三菱重工East硬式野球部
三菱重工East硬式野球部(みつびしじゅうこうイーストこうしきやきゅうぶ)は、神奈川県横浜市に本拠地を置き、日本野球連盟に加盟する社会人野球の企業チームである。 運営母体は、三菱重工業株式会社。 概要1971年、三菱重工業の横浜製作所で『三菱重工横浜硬式野球部』として創部。1988年に都市対抗野球に、1993年に日本選手権にそれぞれ初出場した。 2001年のシーズン途中、三菱重工業本社のスポーツ支援体制見直しに伴いクラブチーム化し、チーム名を『三菱重工横浜硬式野球クラブ』に改称した。2004年・2005年の都市対抗野球神奈川2次予選では新日本石油ENEOSに競り勝ち、本戦出場を2年連続で阻む。2006年に廃部の危機を乗り越え、2007年にはチームとして14年ぶり2度目、クラブ化してからは初となる日本選手権出場。 2008年、都市対抗野球の神奈川2次予選で敗退後、同年7月に企業チームへの再登録、チーム名も再び『三菱重工横浜硬式野球部』に改称した[1]。2009年、都市対抗野球の神奈川2次予選では、第1代表決定戦で日産自動車に引き分け再試合を経て勝利し、13年ぶりの本戦出場を決めた。 2014年2月1日に三菱重工業と日立製作所の火力発電システム事業統合により新たに三菱日立パワーシステムズ(現・三菱パワー)が設立され、同社の硬式野球部として活動することとなり、登録を引き継ぎチーム名を『三菱日立パワーシステムズ横浜硬式野球部』に改称した[2]。2016年11月、同年シーズンをもって三菱重工長崎硬式野球部と統合することを発表[3]。2017年から、チーム名から横浜が消えた『三菱日立パワーシステムズ硬式野球部』に改称した[3][4]。 運営母体の社名変更に伴い、2020年9月1日にチーム名を『三菱パワー硬式野球部』に改称した[5]。 2021年、三菱重工の硬式野球部再編に伴い、三菱重工名古屋・三菱重工広島の一部選手を編入[6]し、『三菱重工East硬式野球部』に改称した[7]。 2024年、第95回都市対抗野球大会にて都市対抗初優勝を果たした[8]。 沿革
練習場主要大会の出場歴・最高成績
主な出身プロ野球選手
元プロ野球選手の競技者登録
かつて在籍していた選手
脚注注釈出典
関連項目
外部リンク |
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