ラグビーナミビア代表

ラグビーナミビア代表
ユニオン ナミビアラグビー協会
愛称 ウェルウィッチアス
エンブレム サンショクウミワシ
グラウンド ヘイジ・ガインゴブ・ラグビースタジアム
ヘッドコーチ ナミビアの旗 ジャック・バーガー
主将 ヨハン・ディーゼル
最多キャップ ユージン・ヤンチース (68)
最多得点選手 ティエンス・クッツァ (344)
最多トライ選手 ゲルハルト・マンス (27)
ファースト
ジャージ
セカンド
ジャージ
初国際試合
南アフリカの旗 南西アフリカ 0 – 9 ブリティッシュ・ライオンズ
(1955年7月5日)
最大差勝利試合
 ナミビア 112 – 0 マダガスカル 
(2002年6月15日)
最大差敗戦試合
 オーストラリア 142 – 0 ナミビア 
(2003年10月25日)
ラグビーワールドカップ
出場回数 7 (1999年初出場)
最高成績 プール4位 (1999, 2019)
テンプレートを表示

ラグビーナミビア代表は、ナミビアラグビー協会によるラグビーユニオンのナショナルチームである。愛称は、長期の繁栄と不屈の精神を意味する植物の名「ウェルウィッチアス」。

概要

地理的に南アフリカ共和国と隣接している。アフリカ大陸では、南アフリカ共和国 (スプリングボクス) に次いで2位の実力を誇るが、スプリングボクスとの実力差は大きい。

そのため、効果的な強化が行いにくいのが難点であり、この点では他大陸の中堅国に比してもまだまだ発展途上だといえる。一方でスプリングボクスと合宿を行うなどの強化策も実施している。

ワールドカップの初出場は1999年大会。以来連続出場を果たしているが、本大会では全敗中である。特に2003年大会オーストラリア (ワラビーズ) に0-142で敗れ、これはワールドカップでの最大点差となっている。

2015年大会ジョージア戦では16-17と敗れたが、初めて7点差以内の敗戦に与えられるボーナスポイント1を獲得した。

2019年大会では釜石で行われる予定だったプール最終戦のカナダ戦が令和元年東日本台風(台風19号)の影響で中止になったことで、得失点差でカナダを上回り初めてプール最下位を免れた。なお中止になった後、カナダは釜石に残ってボランティア活動で泥のかき出しを行い、そしてナミビアは合宿地の宮古市でファン交流会を開き、被災者らを励ました[1]

ワールドカップの成績

ワールドラグビー男子ランキング

ワールドラグビーが発表するデータにもとづく。

上位30チーム(2025年7月21日時点)[3]
順位 変動* チーム ポイント
1 増減なし  南アフリカ共和国 092.78
2 増減なし  ニュージーランド 092.06
3 増減なし  アイルランド 089.83
4 増減なし  フランス 087.82
5 増減なし  イングランド 087.64
6 増減なし  オーストラリア 082.08
7 増減なし  アルゼンチン 082.05
8 増減なし  スコットランド 081.57
9 増減なし  フィジー 080.50
10 増減なし  イタリア 077.77
11 増減なし  ジョージア 074.69
12 増減なし  ウェールズ 074.05
13 増減なし  サモア 072.48
14 増減なし  日本 072.29
15 増減なし  スペイン 069.12
16 増減なし  アメリカ合衆国 068.45
17 増減なし  ウルグアイ 067.52
18 増減なし  ポルトガル 066.44
19 増減なし  トンガ 065.46
20 増減なし  チリ 063.83
21 増減なし  ルーマニア 062.67
22 増減なし  ベルギー 061.20
23 増減なし  香港 059.98
24 増加2  ジンバブエ 058.80
25 減少1  カナダ 057.75
26 増加1  オランダ 057.01
27 減少2  ナミビア 056.86
28 増減なし  ブラジル 055.90
29 増減なし  スイス 055.26
30 増減なし  ポーランド 054.06
*前週からの変動
ナミビアのランキングの推移

生のグラフデータを参照/編集してください.

出典: ワールドラグビー[3]
推移グラフの最終更新: 2025年7月21日


選手

現在の代表

ウェルウィッチアススコッド

選手 ポジション 誕生日 (年齢) キャップ チーム
アルマン・コンブリンク フッカー (1997-04-17) 1997年4月17日(28歳) 4 南アフリカ共和国の旗 マーティーズRC
トルステン・ファンヤースフェルト フッカー (1987-06-30) 1987年6月30日(38歳) 24 フランスの旗 バイヨンヌ
ルイス・ファンデルウェストヘーゼン フッカー (1995-02-25) 1995年2月25日(30歳) 37 南アフリカ共和国 チーターズ
オトジャ・アウアラ プロップ 0 ナミビアの旗 ナミビア大学
ジェイソン・ベナーディ プロップ (1995-04-16) 1995年4月16日(30歳) 23 ナミビアの旗 ナミビア大学
ヨハネス・クッツェー プロップ (1988-03-14) 1988年3月14日(37歳) 38 南アフリカ共和国 チーターズ
シドニー・ハフぺ プロップ 1 ナミビアの旗 ウィッツRC
ハイテンブ・シクファ プロップ (2000-11-28) 2000年11月28日(24歳) 10 南アフリカ共和国の旗 ノースウェスト大学
アドリアン・ルディック ロック (1998-07-22) 1998年7月22日(27歳) 14 フランスの旗 リモージュ
オリバー・クルツ ロック (2003-01-28) 2003年1月28日(22歳) 0 日本の旗 立正大学
ティアン・デクラーク ロック (2001-06-12) 2001年6月12日(24歳) 4 南アフリカ共和国の旗 ピューマズ
ヨハン・レティーフ ロック (1995-10-10) 1995年10月10日(29歳) 31 ロシアの旗 クラスニヤール
アドリアン・ボーイセン バックロー (1996-05-17) 1996年5月17日(29歳) 24 ナミビアの旗 ワンダラーズRC
ウィアン・コンラディ バックロー (1994-10-14) 1994年10月14日(30歳) 34 アメリカ合衆国の旗 ニューイングランド・フリージャックス
プリンス・ガオセブ バックロー (1998-07-07) 1998年7月7日(27歳) 19 ルーマニアの旗 CSAステアウア・ブクレシュティ
リチャード・ハードウィック バックロー (1994-05-31) 1994年5月31日(31歳) 7[注釈 1] フランスの旗 FCグルノーブル
マックス・カチエコ バックロー (1995-04-08) 1995年4月8日(30歳) 31 ルーマニアの旗 CSAステアウア・ブクレシュティ
AJ・カーンズ スクラムハーフ 4 ナミビアの旗 ナミビア大学
ジャック・トゥロン スクラムハーフ (1999-03-22) 1999年3月22日(26歳) 10 ナミビアの旗 ワンダラーズRC
ティアン・スワネポール フライハーフ (1996-06-04) 1996年6月4日(29歳) 8 南アフリカ共和国 シャークス
アンドレ・ファンデルベルフ フライハーフ (1998-01-23) 1998年1月23日(27歳) 8 ナミビアの旗 ワンダラーズRC
ダンコ・ブルゲル センター (1998-07-28) 1998年7月28日(26歳) 16 ナミビアの旗 ワンダラーズRC
ルルー・マラン センター (1999-03-31) 1999年3月31日(26歳) 4 アメリカ合衆国の旗 ニューイングランド・フリージャックス
アルシノ・アイザックス ウイング (1993-11-16) 1993年11月16日(31歳) 10 ナミビアの旗 ナミビア大学
ユルゲン・マイヤー ウイング 1 ナミビアの旗 ワンダラーズRC
ダニー・ヴァン・ヴェル・メルヴェ ウイング 1 ナミビアの旗 ワンダラーズRC
ジャイシー・ネル英語版 フルバック (1999-01-07) 1999年1月7日(26歳) 4 南アフリカ共和国の旗 ピューマズ
クライヴェン・ルーバー フルバック (1997-02-24) 1997年2月24日(28歳) 29 アメリカ合衆国の旗 アンセム・ラグビー・カロライナ

※所属、 キャップ数(Cap)は2025年7月5日現在

歴代代表選手

脚注

注釈

  1. ^ オーストラリア代表通算2キャップ

出典

  1. ^ INC, SANKEI DIGITAL (2019年10月13日). “カナダとナミビアのラガーマンらが被災地で心温まる支援”. 産経ニュース. 2019年10月14日閲覧。
  2. ^ 当時ナミビアは南アフリカ共和国の委任統治領(南西アフリカ)であったため、ナミビアという国自体がまだ存在しなかった。よって、国代表格のナミビア代表もまだ設立されていなかった。(それが設立されたのは、1990年に南アフリカ共和国からナミビアとして独立し、同年に国レベルのラグビー協会であるナミビアラグビー協会が設立された時であった。)
  3. ^ a b Men's World Rankings”. ワールドラグビー. 2025年7月21日閲覧。

関連項目

外部リンク

Prefix: a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z 0 1 2 3 4 5 6 7 8 9

Portal di Ensiklopedia Dunia

Kembali kehalaman sebelumnya