化され、AV端子の形状が変更されてステレオ出力になった。6ボタンパッド1個付属。メガCD/メガCD2も接続可能。ヘッドホン端子は削除された。1993年4月23日発売。価格12,800円。
ワンダーメガ[ 50] (HWM-5010)
メガCD一体型のメガドライブ。MIDI 出力、S端子 などを備える。CDドライブはトップローディングだが、開閉は電動式。1992年4月24日発売。価格:79,800円。
マルチメガ
メガCD一体型のメガドライブ。国内では未発売。海外では1994年発売。
メガジェット[ 49]
本体・6ボタンコントローラ一体型のメガドライブ。駆動は商用電源 のみ、画面は通常のテレビに出力して使用する。元々は旅客機内の貸し出しサービス用として日本航空 と共同開発したもののため周辺機器による機能の拡張は元から考慮されていない。1994年3月10日一般発売。価格15,000円。
ノーマッド
海外のみで発売。液晶画面を搭載し単3電池6本で駆動する携帯ゲーム機。コントローラー端子も装備され一つの画面で2人プレイも可能。別途ケーブルでテレビ画面への出力も可能。周辺機器による機能の拡張は元から考慮されていない。
他社製
ワンダーメガ(RG-M1)(日本ビクター (後のJVCケンウッド ))
1992年4月発売。
1992年度のグッドデザイン賞を受賞した[ 51] 。
ワンダーメガM2(RG-M2)(日本ビクター)
1993年7月発売。
その他
LDゲーム機・レーザーアクティブ (パイオニア )に装着して使用するコントローラーパック、アイワ 製のCDラジカセ型のものなどのバリエーションが存在していた。
周辺機器
セガ純正
型番
名称
備考
発売日
メガドライブカートリッジ
カートリッジのみの販売はない。
HAA-2600
メガアダプタ
セガ・マークIII /セガ・マスターシステム のソフトを使うためのアダプタ。SG-1000 用のカートリッジやマイカードは使用不可で、FM音源にも非対応。
1989年1月26日
HAA-2650
アーケードパワースティック[ 49]
HAA-2651
セガマウス[ 49]
正式名称は、メガドライブ用マウス /マイクロトラックボール。 SEGAロゴが入ったマウスパッドが同梱されており、裏返すとトラックボール としても使用が可能な自動切換機能が内蔵されている。
1993年4月23日
HAA-2652
セガタップ [ 49]
『ガントレット』制作時に4人同時プレイを実現させるために、M2社内で作られた。「生産まではまだ確約出来ないけど、生産出来なくてもマニュアルに回路図載せるってのでどう?」という意見があり、セガに持ち込んだ結果、純正品として発売された。 セガから発売されたものは4つの端子の1つのみを有効にする機能を持つセレクターの役目も兼ねており、これを経由していれば用途に応じてコントローラーの切り替えができた[ 52] 。『ガントレット』の開発では「メガモデムの端子を使ってメガドライブを2台繋げてみたい」という案[ 注 17] もあった。
1993年4月23日
HAA-2653
赤外線レシーバー
SJ-6500の赤外線レシーバー。
1993年11月
HAA-2654
コードレスパッドセット
SJ-6500と赤外線レシーバーのセット。
1993年11月
HAA-2801
RFユニット
メガドライブ2、スーパー32X用
1993年4月23日
HAA-2810
モノラルディンプラグコード
メガドライブ2、スーパー32Xに付属。
HAA-2811
ステレオディンプラグコード
メガドライブ2およびスーパー32Xのみ使用できる赤・黄・白のステレオディンプラグコード。
HAA-2910
メガCD
メガドライブ専用CD-ROM ドライブ。
1991年12月12日
HAA-2912
メガCD2
1993年4月23日
HAA-2931
メガCDカラオケ
1992年11月18日
HAA-2932
カラオケマイク
1992年11月18日
HAA-2951
メガモデム
モデム 。セガ・ゲーム図書館などに使用。 ゲーム図書館専用ゲームソフトのダウンロード配信や、一部ソフトによる通信対戦にも対応している。
1990年11月3日
メガアンサー テンキーパッド
特殊カートリッジ
カートリッジ内にセガバーチャプロセッサと呼ばれる頂点計算用の乗算器を搭載したカートリッジ。対応ソフトは『V.R. バーチャレーシングMD 』のみ。
1994年3月18日
ロックオンカートリッジ
カートリッジ上部の端子に他メガドライブ用カートリッジを装着することができるカートリッジ。対応ソフトは『ソニック&ナックルズ 』のみ。
1994年10月18日
HMA-0001
スーパー32X
メガドライブを32ビット機にするアダプタ。
1994年12月3日
スーパー32X専用カートリッジ
カートリッジのみの販売はない。
HSC-0101
セガチャンネル 専用レシーバーカートリッジ
ケーブルテレビ回線を使用してメガドライブ用ゲームソフトの配信を行うサービス『セガチャンネル』専用のカートリッジ。
1994年6月
G-2920
バックアップ RAMカートリッジ[ 50]
メガCDの各種セーブデータを保存・管理する補助記憶装置。 記憶容量はメガCD内蔵バックアップRAMの約16倍に相当する2045ブロック1Mビット (128KB)。
1992年3月20日
SA-160
ACアダプタ
メガドライブ1、メガCD1、メガCD2、メガCDカラオケ用
SA-170
ACアダプタ
ワンダーメガ用
1992年4月24日
SA-190
ACアダプタ
メガドライブ2、スーパー32X、セガチャンネル専用レシーバーカートリッジ用。
1993年4月23日
SD-80
モノラルディンプラグコード
メガドライブ1に付属。マークIIIでも使用可能。
SJ-3500
コントロールパッド[ 49]
本体に一つ同梱。
SJ-6000
ファイティングパッド6B[ 49]
6ボタンジョイパッド。メガドライブ2には標準で付属。 旧型の3ボタンコントロールパッド(SJ-3500)に比べて操作性が向上している。
1993年1月
SJ-6500
コードレスパッド6B[ 49]
赤外線 を用いたワイヤレスコントローラ。単四乾電池2本必要。
1993年11月
SJ-6600
アーケードパワースティック6B[ 49]
アーケード用のレバーとボタンを採用しており、A・B・C・X・Y・Zの6ボタンに個別対応した1秒間に6 - 24発までの無段階スライド式連射調節機能と、通電中でも変更が可能な3-6ボタン切り替えスイッチを装備している。
1993年12月17日
SS-70
RFオートスイッチ
メガドライブ1用
未発売
開発されたが、発売されなかった周辺機器。
サードパーティー(ライセンス商品)
型番
名称
発売元
備考
MEGA S-01
S端子ユニット
サンタ
初期型メガドライブ専用S端子+ステレオ音声出力アダプタ。黄色いRCA端子 にはモノラル音声が割り当てられているため、コンポジットビデオ ではない[ 53] 。
MEGA S-02
S端子ユニット
MEGA S-01のメガドライブ2以降用。
XMD-2 RGB/S
アナログRGB/S端子ユニット
マイコンソフト
初期型メガドライブ専用アナログRGB/S端子+ステレオ音声出力アダプタ。
XMD-3 RGB/S
アナログRGB/S端子ユニット
XMD-2 RGB/Sのメガドライブ2以降用。
AA-S95
ACアダプタ
ビクター
ワンダーメガ用ACアダプタ
RG-CP1
コントロールパッド
ビクター製ワンダーメガ同梱。3ボタンコントロールパッド。
RG-CP2
コードレスパッド
ワンダーメガM2同梱。コードレスパッド。
RG-CP3
コントロールパッド
6ボタンコントロールパッド。
GM-1P
コントロールパッド
アイワ
メガCDラジカセ同梱。3ボタンコントロールパッド。
AS-0518
アスキーパッドMD-6
アスキー
AS-9981-MD
ファイタースティックMD
IMD-01
イマジニアデジタルパッドMD
イマジニア
CP-SO1CAM
カプコンパッドソルジャーMD
カプコン
CPS-A13CA
カプコンパワースティックファイターMD
メガドライブ用のカプコン純正スティック。
JE510
ジャスティファイアー
コナミ
リーサルエンフォーサーズ で使用できる銃型コントローラ。
XE-1AP
アナログジョイパッド
マイコンソフト
XE-1ST2
ジョイスティック
M-10001
コントロールパッド 達人
ムーミン
ソフトウェア
セガはSG-1000 やマークIIIで任天堂に及ばなかった経験から、キラーソフト となり得るローンチタイトル の必要性を感じており、『テトリス 』に着目し、テンゲン からライセンスを受けて、業務用を発表した。これがヒットし、メガドライブ用に移植したものを開発したが、この動きを察知した任天堂がELORG と交渉し、家庭用の独占販売権を契約。後にアメリカでテンゲンと任天堂が裁判となり、任天堂が勝訴。敗訴したテンゲンからライセンスを受けていたセガは日本国内でも裁判沙汰になることを避け、テトリスの発売を諦めた。
セガのCSチームにはMC68000の開発経験がなく、このことは初期のソフト不足に影響した[ 30] 。ソフト売上は全世界累計で1億7,500万本である。
また非公認ソフトもメガドライブ展開中から発売されていたが、2010年に『ピアソーラーと偉大なる建築家 』が発売されて以降、日本国内外で数10タイトル発売されている。
またゲーム以外のソフトウェアとして以下のものが存在する。
発売日
タイトル
発売元
備考
1990年11月3日
ゲーム図書館
セガ
メガモデム必須。電話回線を利用してゲームやSega Net Newsなどを配信していた[ 55] 。 サービス終了済み。
1990年
メガアンサー
セガ
ホームバンキングシステムで、プリンタなどの周辺機器と併用[ 56]
1991年4月6日[要出典 ]
日刊スポーツプロ野球VAN
セガ
テンキーパッド専用、メガモデム必須[ 55] 。サービス終了済み。
1991年6月
セガ・ミュージックコレクション
セガ
『ゲーム図書館』で『ファンタシースターIII』、『ボナンザブラザーズ』、『ソニック・ザ・ヘッジホッグ』のBGMを配信。
1991年
スミセイホーム端末
セガ
メガアンサー専用。非売品
大阪銀行のホームバンキングサービス マイライン
メガアンサー専用
ナイスくんミニ
名古屋銀行
メガアンサー専用
1992年12月25日
ワンダーMIDI
ビクター
ワンダーメガ 専用のMIDI デコーダーカートリッジ。
1993年10月8日
ワンダーライブラリ
ビクター
電子ブック規格 の8センチCD を再生可能にするデコーダーカートリッジ。
CD-ROM マルチセミナー 音声解析・波形表示カートリッジ
Linguaphone Education Gear の語学学習カートリッジソフト
1992年[ 60]
The Miracle Piano Teaching System
The Software Toolworks[ 60]
ピアノ練習用ソフト[ 60] 。 88鍵の専用キーボードが同梱[ 60] 。
1995年
Flux
ヴァージン・インタラクティブ・エンタテインメント[ 61]
オーディオ・ビジュアライザ[ 61] 。 ビジュアルエフェクト機材として、1995年開催のグラストンベリー・フェスティバル とフェニックスフェスティバル (英語版 ) で使用[ 61] 。
専門誌
以下の二誌はPCエンジン専門誌の増刊号として隔月刊行された。
以下の6冊は海外で発売されたメガドライブの専門誌。
反響
任天堂やNECホームエレクトロニクスなどのライバルメーカーに先駆けて16ビット機であることをアピールして発売した本機は発売後すぐに売り切れるほど好調であり[ 11] 、国内外において当時遊んだプレイヤーたちに影響を与えた。
海外での評価
レッドブル・ミュージックアカデミーが配信した日本のゲーム音楽に焦点を当てたドキュメンタリー『ディギン イン ザ カーツ』(DIGGIN' IN THE CARTS)のエピソード4「クール・キッズ」で『ベア・ナックル 怒りの鉄拳』をはじめとしたメガドライブやセガのゲームミュージックを特集しており、古代祐三などにインタビューが行われている[ 62] 。
2012年3月16日にアメリカのスミソニアン美術館で開催された「The Art of Video Games 」展では『Sonic CD』『Phantasy Star 千年紀の終わりに』などが展示された。アメリカのザ・ストロング国立遊び博物館がゲーム業界や大衆文化・社会に影響を与えたゲームの認知向上を目的にした世界ビデオゲームの殿堂 の第2回目では日本から『ソニック・ザ・ヘッジホッグ』他2作品(『ゼルダの伝説』、『スペースインベーダー』)が選出された[ 63] 。
販売終了後の展開
21世紀に入ってもセガ非公認でメガドライブ(大抵は「MD」という表記)用ソフトが動くゲーム機(互換機)や、「MD用ソフト」がリリースされた。なお、セガ自身はメガドライブ ミニのような過去作の復刻を定期的に行っているが、少なくとも2016年現在でメガドライブの完全新作をサードパーティーに正式許諾(ライセンス)する意思は無いとの姿勢を示している[ 64] 。
2018年6月5日には30周年記念ポータルサイトが開設された。
復刻版
メガドライブ プレイTV
2004年9月9日発売
メガドライブ プレイTV2、3
2005年4月2日発売
メガドライブ ミニ
2019年9月19日発売
メガドライブ ミニ2
2022年10月27日発売
他機種でのプレイ
コラボレーション
メガドライブと異業種とのコラボ商品が発売されている。
2014年末にトランスフォーマー とのコラボでタカラトミーから『メガドライブメガトロン』が発売された[ 67] 。
アパレルでは「しまむらxセガハードコラボシリーズ」が展開されている。2016年のコラボ商品はスウェットであった[ 68] 。同様のコラボはコスパ・タブリエグループの「コスパ」ブランドでも行われてきており、2015年は「メガドライブ ワッペンベースワークシャツ」や「メガドライブカートリッジ フルグラフィックTシャツ」[ 69] 、2016年は「16-BIT」のデザインを使ったシルバーリングであった[ 70] 。
脚注
注釈
^ 別売のコードレスパッドを使用
^ トレジャーの『エイリアンソルジャー 』ではゲームタイトル画面にはこのキャッチコピーと共に「FOR MEGADRIVERS CUSTOM」と表示される。
^ 後年メガドライブ ミニのプロモーション映像ではこの先例を踏まえ、いとうせいこう が再びナレーションを担当した。
^ メディアクリエイト の集計では販売本数は10万本としている[ 6] 。
^ これを190万台と証言している場合もある[ 7] 。
^ 単年度のシェアでは国内二位に付けることもあった。日経産業新聞「主要100品目シェア 各年度版」によると1993年には任天堂が91.3%、セガが4.1%、NECが3.0%であった[ 9] 。
^ オーストラリア含む[ 24] 。
^ ただし業務用チームと家庭用チームの交流がほとんどなく、実際には利用できなかった。
^ 当時アメリカでは100万台以上売れた。
^ この結果を受け、セガはモトローラから大手顧客として表彰された[ 30] 。授賞式に出席したのは価格交渉も行ったセガの佐藤秀樹だが、後に「モトローラもちだからファーストクラスに乗った。」「空港で荷物が出てこなかった。」というエピソードを語っている[ 31] 。
^ システムチップもヤマハ製の専用品である。
^ 同時発色数自体はセガ・マークIIIと同数である。
^ この問題を補うため、およびスーパーファミコンの半透明処理的な手法の代替として「タイリング」と「メッシュ」という手法も使用された(スタークルーザー、ソニック・ザ・ヘッジホッグ、ファイナルファイトCDなど)。
^ 富士通 の32ビット パソコンFM TOWNS にも搭載されている。
^ レトロフリーク、RETRON(シリーズ)、FCツイン+MD、GAME JOYなど。
^ 制度を始めたのはマークIIIから。それ以前のSC-3000などのセガ家庭用ハードではコンパイル やエスケープ などがセガ発売のソフトの開発を担当していた。
^ 過去にマークIIIで「F16ファイティングファルコン」の通信対戦の事例がある
出典
参考文献
Scullion, Chris (2021). The Sega Mega Drive & Genesis Encyclopedia . England : Pen & Sword Books Limited. ISBN 978-1-52674-6597
『BEEP! メガドライブ』第7巻第7号、ソフトバンク、1991年7月1日。
『BEEP! メガドライブ』第9巻第1号、ソフトバンク、1993年1月1日。
『BEEP! メガドライブ』第9巻第7号、ソフトバンク、1993年7月1日。
佐藤秀樹『元社長が語る! セガ家庭用ゲーム機開発秘史』徳間書店 、2019年9月30日。ISBN 978-4-19-864984-5 。
関連項目
メガドライブの亜種など
その他
テレビ番組
外部リンク
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^ https://www.famitsu.com/news/201912/15189005.html ファミ通.comより