外山惠理
外山 惠理(とやま えり、1975年10月22日 - )は、日本のアナウンサー、ラジオパーソナリティである。東京都墨田区出身、慶應義塾大学文学部卒業。 来歴学生時代大学時代はチアリーディング部(慶應義塾大学チアリーダーズUNICORNS)で活躍していた。1998年発行の女子アナ写真集『We love TBS!!』(アスキー刊)や一部の週刊誌に当時の写真が掲載されていたほか、同年9月に開催されたイベント『アナウンサー大感謝祭』でもユニフォーム姿を披露していた。 アナウンサー試験は、親に内緒で受け続けていたが、選考が進んで行って局から自宅に電話がかかって来たことでバレたという[5]。 TBSに入社1998年4月にTBSへアナウンサー33期生として入社(同期は駒田健吾、新タ悦男)[6][7][8]。現在は主にラジオを担当している。 2000年5月、『土曜ワイドラジオTOKYO 永六輔その新世界』のアシスタントを務めていた堀井美香が2度目の産休に入ることになり、同年3月まで放送されていた次の番組『清水圭のスポーツコングDX』のアシスタントだった外山が、後任のアシスタントに起用される。ただ、それまでの外山の言動などから、局内外からアシスタント起用を疑問視・不安視する声があり、実際に番組にも抗議の投書が寄せられたこともあったという。しかし、永六輔の献身的なサポート[注 1]および厳格な教育の甲斐もあり、歴代のアシスタントで最も長くレギュラーを務め、やがて『外山惠理その新世界』と番組タイトルを永から冗談めかして語られるなど[注 2]、ラジオ『誰かとどこかで』の遠藤泰子と並び、パートナーとしての地位を築いた。外山は「永さんはラジオの師匠、先生」と敬愛、永の晩年の頃にはサポート役として、永の出演するイベントへ共に登場することもあった(毒蝮三太夫が主宰する寄席「マムちゃん寄席」のMCなど)。これらのため、永の逝去後のインタビューにおいて「会社を辞めようかと思った時期もありましたが『永さんがいるうちは絶対に辞めない』と続けてこられた」(要旨)と、語っている[10]。 隔週レギュラーで出演していた『夜な夜なニュースいぢり X-Radio バツラジ』では、その言動からパーソナリティの宮川賢に「ピノコ(PNK)」というあだ名をつけられていた[11]。また、アシスタントを務めている『爆笑問題の日曜サンデー』では、顔立ちから爆笑問題・太田光に「犬顔」や「ワンちゃん」と呼ばれている(元フジテレビアナウンサー・加藤綾子の愛称「カトパン」にあやかり、「トヤパン」と呼ばれたこともある)[12][注 3]。 『金曜ワイドラジオTOKYO えんがわ』で共演している玉袋筋太郎がメイン出演しているBS-TBSの番組『町中華で飲ろうぜ』には、最多回数ゲスト出演している[13]。 ラジオパーソナリティとして→「たまむすび#パーソナリティの交代」を参照
ラジオはウソをつかなくていいから楽[14]、とラジオが性に合っていることを公言している外山だが、ラジオパーソナリティとしてのキャリアは2017年4月に始まった。『たまむすび』メインパーソナリティで月曜から木曜担当の赤江珠緒が産休入りするにあたり、外山は木曜の代理パーソナリティに起用され、パートナーのピエール瀧と共演[15]した。翌2018年4月に赤江は復帰[16]したが、外山は金曜パーソナリティだった安東弘樹の退社・降板に伴う後任となり、曜日をスライドしてパートナーの玉袋筋太郎と共演[17]した。2022年9月には、番組イベントが日本武道館で開催され、外山は玉袋とともに和太鼓の演奏を披露[18]した。また、赤江の2020年のコロナ感染による休養期間をはじめ、月曜から木曜の多くの回に代演した。2023年3月をもって赤江の意向で「たまむすび」は終了したが、金曜のコンビ(外山・玉袋)は翌月から放送枠を継承した新番組『金曜ワイドラジオTOKYO えんがわ』[19][20]のパーソナリティ[21]となり、引き続き出演している。 人物名前 についてラテ欄においては旧字体を新字体に差し替える慣例から「外山恵理」の表記を用いることがある[注 4]。 性格「私、おもしろくないと笑えない、つまんないと顔に出ちゃうんです。喜怒哀楽が出やすい。特に怒(笑い)。よく言えば素直すぎる」と自己分析している[24]。 カメラが苦手で、本人曰く「5秒以上見ていられない」。小さい頃から笑顔の写真が少なく、写真撮影の時には急にぎこちなくなり、ホームページの写真も長く更新していないという[13]。テレビでは「何も思っていない時でも笑顔でいるのが難しい」ということで、アシスタントとして『チューボーですよ!』に出演していた頃には「あいさつもできない」などと書かれたことがあった[13]。 フリーになろうと思ったことはない[24]。会社で偉くなりたい気持ちもなく「今はラジオで話していたい。もっとラジオを聴いてくれる人が増えればいいと思っています」と述べている[24]。 趣味・特技中学の器楽部に入っていた頃からチェロをたしなんでいるという(先述の『We love TBS!!』に写真が掲載されている)。 免許・資格普通自動車第一種運転免許[2] 家族実家は隅田川に架かる桜橋の向島側の橋詰にある和菓子店「言問団子」を経営。 母は文化放送の元アナウンサーで、小俣雅子(1975年入社)の後輩に当たる[25]となっているが、外山が『日刊スポーツ』のインタビューで「吉田照美さん(1974年入社)の上、みのもんたさん(1967年入社)の下ぐらいだったそうです。3年勤めて家庭に入った。仕事は楽しくて、もっと続けたかったらしいので、残念だったと思います」と答えており[24]、小俣の先輩にあたる。また「母はとても声のいい人で、私が子供のころ、本の読み聞かせをしてくれました。私が教科書を音読してると、アクセントが違うなんて注意もされました。今、アクセントに苦労しないのは、母のおかげかもしれませんね」[24]と述べている。 現在の出演番組テレビ
ラジオ
過去の出演番組テレビ
ラジオ
脚注注釈
出典
参考文献
関連項目外部リンク
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