爆笑問題
爆笑問題(ばくしょうもんだい)は、タイタン所属のお笑いコンビ。1988年結成。略称は、爆問、爆笑(さん)など。 メンバー芸歴
受賞歴
エピソード大学時代2人の出会いは日本大学芸術学部の試験会場であり、試験会場で試験官を茶化していた太田を見た田中は「関わり合いになりたくない」と思っていた(とはいえ田中は、どうせ合格出来ないだろうと思い、試験当日は直前まで草野球をしていたため、野球のユニフォームを着て受験に臨んでいた[17])。入学後、大学のトイレで再会し、「こいつも合格していたのか」と思い太田に話しかけた所、太田は受験会場の様子とは全く違い、律儀な受け答えをしていた。また、太田が入学後の最初の授業でも騒いで他の生徒達を盛り上げたが、田中はその雰囲気に乗らなかった。また、お互いにサザンオールスターズのファンということも仲良くなるきっかけの一つだったため、田中は「サザンがいなかったら? おそらく爆笑問題は誕生していないですね。まず太田と仲良くなってたかどうかが危ういんで。友だちの延長上に爆笑問題がありました」と語っている[18]。 日本大学芸術学部時代の取得単位は、2人合わせて17単位だった。しかも太田は2単位しかとっておらず、そのうち1つはスキー合宿の参加者全員にもらえる単位だった[19]。太田は後に、日芸の教授を「俳優になろうとしてなれなかった奴らの溜まり場。俳優を育てようなんてなんも思っちゃいない」と批判しては、講義を欠席していた。 元マネージャーは2人の同級生で、18歳の時から30年近い付き合いだった[20]。 プライベートプライベートでは田中は太田を「光」と呼び、太田は田中を「小僧」と呼ぶ。田中が仕事のときに太田を「太田さん」と呼ぶのは仕事とプライベートの区切りをつけるためであり、太田が田中を「小僧」と呼ぶのは、「田中」では誰のことかわからないと感じているため[21]。 また、お互いはごく近所に暮らしている(太田は「田中がこっちに引っ越してきたんだ」と冗談として言い[注釈 3]、田中は「お前が俺の生まれ故郷(東京)にやってきたんだろ」と突っ込むやりとりをする事が多い[注釈 4])。 2人ともSNSなどを利用しておらず、太田に至っては携帯電話を所有していないため「やる理由がない」と述べている[22]。 2人とも自動車の運転免許を持っていない。 田中は過去に免許取得を検討していたが光代社長の反対によって断念している[23][24]。また、太田は大学時代にバイクの免許及びホンダ・VT250Z[25]を持っていたが自損事故を起こしている[26]。 運転免許が無いため移動の際は事務所が送迎車を用意しており、両者とも一日の全ての仕事が終了すると自宅へ直帰する[24]。 2人のプライベートでの生活態度・習慣及び光代の危機管理能力が功を奏し後述の通り多くの仕事のオファーを引き受けている[24][27]。 嗜好2人とも猫好きであるが、ペットのかわいがり方は異なり、溺愛する田中に対して太田はほとんど構わない。そのため互いの猫の性格も違い、来客にまとわりつくような田中家の猫に対して、太田家の猫は来客には絶対に近寄らない。 2人は佐野元春とサザンオールスターズの話題になると、必ずどちらの方がより良いファンかと張り合っている。 芸能活動コンビ名の由来はラテ欄でよく使用されるフレーズ「爆笑」と、本屋でたまたま「問題実話」と言う本を目にした際、タイトルに「問題」と入れていたことが印象に残っていたことから太田が命名。また、カタカナ名のコンビが多いため目立とうとしたのも理由の一つであることが太田の自伝『カラス』(小学館)に記されている。「カラス」は一時期コンビ名を変えようと考えていた時、候補に上がっていた言葉である。前述の通り、コンビの(名目上の)リーダーは田中であるが、それを決めたのは太田である[1]。 「進路指導室」などのような過激な内容のコントをやっていた頃は「爆笑問題は使えない、テレビじゃ危なすぎる」といった風潮が業界にあったといい、太田は当時の事を「若いからこれで世の中変えてやるみたいな、そんな意識があった」と回想している[28]。 漫才を始めた当初は時事ネタはツカミとしてやっていた程度で、メインは「もしも○○が××だったら?」(例として「もしも、冬が寒くなってくるんじゃなくて、臭くなってくるとしたら」「もしも夏になると痛くなるとしたら」など)といった内容のものだった[29][30]。 テレビ番組(2000年代ごろより司会・MCが主)・ラジオ番組のレギュラーを多数抱えるが、タイタンの定期ライブ(タイタンライブ、隔月開催)や雑誌の連載、本の出版などもこなしている。漫才のネタは主に太田が作っている(田中はツッコミを多少考える程度で、大半の田中のツッコミは太田が考える)。現在は時事ネタを題材としたものが目立ち、硬軟幅広くネタを取り入れ、ナンセンス性と毒が入り乱れたものが中心となっている[31]。太田は時事ネタを扱うのは「政治を茶化したいという意識ではなく、ニュースを題材にする事が効率が良かっただけ」「そうしたことに触れないでコントを作るのが難しい」「割と安易な道なんです」「笑わせることしか考えてないです。我々の漫才の中にメッセージなんか、何もない(笑)。時事問題と言っても、風刺でも何でもないですから。旬のネタに対して、どれだけ変なことが言えるかというのをやっているだけ。基準はとにかく、どれだけ笑えるかということでしかないです」と述べている[32][33]。そのため、ネタの一部分だけを切り取って評価されたり批判されたりする事には否定的な考えを示している[34]。また、太田は2017年のインタビューで自身のDVD「2017年度版 漫才 『爆笑問題のツーショット』」の出来栄えを「時事ネタを話題にはしているけれど、ボクらの漫才は1個も社会風刺してないことがわかるよ」と改めてアピールしている[35]。タイタンライブでは2023年現在も毎回新ネタを下ろしており、同じタイタン所属のキュウは「超現役の漫才師」「僕らだけでなく所属芸人全員に影響を与えている」と尊敬の意を表している[36]。 ネタの中には逮捕された人物や、世間を騒がせた人物も登場するが、その出来事から何十年と経過していることがしばしばあるため、田中から「もうそれは忘れてやれよ」と突っ込まれることも多い。ネタを使いまわすことについて太田は「噛めば噛むほど面白いし、何度噛んでも味が出る」と述べている[37]。また、たびたび失言をする太田が漫才や雑誌の連載で他人の失言について批判したりボケたりすると、田中から「日頃から失言しているお前に言われたくない」と突っ込まれることもよくある[38]。 〆さばやナイツのように時事ネタを得意とする芸人が同じライブや番組に出演する際は事前にネタが被らないように本人達と打ち合わせを行っている[39][40]。 古舘伊知郎は太田のボケを「あたかも意味のある興味深いトークをしているようで、どこまで意味があるの?っていう思いが募った時に、完全にその意味のあるテレビサイズのトークを無意味化する。これって気持ちいいんですよ」と評している[41]。 お笑い評論家ラリー遠田は、太田のボケには「シンプルボケ」「毒舌ボケ」「ナンセンスボケ」という3つの種類が存在すると評しており[31]、とくに「ナンセンスボケ」については爆笑問題の漫才の隠し味になっているとし、「毒舌ボケ」よりも高く評価している[42]。 芸能人の活動の中心がテレビとなっている中、太田は「ラジオで笑いが取れる芸人になりたい」と、漫才への思いを表している。漫才のネタ作りは田中がスクラップした新聞記事を太田が読んでボケて行き、田中はそれに対してツッコミをいれつつネタを書き留めていく手法をとる。そのことから太田は田中のことを「書記」と指した事がある。また、この作業は太田家のリビングで行われる。 ダジャレネタがメインの『ボキャ天』では、主に田中がネタを考えていた。これは太田にダジャレのセンスが全くなく、収録で太田のネタで「王貞治」を「おさだはるこ」と変えたが、意味不明なために没になったということがあった。その時のことをBOOMERが目撃している[43]。しかしそれを際立たせるコント部分は太田が作っているため、田中は事実上ダジャレの部分しか考えていない。『水着でKISS ME』(テレビ東京)では交互に主演し、毎回ベッドシーンを演じていた。また、テレビなどの出演がほとんどなかった時代には、太田が書いた脚本を同期のホンジャマカが演じたこともあった。 1999年4月から2006年3月にかけて、『ポンキッキーズ』(フジテレビ系)に、ネズミの着ぐるみキャラクター「爆チュー問題」としてレギュラー出演し、人気を得る。2006年5月から2016年12月までは『空飛ぶ!爆チュー問題』として独立番組となり、CS放送・フジテレビワンツーネクスト(開始当時はフジテレビ721)で放送されていた。 2005年の高額納税者番付タレント部門では、2人ともベスト10に入った(太田8位、田中9位)。 お笑い芸人がトップクラスの域になると自身のレギュラー番組しか出演しなくなる傾向が強い中で、多忙になった現在でも積極的にゲスト出演をしている。また、『爆笑問題のニッポンの教養』『探検バクモン』(NHK総合)など、教養色の強い番組の出演も多い。 事務所公式サイトのプロフィール写真[44]は、1997年ごろに撮影された宣伝用写真を使用し続けている。 ドラマや映画などには、コンビともにゲストや「チョイ役」での出演で、本人役が多かった。しかし、2000年代後半ごろより田中が映画『感染列島』やドラマ『Q10』(日本テレビ系)、『恋愛ニート〜忘れた恋のはじめ方』(TBSテレビ系)などに出演し、俳優としての仕事も増えている。 「ピン」(1人)での仕事として、田中は『サカスさん』『S☆1』(ともにTBSテレビ系)で情報番組の司会を務めている。一方、太田は『マボロシの鳥』(新潮社)などの小説やエッセイを多く執筆している。なお、「爆笑問題」名義の出版物もほとんど太田1人で執筆している(後述)。 上記のように酒を飲まない、運転免許を持っていない、太田に至っては携帯電話を持っていないものの、酒造メーカー・自動車メーカー及び中古車買取店・携帯会社は「事件・事故・トラブルを起こす事はない」と爆笑問題の姿勢を安心材料とみなし積極的に広告に起用していった[27]。また、芸に対する真剣さやこだわりも起用の決め手となっているという[45]。CMの内容も田中のツッコミと太田のナンセンスなボケを活かしたものが多い[46][47]。 コンビ仲太田は田中との比較において、絶対的な自信を持っており、様々な機会を捉えてはギャグの一つとして田中への非難・痛罵を繰り返す。テレビなどでは、太田が田中を非難することが多いが、田中が「キレる子供」と揶揄される位すぐに解散を口にするので、いつも太田が謝って収拾している。前述に基づくエピソードとして、新人時代に田中がネタをとちってしまい、ネタ終了後の楽屋で太田が田中を責めたが、田中が「次の舞台でネタを間違ったらコンビ解散!」と言い放ち、何故か逆ギレされてしまう。しかし太田は「こんなことで解散されちゃ、たまったもんじゃない」と田中を必死になだめたということがあった。一方で結成から30年以上経過した現在はコンビの絆の深さを(特に田中が)語ることもあり、田中は「意外にアイツ(太田)のこと好きなのよ」「誤解してるかもしれないけど。いつも怒ってるけど」と述べ、太田の人柄や才能に敬意を払っており[48]、太田ひいては爆笑問題の芸風の方向性については「『あんた(太田)がそう決めてやるなら付き合いますよ』という感じ」と述べ、全幅の信頼を寄せている[49]。 2000年9月11日、田中は片側の睾丸の摘出手術を受けた。悪性の腫瘍であり、いわゆる精巣癌であったが、芸人が癌では笑えないと二人で相談した結果、 記者会見では太田が田中をネタにギャグを連発して笑いを取った。その際、当時開会直前のシドニーオリンピックになぞらえて「田中、金とった!!」と言う見出しがスポーツ新聞を飾った。これ以降、太田が田中を片玉ネタで弄ることはコンビの鉄板ネタとなり、漫才の中にもお約束的に盛り込まれている。 著名人関連事務所の後輩のハギワラマサヒト(当時キリングセンス)が肝硬変を患った際に、何とか彼の命を救おうと奮闘し、結果的に命を救っている[50]。 デビューして間もない頃、2人の才能を見抜いた落語家の立川談志は、太田に「天下獲っちゃえよ」と応援の言葉を送ったという。また、「こいつ(田中)だけは切るなよ。こう出来た奴もなかなか居ないもんだ」と、田中の相方としての重要性を説いている。 『爆笑問題の日曜サンデー』(TBSラジオ)で度々共演した大橋巨泉とは意見の違いによって太田と論争になることも多かった。ただし、両者とも一定の信頼関係の下で議論しており、そのやりとりを端で見ていた田中は「口調も親子のケンカみたいになってくるので、楽しかったです」とコメントしている[51]。 上岡龍太郎は立川談志との対談で「今のお笑い、バラエティ番組には教養がなくなった。1つ救いなのは爆笑問題が談志師匠に会うと緊張する気持ちを持っていてくれることだけだ。彼らがそれを持ち続けて次にどう移していってくれるか。頼むよ爆笑問題」と発言した。 映画監督・園子温は『地獄でなぜ悪い』のキャスティングの際に篠原哲雄監督の『草の上の仕事』を観て、太田と田中に出演をオファーした。園子温自らタイタンに電話をかけ社長・太田光代に交渉したが、スケジュールが合わなかったため断られたと共演した際に明かしている。なお、後年映画化された際二人にオファーされた役はそれぞれ長谷川博己・星野源が演じた[52]。 島田洋七は『GAHAHAキング 爆笑王決定戦』(テレビ朝日)の審査で、「ビートたけしよりハイレベルなネタをしている。漫才ブームの頃のレベルを彼らが初めて崩した」と評した。 『太田光の私が総理大臣になったら…秘書田中。』(日本テレビ)では、思想やイデオロギーを問わず様々な政治家・評論家と共演し、議論をした。 小泉純一郎・安倍晋三政権時の桜を見る会に出席した事がある[53]。 2008年と2009年には当時の大阪府知事(元・大阪市長)で、タイタンに所属していた橋下徹の活動支援のために、太田夫妻と田中はふるさと納税を利用して1000万円を大阪府へ提供している[54]。太田は橋下とメールで親交を持っているが、公の場では橋下を揶揄したり、異論を述べたりしている[55]。 SMAPとはデビューした年が一緒であり(どちらも1988年デビュー)、『SMAP×SMAP』(フジテレビ系)の名物コーナー「BISTRO SMAP」の男性芸能人出演最多ゲストでもある。また、草彅剛が不祥事を経て復帰後最初の「BISTRO SMAP」に「(事件について)全く触れないのもアレだし、でも、爆笑さんだったら上手くギャグにもする」という理由で呼ばれている[56]。特に太田はSMAPの大ファンであることを公言しており、メンバーの仲の良さなどをラジオやテレビで熱く語ることが多かった。それが縁で『We are SMAP!』の作詞を担当したこともあり、同グループが解散することが発表された際にはショックを受けたことと、内情について「本人たちにしかわからない事」と前置きをし、メンバー全員を心配する発言をしている[57][58]。解散後も、田中が2017 ワールド・ベースボール・クラシックの日本対オランダ戦を東京ドームで観戦した際に中居正広と遭遇し、会話を交わしたり[59]、太田が木村拓哉主演のドラマ「A LIFE〜愛しき人〜」(TBSテレビ系)を絶賛したり[60]、両者がジャニーズ事務所を退所した直後の香取慎吾と『おじゃMAP!!スペシャル』(フジテレビ系)で共演するなど[61]、メンバー達と交流を続けている。 また、同期である岡本夏生とも親交がある。バブルが過ぎ、仕事のない状態の岡本を最初に取り上げたのは、爆笑問題が司会を務める『サンデージャポン』(TBSテレビ系)である。 2010年代より『爆報! THE フライデー』(TBSテレビ系)などで田原俊彦と仕事をする機会が増えている。きっかけは『ハッピーボーイズアワー爆笑おすピー問題!』(フジテレビ系)での田原俊彦特集で共演したことである(田中が田原の大ファンである)。ちなみに両方とも一度芸能界を「干される」という経験をしている。 太田は『笑いの殿堂』(フジテレビ系)などの番組で度々共演したウッチャンナンチャンに対して悪口を言っており、本人たちもそれを承知していたが、その後も爆笑問題を番組に呼び続けた[62]。 太田と田中は佐野元春のファンであることを公言しており、たびたび佐野と共演している。 桑田佳祐・サザンオールスターズ太田と田中はサザンオールスターズのファンである事を公言しており、グループ、ソロ問わず新譜が出た際はラジオ番組でかけたりもしている。 桑田佳祐がお笑いが好きだという事も高じ、サザンの20周年記念のテレビ特番『バカ騒ぎの腰つき』(TBSテレビ)や、20周年ライブ『スーパーライブ in 渚園 "モロ出し祭り 〜過剰サービスに鰻はネットリ父ウットリ〜"』にゲスト出演を果たし交流を深めた。また、アクト・アゲインスト・エイズイベント「昭和八十三年度! ひとり紅白歌合戦」「昭和八十八年度! 第二回ひとり紅白歌合戦」「平成三十年度! 第三回ひとり紅白歌合戦」では「特別審査員」としてVTR出演し、漫才を披露している。 太田はラジオ共演がきっかけで桑田とメールで親交を持つようになり、太田が出演した番組を見た感想や、サザンの活動に関する事まで送られてくるという[63]。 1998年にサザンが発売した13枚目のアルバム『さくら』の5曲目に収録されている「爆笑アイランド」の「爆笑」は爆笑問題から取っている。歌詞は当時の社会問題などについて歌われており、時事ネタを得意としている爆笑問題の漫才を彷彿とさせる内容となっている。 渡辺正行爆笑問題が結成間もない頃、“関東のお笑い登竜門”とも言われている、渡辺正行主催の「ラ・ママ新人コント大会」に初出演したネタが大ウケして、その場で太田プロにスカウトされ、ライブ内で話題となった。渡辺は後にインタビューで「この瞬間に立ち会えたのは幸福なこと」と語っている。 結成当時から行っていた「いじめ」などの差別ネタや毒舌ネタなどが「テレビ向きではない」などと言われ出した際、渡辺は「今はテレビに出るよりも面白いと思えるものをやった方がいい」と擁護した。 その後、渡辺は『爆笑大問題』シリーズ(札幌テレビ)にレギュラー出演し、番組が終了した現在でも爆笑問題の番組に度々共演する機会がある。雑誌の連載では、「師匠と呼べる存在」と崇めている。 ダウンタウンダウンタウンとは、1994年に太田が男性向け情報誌『ホットドッグ・プレス』(講談社)での連載『「爆笑問題」の良識破壊宣言!?』内で松本人志のファッションセンスを酷評したこと[64]で、松本側から抗議を受けた事により[注釈 5]、1990年代半ばごろから度々ネット上などで不仲説が取り沙汰されており、この2組が番組で共演する事も無ければお互いの事を番組などで話す事も無く、2012年のいいともメインの『27時間テレビ』(フジテレビ系)でも爆笑問題の日曜サンデーの生放送時間帯にダウンタウンが出演したため共演することはなかった[65]。 2014年3月31日に放送された『笑っていいとも! グランドフィナーレ 感謝の超特大号』にて、同じくダウンタウンとの不仲が噂されていたとんねるずと共に共演を果たした。とんねるずと共にダウンタウンと共演する予定ではなかったが、とんねるず・石橋貴明が木梨憲武と爆笑問題を誘って乱入し、松本が「ネットが荒れる」などと冗談交じりに述べた。その後は、2016年11月10日放送の『ダウンタウンDX』(日本テレビ系)において、太田の妻・光代がゲスト出演し、ダウンタウンとトークを交わしたほか[66][67]、田中の妻である山口もえが『ダウンタウンDX』や『ダウンタウンなう』に出演し、夫婦エピソードを語る[68]など直接的な共演こそないものの、お互いの認識や関係性はいいともグランドフィナーレで共演した2014年以前と比べ改善されつつある。 2021年8月28日にはいいともグランドフィナーレに出演していた松本、中居正広、ナインティナインがメイン司会を務める『FNSラフ&ミュージック〜歌と笑いの祭典〜』(フジテレビ系)にて漫才を披露、その後トークパートで約7年5ヶ月ぶりに松本と共演した。漫才内では太田が「松ちゃん見てる?」や「明日はワイドナショー(松本がコメンテーターとして出演、実際にはラフ&ミュージックの特別編の放送のため休止。)ではなくサンデージャポンを見てください。」「ガキの使いじゃあらへんで〜」「太田動きます。」(2019年、お笑い芸人による闇営業問題の際に松本がツイートした「松本動きます」のパロディ)など松本に絡めたネタを言って田中に突っ込まれていた。 2022年1月30日放送の『ガキの使いやあらへんで!』では、前述した不仲説のきっかけとなった件について、松本が番組内でネタにする場面があった[69]。同年9月10日には、前年同様に松本、中居、ナインティナインがメイン司会の『FNSラフ&ミュージック2022〜歌と笑いの祭典〜』に出演して漫才を披露した。2年連続の共演となったトークパートでは、松本が太田に対して「M-1の審査員やれへんの?」と問いかけ、太田が辞退するといったやり取りも見せた[70]。また、ダウンタウンが総合司会を務める同年10月8日放送のお笑いの日・ザ・ベストワンに出演したがキングオブコント直前で、ダウンタウンとの共演はなかったが浜田雅功が映った際に太田が「小川菜摘の旦那」と口にしたがスルーされていた。 ビッグ3との関係タモリタモリとはまだ無名だった頃にも共演しており、『タモリ倶楽部』(テレビ朝日系)『タモリのSUPERボキャブラ天国』(フジテレビ系)の出演で世間に知られるようになった。以前に『爆笑問題カーボーイ』(TBSラジオ系)の中で、自分たちの実力が一番発揮できる番組として『タモリ倶楽部』を挙げていた。 『たけし・さんまの有名人の集まる店』(フジテレビ系)出演時に太田は、同じくBIG3であるビートたけしと明石家さんまに、トークではタモリに憧れを持っている、という発言をしている。 太田は『A-Studio』(TBSテレビ系)出演時には、普段大人しいタモリが自分のギャグで笑うのが嬉しいという趣旨の発言もしている。 1997年ごろからブレイクするようになり、『森田一義アワー 笑っていいとも!』(フジテレビ系)の出演もこの頃から多くなった。その後、2000年4月から水曜レギュラーとして正式に加入するようになった。 水曜レギュラー陣のリーダーで、『笑っていいとも!』のコンビとしての最年長レギュラーであり記録更新中だったが、2012年4月のレギュラー陣の変動で田中が月曜日に移動、レギュラー13年目にして初の分離出演となった。 ビートたけし太田はビートたけしの影響を強く受けており、「たけしさんが出てきた時から、本音を言うことがいかに面白いかを知った」と『たけしの日本教育白書』(フジテレビ)で語っている。太田が「コメディ映画を撮りたい」とたけしに相談した際、「映画を作るなら初めに当てろ」「コメディ作るなら金をかけろ」と言われた[71]。 たけしは、爆笑問題結成当初の頃にたまたまコントを見たことがあり、「こいつらは面白いと思った」「ネタの切り口がツービートと似ていた」と語っている。爆笑問題が『たけしの誰でもピカソ』(テレビ東京系)でたけしの前で、直接漫才を披露した際には、「好きだな。自分と感覚が似ている」と評した。 2016年2月12日に開催したタイタン主催のライブ「TITAN LIVE 20YEARS anniversary」にビートたけしがトリで出演し、落語『人情八百屋』を披露した[72]。同ライブには太田の誘いで桑田佳祐・原由子夫妻も客席で観覧しており、終演後桑田は「本当に素晴らしかったです。たけしさんが出てきたときには、神々しくて。枕から涙ぐみました」といったメールを太田に送っている[73]。 その一方で、たけしの弟子である浅草キッドとは仲が悪く、特に太田と水道橋博士は犬猿の仲として知られていた。原因としてデビュー2年目の時期に『ビートたけしのオールナイトニッポン』(ニッポン放送系)に代理出演した際に太田が本人曰く「たけしイズム」を出そうとして発した「ビートたけしは死にました」「ざまぁーみろ浅草キッド」[74]等のボケ発言や、この時の挑発に乗り水道橋博士が生放送中のスタジオに乱入したことが発端だという[74]。なお、東国原英夫はこのボケ発言を聞いて爆笑問題を絶賛している[75]。上記の通り、ハギワラマサヒト(当時キリングセンス)が肝硬変で入院していた際、病院で爆笑とキッドが鉢合わせ(この時期、キッドもハギワラの入院生活をサポートしていた)してしまい、ハギワラが寝ている病室で太田と博士が取っ組み合いの喧嘩を始め、病気で苦しんでいるはずのハギワラがギャグでその場を取りなそうとしたこともあった。その後、ハギワラの妻が一席を設けて、2人を一緒に酒を飲みに行き仲直りした[76]。ただしサブカルチャー系雑誌『Quick Japan』76号(太田出版)に収録された、フリーライターの吉田豪による「爆笑問題ロングインタビュー」によると、活動初期は別として、後の「抗争」はお笑い芸人的な予定調和を崩すための「ネタ」であり、実際は不仲ではないと語っている。 太田は玉袋筋太郎とはお互いの著書を交換してはラジオで評価しており、水道橋博士とは手紙で連絡を取っている[77]。 明石家さんま明石家さんまは、爆笑問題が太田プロ所属の頃から高く評価しており、初共演した1990年ごろの『初詣!爆笑ヒットパレード』(フジテレビ系)で2人のネタを絶賛、「爆笑問題の時代になる」と確信していた(『さんまのまんま』(フジテレビ系)にて)。一方、2人も学生時代から『明石家さんまのオールナイトニッポン』ファンであったと話しており、『ビートたけしのオールナイトニッポン』と共に「木曜日が楽しみだった」と語っている。 さんま自身がめったに他人の番組のゲスト出演をしないため、『爆笑問題カーボーイ』にゲスト出演したことは異例とされていた。また2014年1月12日『爆笑問題の日曜サンデー』でも300回記念ゲストとして14年ぶりに共演した。さんまが爆笑問題と共演すると、必ずと言っていいほど「田中の身長」をネタにしたり、2人が独立して苦労した頃の話をしたりする。特に、独立して苦労した話に関しては、当時のさんまもかなり心配していた模様で、爆笑問題が再び売れ始めた1998年ごろには積極的に自らの番組に出演させるなど、一役買っている。また、『たけし・さんまの有名人の集まる店』(フジテレビ系)では、お笑いコンビとしては唯一ゲストとして出演をさせ、『明石家サンタの史上最大のクリスマスプレゼントショー』(フジテレビ系)では、初めてスタジオに直接出演させるなど優遇している。 爆笑問題は、さんまがレギュラー時代であった金曜日の『笑っていいとも!』にも数回出演していたことがある[78]。2人は他事務所の人間であることもあり、太田はさんまを時々「あんた」と呼ぶことがある。 プライベートでは太田がさんまの楽屋を訪れ、光代の「酒癖の悪さ」を愚痴る関係で、共演時にはさんまがそのことをネタにしている。また、爆笑問題が独立時に干されていたこともネタにしている数少ない人物。 出演コンビでの出演のみ。個別の出演は田中裕二#出演、太田光#出演を参照のこと。 テレビ番組現在のレギュラー番組
過去のレギュラー番組
現在の特別番組
過去の特別番組
ネット番組
ラジオ番組
テレビドラマ
映画
アニメ映画
ゲーム
CM
CD
※「爆チュー問題」名義の作品は爆チュー問題の項を参照。 ビデオ・DVD
※「爆チュー問題」名義の作品は爆チュー問題の項を参照。 出版雑誌連載
書籍歴史や時事問題などについて漫才形式で書かれているもの(「日本原論」シリーズなど)が多い。しかし、太田によれば「爆笑問題」名義で作中でも田中が登場するにもかかわらず、太田が1人で執筆することが殆どで田中は作業には参加していない。田中は「名前貸しみたいなもんです」と話している。また、原稿料は田中にも配分されている。また日本原論内でもこの事に言及することがあり、特に太田が田中のセリフを勝手に本人の主張と違うものにする事が多く、その時はすぐに訂正のツッコミが入るのが恒例。
LINEスタンプ脚注注釈
出典
参考文献
関連項目外部リンク
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