志村けんはいかがでしょう
『志村けんはいかがでしょう』(しむらけんはいかがでしょう)とは、1993年10月20日から1995年9月25日までフジテレビ系列局で毎週水曜 19:30 - 19:58 (1995年4月3日以降は毎週月曜 19:00 - 19:58)に放送されていた公開お笑い番組である。放送時間帯は違うものの、事実上『志村けんのだいじょうぶだぁ』の継続番組である。 番組概要水曜時代基本的な内容は前半が志村けんと渡辺美奈代の2人がスタジオを離れ、ロケで日本各地を周るものであった。当初はこれ以前に志村が出演していた番組『志村けんの失礼しまぁーす!』同様、志村と美奈代の2人は扮装(主に父と娘)をしていたが、しばらくししてからは普通の素の状態で出演していた。 後半はコントとなり、「だいじょうぶだぁ」との最大の違いは、オール公開コントという構成で、時にはノンストップで次のコントに入るためのセットと衣装のチェンジが行われ、アドリブを取り入れたコントも行われた。幕間のコントとしてBOOMERの2人のみが出演したコーナーも設けられた。 番組の締めは、ディレクター川口誠(フジテレビ社員で番組演出担当[1]。後に美術制作局美術制作センター部長⇒広報部副部長[2])が、「パピアントグッチャン²」の名義で登場する「ろくでなし」コントが番組の名物となり、ギャンブルにふけるダメ夫や妻がいながら不倫しつつも女性部下に別れ話を持ち掛けるダメ上司などのダメ男(志村)に対し妻や女性部下(石野または美奈代)が堪忍袋の緒が切れ、「この、ろくでなし!」と叫ぶと突如越路吹雪の「ろくでなし」のイントロにあわせて川口がそのコントに合ったコスプレ衣装で登場。同曲のサビ部分を文節ごとに「ウィッ!」と言いながら歌い上げて去る(この時に手の人差し指と中指を、手の甲を前に向けて立てる。観客も揃って行う。また、該当のコントに出演していないメンバー(例として、志村と美奈代だけのコント時も、歌が始まった途端に石野・桑野・冬樹などもコントに合わせた衣装で登場)も歌に合わせて踊りながら「ウィッ!」のポーズをする)。 これを2 - 3回繰り返したところ(日によっては1回のみの場合もあり)で、志村に「うるせぇこの野郎!」、「死んでろこの野郎!」(葬式コントのみ)、「いい加減にしろ!」、「しつこいんだよバカ野郎!」「やかましいよ!」などとどつき倒されオチとなる。志村がピストルや日本刀あるいはハリセンなどを持っているときはそれらで倒すことがある。登場パターンとしてはこの他にもイントロクイズの設定や、英会話教室(黒板に「ろくでなし」のサビの部分が全てローマ字で書かれていて、これを生徒に読んでもらう設定)、目覚まし時計(「ウィッ」の時の手の形をしている)、ラジカセなどのスイッチを押すと、「ろくでなし」のイントロが流れ出しそのままオチに入る、「六番目が梨→六で梨→ろくでなし」と大喜利仕立てで登場するなど。 1995年4月以降は月曜日に移動して1時間番組になったが、丁度年度替わりの時期と重なった事によって川口はフジテレビ内部の人事異動によって番組制作の現場から離れる事になり、これによってろくでなしコントも終了となった。その15年後、フジテレビを定年退職した川口が志村軒のコントの中でけんちゃんラーメンに食事に来た客として出演。当時のろくでなしコントを語った。 1994年10月12日(超強力スペシャル)、1994年12月21日1995年3月22日(春の特大スペシャル)が放送された。 月曜時代1時間番組となり、ロケ・コントの順序が回によって変更されていた。ロケのコーナーも美奈代と共に日本各地を巡るというのは以前と同じだが「けんちゃんの満腹の旅」と題し、食べ歩きのみに絞られていた。 新たにクイズ・ゲームコーナーが新設され、志村の進行の元で他の出演者はパネラー参加で、毎回違う内容であった。 「なぜか突然 バカ殿様」と題したバカ殿コントが放送された。 エンディングには、志村・桑野・田代・石野・渡辺らの、ほぼ前身の志村けんのだいじょうぶだぁファミリーによるFAXコーナーが行われた。 出演者レギュラー全期にわたって出演
水曜時代のみ 月曜時代のみ ゲームコーナーのみ ゲスト前半・ロケ編 後半・コント編 コント
BOOMERのコント
スタッフ
備考
脚注
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