早稲田中学校・高等学校
早稲田中学校・高等学校(わせだちゅうがっこう・こうとうがっこう)は、東京都新宿区馬場下町に所在し、中高一貫教育を提供する私立男子中学校・高等学校。高等学校において、生徒を募集しない完全中高一貫校[1]。早稲田大学の系属校である。 概要坪内逍遥・市島謙吉・金子筑水らが大隈重信の教育理念に基づき、東京専門学校(現:早稲田大学)関係者と大隈重信の尽力により1895年(明治28年)創立。古くから「東洋のイートン校」を標榜しており、「人格の独立」[2]を謳っている。 校名に「早稲田」を冠したのは本校が大学よりも先である。創立以来上級学校への進学を目的としており[3]、帝国大学をはじめ各上級学校で同窓組織である「早中会」が多数結成された事実からも、早稲田大学とは独自の志向をしていたことが分かる。 敗戦直後、早稲田大学の附属校とすべく生徒・保護者・若手の教職員らが運動を起こしたが、伝統と独立を重んじる理事会と教職員らによって鎮静化され、附属・系属校となる早大系列の他学校(早稲田大学高等学院、早稲田実業学校)とは別の路線を歩むことになる[4]。 1979年4月、早稲田大学の系属校となり、教育のさらなる充実と発展を図る。これにより、1982年以来卒業生の早稲田大学への推薦入学を開始することとなる。推薦枠は学部ごとに決まっており、その合計は約50名だった(当時の卒業生は約350名)[5]。早稲田大学側の学部再編や定員枠の増幅により、幾度か制度要項が改訂され、現在の推薦入学定員は167名と学年の半分強である(1学年は約300名)。 制服は男子校の伝統でもある金ボタン5個の黒学ラン(標準型学生服)。 中学入試は2000年度まで2月1日の1回入試を実施してきたが、2001年度より2月3日に2回目の入試を行っている。現在、高校入試は実施していない。 教育教育目標
カリキュラム本校の中高一貫教育では、中1および中2の前期2年を「生活習慣と学習の基礎を固める時期」、中3および高1の中期2年を「実力養成時期」、高2および高3の後期2年を「応用力完成時期」と区分する「2-2-2制」を採用している。また、高2に進級時に文系コースと理系コースに分かれ、高2修了までに「高等学校で学習する基礎的教科・科目の学習が一通り修了」する加速式学習法(先取り学習)を導入している[6]。 進路1学年約300名中、早稲田大学への推薦入学の定員は167名であるが全ての枠を使い切ることが近年はなく、例年学年の約半分が早稲田大学へ推薦入学している。また、他の国公立大学や医歯薬系大学へ志望する生徒も多い。 年表
象徴校歌第一校歌は、作詞は本校の創始者坪内逍遙、作曲は早稲田大学「都の西北」の作曲者でもある東儀鉄笛によるもの。第二校歌は、作詞は本校卒業の西條八十、作曲は早稲田大学応援歌「紺碧の空」の作曲者でもある古関裕而が手掛けた。 学校行事
部活動[7] 17の運動部、12の学芸部、11の同好会がある。なかでも、硬式野球部は古豪として知られている。大正時代前半、中等学校野球東京大会が開催される頃まで、早稲田実業ではなく本校が慶應義塾普通部と並ぶ都下の野球強豪校に位置づけられていた[8]。 (以下における「X」はかつてTwitterと称されたSNSのことを指す。)
入試
学校関係者一覧→「早稲田中学校・高等学校の人物一覧」を参照
交通アクセス関連書籍
関連項目
脚注および参照
外部リンク |
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