捜真女学校中学部・高等学部
捜真女学校中学部・高等学部(そうしんじょがっこうちゅうがくぶ・こうとうがくぶ)は神奈川県横浜市神奈川区に所在し、中高一貫教育を提供する私立女子中学校・高等学校。2018年から高校募集を再開し、高等学校においては内部進学者と外部からの入学者クラス編成を第1学年から混合する併設混合型中高一貫校[1]。 キリスト教プロテスタントを教義とする。現在では学校名に「女学校」という名前を使っている数少ない学校でもある。 概要1873年(明治6年)に来日した米国バプテスト同盟の宣教師ネイサン・ブラウンは、1876年1月から横浜山手で世界初となる新約聖書の日本語訳に取り組んでいた。1886年、彼の妻シャーロッテ・ブラウンはその印刷所の2階で女子のための塾を始めた。これが捜真女学校の始まりである。 第2代校長にクララ・カンヴァースが就任する。カンヴァースは、1891年に新校舎を建設し、生徒と共に校名を「捜真女学校」と決めた。カンヴァースは学内の者に次の「心の誓い」を求めた。
1910年(明治43年)、生徒数が増え山手の地が手狭になったため、現在の中丸に学校を移転した。麦畑の広がる丘に聳える白い塔とニューイングランド風の建物は遠くからもよく見えた。川端康成の小説の挿絵にもなった美しい校舎であった。 1923年(大正12年)の関東大震災にも耐えた校舎は、1945年(昭和20年)5月29日の横浜大空襲により、わずか30分で燃え尽きてしまった。そのようなときも毎日礼拝を守り、全員で焼け跡の整理にあたった。 以来、困難と存亡の危機に見舞われたときもカンヴァースが掲げた教育目標「聖書の真理を捜し求める」を捜真スピリットとして受け継ぎ、時代や校舎や人が変わっても、新しい時代を築く若者に、誇りをもって伝えていきたいと考えている。 教育理念
沿革
著名な出身者
系列校捜真幼稚園(神奈川区栗田谷42-43)の設置者は別法人(学校法人捜真バプテスト学園)である。 脚注および参照関連項目外部リンク |
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