東海大学付属市原望洋高等学校
東海大学付属市原望洋高等学校(とうかいだいがくふぞく いちはらぼうようこうとうがっこう)は、千葉県市原市の中部に位置する東海大学付属の私立高等学校。 スクールカラーは緑。部活動は野球部が甲子園に春夏通じて3回出場しており、陸上部、バトン部、射撃部も全国大会に出場する強豪。全国に14校ある東海大学付属高校のひとつで、東海大学独自の教育プログラム「現代文明論」の付属高校科目である「高校現代文明論」を中心に各教科が展開されている。 概要1889年にキリスト教徒の教育者である加藤俊子が女子独立学校として 東京府南豊島郡角筈村[1]に開校した。加藤俊子の死後、内村鑑三が校長に就任し、後に勝田孫弥が同校を引き受け1901年に精華学園を設立、1908年に精華高等女学校と改称した。 戦後の学制改革で精華学園女子高等学校・中学校となる。この頃は歌手や女優が多く在籍していたが、西新宿一帯の再開発に影響されて1969年に新宿区柏木[2]に移転する。 1973年に千葉県市原市の現在地へ移転する。1974年に東海大学と提携し、東海大学総長の松前重義が精華学園理事長に就任した[3]。翌年に東海精華女子高等学校(校長・鈴木哲子[4])、1977年に「東海大学精華女子高等学校」、1986年に男女共学化に伴い「東海大学付属望洋高等学校」、2016年に「東海大学付属市原望洋高等学校」と、名称変更を重ねて現在に至る。学校法人精華学園は一時兄弟校である東海大学付属浦安高等学校・中等部が移管されるなど、学校法人東海大学の千葉県内に於ける運営を担っていたが、現在は学校法人東海大学に統合・編入され、飯田雅美が校長職を務めている。 沿革
交通建学祭2014年度まで一日目に校内祭、二日目に一般公開であったが、2015年度から二日間にかけて一般公開となった。2019年度は10月25日に千葉県を襲った豪雨災害の影響により一日目が中止となり、二日目のみが一般公開となった。 部活動
著名な出身者
脚注及び参照関連項目外部リンク |
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