日本生命硬式野球部
日本生命硬式野球部(にほんせいめいこうしきやきゅうぶ)は、大阪府大阪市に本拠地を置き、日本野球連盟に加盟する社会人野球の企業チームである。 運営母体は、生命保険会社の日本生命保険。獲得した全国タイトルが、社会人野球チームの中でENEOS・東芝・住友金属に次ぐ史上第4位の計8回(都市対抗野球4回・日本選手権3回・産業対抗1回)を誇り、都市対抗野球には歴代チーム中最多の62回、日本選手権もパナソニックに次ぐ39回の出場を誇る。また、プロ野球選手や日本代表選手を多数輩出している西日本を代表する名門チームである。 概要歴史は古く、戦前の1929年に日本生命保険の硬式野球部として創部した。近年では社業に就く上での資格取得の関係上、選手の採用は原則として学卒であることを条件としているが、プロ入り前提で高卒の選手が加入することもある[1]。 1961年4月20日、当チーム所属の柳川福三がNPBの中日ドラゴンズと契約し、プロ・アマ断絶のきっかけとなる柳川事件が起きた[2]。 1985年の都市対抗野球と、1990年の日本選手権でそれぞれ初優勝を達成した。 2015年、都市対抗野球で4度目の優勝を日本選手権で3度目の優勝を果たし、社会人野球史上3チーム目となる同一年での2大大会制覇となった[3][注釈 1]。 2016年シーズン限りでこれまで練習場として使用していた大阪府吹田市にある日本生命千里山グラウンドが閉鎖され、2017年シーズンからは練習場を大阪府貝塚市のユニチカ貝塚工場跡地の一画に新設した日本生命貝塚グラウンドへ移して活動している[4][5]。なお、女子卓球部(後の日本生命レッドエルフ)も同じく移転した。 2018年は都市対抗野球で予選敗退に終わり、連続出場が15で止まった。 設立・沿革
主要大会の出場歴・最高成績
主な出身プロ野球選手太字は現役選手(2023年シーズン現在)
元プロ野球選手の競技者登録
かつて在籍した選手・コーチ・監督
脚注注釈出典
関連項目
外部リンク |
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