小笠原 亘(おがさわら わたる、1973年3月1日 - )は、TBSテレビの管理職アナウンサー。
来歴
岩手県北上市出身[3][4]。北上市立北上中学校[5]、岩手県立黒沢尻北高等学校、東洋大学社会学部卒業[3]。
大学1年の頃、東京ディズニーランドのジャングルクルーズでアルバイトをしていた時 [6]に、周りに芸人や俳優の卵がいて一緒に仕事をしていた。一緒に飲みに行き、夢を聞いている中でアナウンサーになりたいと思っていた。のちにアナウンサー同期となる中部日本放送・気象予報士の桜沢信司も働いていた[7][8][注 1]。IBC岩手放送への入社を希望していたが、96年は同社の男性アナウンサー新人採用が行われなかった[注 2]。1996年4月にアナウンサー31期生としてTBS(現TBSHD)に入社。同期には木村郁美(海外販売事業関連の部署へ異動し、後に退職[9][10][11])・広重玲子(現・広報部職員)・志賀大士(現・制作三部ディレクター)がいる[12][13]。部署は異なるが瀬戸口克陽・小渕優子夫妻、法亢順も同期入社だった。
2002年7月7日に結婚。それから8年以上が過ぎた2010年12月13日に、1児の父になったことを同月15日放送のラジオ番組『Kakiiin』で報告した。主にスポーツ(野球、競馬、相撲、ゴルフ等)を担当している[14][15]。2010年のバンクーバーオリンピックでは、NHKと日本民間放送連盟に加盟する各社で構成されるジャパンコンソーシアムのアナウンサーの一員として、主にスキー(女子モーグルなど)、スノーボード競技のテレビ中継で実況を担当。2014年ソチオリンピックでは、同僚の新タ悦男がTBSテレビからジャパンコンソーシアムに派遣されたものの、TBS系列での中継日には上記の経験を踏まえて東京のスタジオで進行キャスターを務めている。2012年ロンドンオリンピックでも、テレビ中継の実況アナウンサーとしてジャパンコンソーシアムに派遣。バスケットボール、ボクシング、テコンドーなどの実況を担当。東洋大の後輩・村田諒太(男子ボクシング・ミドル級)の金メダル獲得の瞬間を伝えた。
2016年からは、男子ゴルフメジャー選手権の1つであるマスターズ・トーナメント(アメリカ合衆国・ジョージア州オーガスタ・ナショナル・ゴルフクラブ)で、日本向けテレビ中継の実況を担当。2021年大会では、松山英樹がアジア出身選手として初めて優勝した瞬間を、4月12日(月曜日)の午前8:00過ぎ(日本時間)に東京のTBSテレビ本社スタジオから伝えた[注 3]。その際には、必死に声を絞り出しながら「松山英樹、マスターズを勝ちました。ついに、日本人がグリーンジャケットに袖を通します。日本人が招待を受けて85年、ついに、ついに世界の頂点に松山は立ってくれました」と言ってから、「10年の道のりは決して平坦ではありませんでした」と話し始めるまで57秒間にわたって沈黙[16][17]。生放送中にもかかわらず、解説者として同席していた中嶋常幸・宮里優作と共に感動の涙を流した。以上のエピソードは、CBSが開催国のアメリカ向けに放送したテレビ中継でも紹介されている[18]。
TBSテレビでは2014年から、部長級の役職に昇格。2016年12月1日には、初田啓介からエキスパート部次長職を引き継いだ(引き継ぎの経緯に関しては初田啓介も参照)。
人物
好きなこと
家族
- 父は農家だった。2人兄弟の次男で兄も東京で暮らしていたが、40歳を過ぎ地元岩手に戻り農家をしている[21]。
エピソード
- 『日曜天国』(2021年6月6日放送分)で安住紳一郎アナが、小笠原のことを「赤坂のジローラモ」と呼んでおり、「超ハンサム。かっこいい。ファッションもおしゃれ」と褒めている。
- 体型については、「キープしなきゃ。スーツに負けない体型にしなきゃ」と日頃から意識しており、服装は「基本はイケてないんです。黒幕がいる」と妻にコーディネートして貰っていることを話している[22]。
- 『ジェーン・スー 生活は踊る』(2023年8月21日放送分)で、ジェーン・スーのピンチヒッターで出演した南部広美が同じ岩手県出身[注 4]であることから、方言を交えて地元の話をした[23]。
- 2024年1月8日放送分も南部がピンチヒッターで出演した。小笠原は方言について「自分のアイデンティティですよね。僕も30代くらいまでは気を張って仕事をしていたと思う。自分の田舎の話をラジオでするようになってからだいぶ自然体になってきて、アナウンサーとしてちょっとまた違うステージに行ったのかなという気はしてます」と話している[24]。南部によると「最初に『生活は踊る』のピンチヒッターを担当させてもらって。岩手スペシャルで行きますっていって。私だけが訛っているけど、小笠原さんは全然恰好つけて。あれだべって言っても、うんうんって中途半端な立ち位置だった」という[25]。
- なお、小笠原と南部は2024年3月30日に地元・岩手県のIBC岩手放送の開局70周年記念特別番組『ラジオサタデーSP すっぴんのびのびぶちぬき大放送』(同局で放送の『水越かおるのすっぴん土曜日』と『神山浩樹ののびのびサタデー』の合同特番)にスペシャルゲストで出演した。
現在の出演番組
テレビ
- Nスタ(ニュースプレゼンター/火・水曜、2023年3月28日 - 2025年3月26日)
- TBSテレビ系列における夕方帯の報道番組を、入社27年目にして初めてレギュラーで担当。他曜日でニュースプレゼンターを自身の起用前から務めている南波雅俊や熊崎風斗(いずれも部下でスポーツアナウンサーとしての後輩)が休演する場合に、プレゼンターを代行することもある。
- 担当日の「歩いて発見!すたすた中継」(TBSテレビと一部のネット局で17時台に放送されるコーナーで起用と同時に開始)で、関東地方(TBSの放送対象地域)の中継先から出演する場合がある。この場合には、JNN全国ニュースなどのスタジオパートに登場しない。
ラジオ
- ジェーン・スー 生活は踊る(2016年4月〜月曜担当ただし月の第5週の月曜は休演) ジェーンスーが欠席時は代打パーソナリティを担当することもある(2022年4月28日.2024年1月11日該当)
- 森本毅郎・スタンバイ!(スポーツスタンバイ/不定期、2022年4月25日 - )
- 番組内で流れるサウンドステッカーのタイトルコールも事前収録で担当しているため、放送上は、「スポーツスタンバイ」へ出演しない日にも自身の声が流れている
- 森本が休暇時代打で担当することもある
- パンサー向井の#ふらっと(ニュースキャスター/不定期、2022年4月 - )
- 渡部絵美の住まいるハウス(HBCラジオとの共同制作番組、2022年10月1日 - )
- 初代のパートナーだった駒田健吾が、TBSテレビアナウンスセンター長への着任(2022年7月)を経て、同センターの管理業務へ専念することに伴って出演を開始。IBC岩手放送(出身地におけるJRN加盟局)でも放送されている。駒田がアナウンスセンターの部長代理への異動を機に、アナウンス業務を再開した2024年3月以降も出演を継続。
過去の出演番組
テレビ
ラジオ
脚注
注釈
- ^ フリーアナウンサー(元・北日本放送)の渡辺一宏も働いていた。
- ^ IBCでは女性アナ3人(吉田瑞穂、徳永千帆子、鎌田理奈)だけを採用していた。
- ^ 例年であればTBSはアナウンサー、解説者、中継スタッフを現地のオーガスタ・ナショナル・ゴルフクラブへ派遣するが、2021年は新型コロナウイルス問題の影響で派遣を取りやめて東京のスタジオから現地映像を実況するスタイルを採っていた。
- ^ TBSテレビに所属するアナウンサーでは、後輩の山形純菜も岩手県出身。
出典
参考文献
- 東京放送 編『TBS50年史』東京放送、2002年1月。
関連項目
外部リンク
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- 石井智(1976年 - 1995年)
- 松下賢次(1996年 - 2008年)
- 林正浩(2009年 - 2015年)
- 小笠原亘(2016年 - )
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