本多知恵子
本多 知恵子(ほんだ ちえこ、1963年〈昭和38年〉[7]3月28日[3][6][8] - 2013年〈平成25年〉2月18日[9])は、日本の声優、女優。 出身地については、思春期を過ごした長野県とされることがあるが[10][11][12][5]、出生から幼稚園までを過ごした東京都とするプロフィールもある[4][13][14][15][16][17]。 代表作は『重戦機エルガイム』(ファンネリア・アム)、『昭和アホ草紙あかぬけ一番!』(一の瀬雪華)、『機動戦士ガンダムΖΖ』(エルピー・プル、プルツー)、OVA『冥王計画ゼオライマー』(氷室美久)、『花の魔法使いマリーベル』(マリーベル・フォン・デカッセ)など[18]。 生涯1963年(昭和38年)3月28日に東京都で一人娘として出生。祖父が知恵子と命名した[19]。その後、埼玉県川越市で幼稚園時代と小学生時代を過ごす[19]。両親の離婚により小学5年生から母親の実家である長野県に引っ越し、長野市立若槻小学校へ転校。以後、ピアノの先生である母のもと、母子家庭で育つ[19][20][21]。中学時代はテレビアニメ『海のトリトン』や『機動戦士ガンダム』に親しむ生活を送っていたが、その当時は自分で演技がしたいという考えはなく、軟式テニス部を経てコーラス部に所属していた。当時は女子校だった長野市立皐月高等学校(現長野市立長野高等学校)へ進学したが、未熟児として生まれての少女時代は喘息持ちで体が弱かったことや母子家庭であることから、志望していたジャーナリストへの進路を反対され、目標を見失って登校拒否になった。これを心配した同級生に誘われ、3年生の文化祭で参加したミュージカル『11ぴきのねこ』のにゃん蔵を演じてアドリブが受けた快感から、これをきっかけに俳優を志すようになる[8][19][20]。さらに『あしたのジョー』の再放送で声優という職業を意識し出すようになった[10]うえ、当時は深夜ラジオが流行していたことからラジオのDJをも目指し[20][22][12]、高校を卒業した1981年にテアトル・エコー付属養成所と俳協付属養成所を受験した結果、俳協付属養成所に11期生として合格する。長野県から上京し、サッポロライオンに就職して銀座のビヤホールにウェイトレスとして勤務し、夜には養成所で演技の勉強をするという日々を送る[23]。養成所同期生には室井深雪などがいた。 養成所では半年に1度の進級試験を経て[24]、卒業公演では主役を演じて[25]予想もしなかったダークホースが出現したとその演技が審査会で話題になり、1983年3月に東京俳優生活協同組合(俳協)の正式所属となる。同時にマネージャーの薦めで4月に受けたテレビアニメ『プラレス3四郎』のオーディションに合格し、1983年6月に素形真知子役でデビューを果たした[23]。 1984年には、テレビアニメ『重戦機エルガイム』でヒロインの1人ファンネリア・アム役に起用される。アムがアニメ雑誌の人気投票で票を集めたことで、自身もアニメファンから存在が認知されるようになった[26]。さらに、1986年の『機動戦士ガンダムΖΖ』で演じたエルピー・プルがアニメグランプリの女性キャラクター部門や日本アニメ大賞のファン大賞女性キャラクター部門を受賞するなどの高い人気を得たため、人気声優の一員となった[4]。1986年にはOVA『エルフ・17』で主役を演じた[27]。 デビュー当初は俳協養成所講師だった演出家の手塚敏夫が主宰する劇団「-劇舎(SHIBAIYA)-燐」にも在籍し、声優業と並行して舞台女優としても活動していた[28]。しかし、稽古に出られない役者には役を与えないとの劇団の運営方針からどちらも中途半端となり、公演の音響を手伝うなど裏方として舞台との関わりを保とうとしたが、最終的に両立の難しさから、1985年のステップ公演「うちゅうじん」を最後に舞台活動を断念し、以後は声優としての活動を中心とした[20]。 1986年から1988年にかけては、テレビアニメ『昭和アホ草紙あかぬけ一番!』(1985年)で共演した井上和彦、小杉十郎太、荒川美奈子の4人でCHOKI!!(ちょき)というグループを結成し[29][30]、ライブハウスでコントと歌のライブ活動を行った[31][32][33][34]。 1987年4月からはFM東京系のラジオ『気分はハートビート』[6]で宮原学や出口雅之とともにパーソナリティを務め、ラジオのDJをしたいという当初の夢を叶えた。 その後、自分から行動できるように成長したいと、1988年もしくは1989年に俳協を離れ、フリーとなる[12][35]。 役柄としては明るい役が多く[10]可愛い女の子の役を得意としてきたが、1989年開始の『魔法使いサリー』ではカブ役を務め、レギュラーとしては初めて男の子役を演じた[4][12]。1991年のPCエンジン用シミュレーションRPG『レディファントム』のジェニファー・シルキス役でゲームでは初の主演、同年4月には『キテレツ大百科』の野々花みよ子(みよちゃん)役を荘真由美から引き継ぎ[12]、1996年6月末まで6年間に渡って演じたことで代表作となった[11][4][36]。声質が荘と似ていたため、アニメ版『キテレツ大百科』の大ファンを自負していた原作者・藤子・F・不二雄も、声優が本多に変わっても「全く気付かなかった」と発言している[要出典]。さらに5月には養成所時代の本多をモデルにした物語がアニメ化され、本多本人が演じるOVAを収録した『VOICE ARTIST BOXコレクション 本多知恵子』がリリースされた[37][38]。 翌1992年2月放映開始の『花の魔法使いマリーベル』のマリーベル・フォン・デカッセ役で、テレビアニメでは初の主役を演じ[4]、劇場版では主題歌の歌唱も担当した。 1998年にデビュー15周年を迎え、同じくデビュー15周年の川村万梨阿と15周年を記念したライブ「MARIA&CHIEKO ANIMATION HIT PARADE」を開催[39]。 20年近くフリーで活動していたが、2008年2月からはマック・ミックに在籍し[6]、2009年1月より3月末まで13回にわたって『みっくすぱれーど?-a’la carte For you -』[6]で自身初のインターネットラジオのパーソナリティを務めた。デビュー25周年の2009年には、再び川村万梨阿と「MARIA&CHIEKO ANIMATION HIT PARADE'09 <RETURNS>」を開催した[39]。マック・ミックは2010年5月まで在籍し、6月より再びフリーに。 2009年頃にはデジタルアーツ東京の声優学科講師を務めていた[40]。 2012年11月1日から青二プロダクションに所属した[42]。 2013年2月18日、多発性がんにより死去[9]。49歳没。約1年半前の2011年秋に告知を受けるが[43]、がんが発見された時点で手遅れとなっており、余命宣告を受けていたという。しかし、最後まで仕事を続けたいという本人の意向で[44]、病気のことはごく近い関係者のみに明かし、2013年に入って体調を崩して仕事のペースを落とすまで、普段と変わらず仕事を続けていた。最後の仕事は同年1月末収録のテレビ番組のナレーションだった[45]。本人の希望により[44]、近親者のみでの葬儀・告別式を2月21日に終え、訃報は2月22日夜に所属事務所の公式サイトより発表された[9]。 2017年2月1日放送のTBSのバラエティ番組『水曜日のダウンタウン』にて「1人で最も多くの役柄を演じた声優」として本多の名前と顔写真が、『超くせになりそう』第37話(1994年)で演じたモモコ・プリシラをはじめとする365役の映像やクレジットと共に紹介された。突然の紹介だったこともあり、インターネット上では本多を偲ぶ声が続々と上がった[46]。 音楽活動歌手としての活動もあり、本多知恵子個人として1990年5月に4曲入りミニアルバム「KEEP UP YOUR WAY」をユーメックスよりリリース[47]。1991年にはメルダックから写真集とカセットとOVAがパッケージになった「VOICE ARTIST BOX COLLECTION」でCDアルバムを出した[12]。1996年2月にはエアーズより4曲入り「NAMIX」をリリースした[15]。 出世作となった『機動戦士ガンダムΖΖ』の主題歌「サイレント・ヴォイス」のカバーバージョン[48]や『きまぐれオレンジ☆ロード』など出演作品の企画もののアニメで楽曲を歌ったほか、ユニットとしては、1987年から1990年にかけてOVA『ガルフォース』シリーズに出演したメンバーによるビデオ発売イベントなどの活動を見せた。 OVA『SDガンダムMk-III』のエンディングテーマ「Tokyo Boogie Night」は林原めぐみとのデュエット曲であり、この曲は林原のラジオ番組『林原めぐみのTokyo Boogie Night』の主題歌として林原のソロバージョンという形で使われ続けている。 長い付き合いとなる友人の声優松井菜桜子、川村万梨阿とは、かねて何か活動をしたいと話し合っており[12][22][49]、それが1993年にオリジナルビデオ『サイレントメビウス外伝 幕末闇婦始末記』への出演をきっかけにThe Ripple(ざ・りっぷる)を結成して結実。ビデオ主題歌でデビューし、ラジオ、コンサートなどの1年の期間限定活動[50][51][52]を行った。シングルとアルバムをそれぞれ1枚ずつリリースした。 演奏できる楽器はエレクトーンとギターで[10][5]、歌のみならず作詞と作曲を手掛けている曲もある[15]。 人物像芸能人の物真似も披露する明るい性格[53]。業界でも美人と評判だった[5][54][55][56]。『重戦機エルガイム』に出演していた頃は、総監督の富野由悠季に尻を触られるため、撃退法を井上瑤に相談したこともあったという[28]。 身長が144cm[5]。『重戦機エルガイム』で初めて対面した川村万梨阿からは子役と勘違いされたり[57]、背の低さのためスタジオでは本多のために、ほかの声優たちとは別に1本のマイクが用意されることもあったという[24]。また、時代劇の『サイレントメビウス外伝 幕末闇婦始末記』のときは小柄なためにセッシュという台が使われた[17]。デビュー時には龍田直樹から「マイクのほうが合わしてくれる役者になれ」と言われて助かったという[58]。 1988年に運転免許を取得し[5]、シルバーメタリックの日産・シルビアを購入[54]。趣味はドライブ。小柄なため、車を運転していても対向車から本多の姿が見えず、無人運転のナイト2000のようということで、仲間内では「ナイトライダー知恵子」と呼ばれた[57]。シルビアには厚めの座布団を敷いて運転[54]。本当はシルビアではなく、フェアレディZの当時の新型が欲しかったが、自分には大きすぎて諦めたともいう[59]。「声優界の一寸法師・親指姫」[14][12]と自虐ギャグに使うこともしばしばあった。また声優の三ツ矢雄二からは手乗り声優とも言われた[60]。 その他の趣味は、読書、スウェーデン語、パソコン、コンピュータゲーム[55]、中期国債ファンド[61]、ギター、ピアノ[3]。スポーツでは卓球とスキー[5]。特技は振り付けで、CHOKI!!やThe Rippleのイベントで振り付けをしたり[62][63]、ビデオアニメでアニメキャラクターへの振り付けを担当したこともある。友人の富沢美智恵とのデュエット曲でも振りを考えたという[56]。得意な料理は関西風煮込みうどんとおでん[59]。 養成所時代から遅刻の常習犯で[23]、友人の松井菜桜子や川村万梨阿とともに遅刻をネタにしたり[64]、松井菜桜子がエッセイで自分をK嬢こと川村万梨阿とC様こと本多知恵子ともに遅刻の三大女王だとネタにしていた[65][66]。 仕事でインタビューしてから田原俊彦のファンで夢はいつか共演することだった[28]。少年隊のファンだとも公言していた[10][67][68]。持ち歌の「KEEP UP YOUR WAY」は、もともと少年隊がコンサートで歌っていた曲で、それを許可を得て歌詞を変更したもの[69]。その後はSMAPのファンにもなり、毎年のようにコンサートに行っていた[70][71]。 猫好きで、愛猫が亡くなったときは葬式をして位牌も大事にしていた。その後、都合で飼えなくなった猫は鈴置洋孝に預かってもらったが、再び猫が飼えるよう願っていた[24]。晩年も雌猫と暮らしていたという[72][73]。 苗字や名前を「本田」「智恵子」「千恵子」とよく間違えられる。中でも『江戸っ子ボーイ がってん太助』では最後まで「本多智恵子」とクレジットされた。他にも『それいけ!アンパンマン』で、1991年4月1日放送の回で、雪の天使フルフルを演じていた時は「本多和恵子」とクレジットされた。『声優ROM 沢田愛美』の台本では、本多知恵子の名前の「知」という字がペン字で書きなおされている[74]。『月刊DVDよしもと本物流』では、「ほんだちえこ」とひらがなで表記されている。漫画『ああっ女神さまっ』に「本田智恵子」という同音のキャラクターが登場するが、これは作者の藤島康介が本多のファンであったことから漢字表記は異なるが本多の名前をそのまま引用したものである。その縁で、同作品の企画CD『ああっ女神さまっ 特典王』に収録の「勝手に名前を使わないでね」というタイトルのキャラクターソングを本多が歌唱し、「本田智恵子」が登場するエピソードがアニメ化された際には声も担当した。また宛名に「本多知 恵子」(ほんだち けいこ)と記されたファンレターが届いたことがあり[75]、ファンクラブ向けの書籍では「芸名をつけるとしたら?」という設問に「本多知 恵子」と回答している[76]。 後任本多の没後、役を引き継いだ声優は以下の通り。なお、ゲーム「スーパーロボット大戦シリーズ」におけるエルピー・プルやプルツー、『重戦機エルガイム』のファンネリア・アムなどは、代役を立てずに本多が生前に収録した音声を使用している。
出演太字はメインキャラクター。 テレビアニメ
劇場アニメ
OVA
Webアニメゲーム2013年以降の出演作は生前の収録音声を使用したライブラリー出演。
ラジオドラマ
ドラマCD
吹き替え映画
ドラマ
特撮
ラジオ
オリジナルビデオ・映画
人形劇
テレビ番組
舞台CMナレーション
CD-ROM
その他コンテンツ
ディスコグラフィ→The Rippleでの活動については「The Ripple」を参照
シングル
アルバムミニアルバム
ベストアルバム
その他
脚注注釈
シリーズ一覧
出典
関連項目外部リンク
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