永里優季
永里 優季(ながさと ゆうき、1987年7月15日 - )は、神奈川県厚木市出身の元女子サッカー選手。元サッカー日本女子代表(なでしこジャパン)。現役時のポジションはフォワード、ミッドフィールダー。2012年から2016年までの登録名は大儀見 優季(おおぎみ ゆうき)。実兄の永里源気、実妹の永里亜紗乃は2人共にサッカー選手である。 経歴兄・永里源気の影響で小学1年生のころ林サッカークラブでサッカーを始める。FC厚木レディースを経て日テレ・メニーナに入団。13歳で最寄りの神奈川県厚木市立荻野中学校に通う。本人が「一生の思い出に残るゴール」という、中学生らしからぬ強く速いシュートで、大学生との試合に勝利したのはこの頃[2]。中学2年時には背番号10を付けてプレーし、同時に日テレ・ベレーザにも登録された。中学3年時にはU-18ユース選手権に出場。チームは優勝し大会最優秀選手賞を受賞した。また、ベレーザでも2試合に出場し、L・リーグデビューを飾った。 神奈川県立厚木東高校に進学した2003年は足の故障により出場機会に恵まれなかったが、2004年、アテネオリンピック・アジア予選のメンバーとして日本女子代表に初選出され、同年4月22日のタイ戦で代表戦デビューした。この頃から、チームでの練習後に個人的に行う居残り練習を始め、すでにブレ球も習得していた。居残り練習によく付き合っていた小野寺志保は、永里が世界的なストライカーになることを予感していたという[2]。 2005年には5月21日のキリンチャレンジカップ・ニュージーランド戦で初得点をあげると、続くロシア遠征での2試合(ともにロシア女子代表と対戦)、東アジア女子サッカー大会2005壮行試合 (対戦相手: オーストラリア) で連続して得点をあげ、日本女子代表では最多タイ記録となる国際Aマッチ4試合連続得点を達成した[3]。東アジア女子サッカー大会2005にも出場したが、この時は無得点に終わった。 2006年7月にオーストラリアで行われた2006 AFC女子アジアカップではチャイニーズタイペイ戦で5得点を含む合計7得点を挙げ、同じゴール数を上げた韓国代表の鄭政淑とともに大会得点王になった[4]。 2007年に中華人民共和国にて開催された2007 FIFA女子ワールドカップに日本代表の一員として出場。グループリーグ第1戦 (対戦相手: イングランド) では後半86分に磯崎浩美と交代する形で出場した[5]。第2戦 (対戦相手: アルゼンチン) では先発出場、後半ロスタイムに決勝点となる得点を挙げた[6]。第3戦 (対戦相手: ドイツ) にも先発出場したが、76分に宮本ともみと交代した[7]。 2010年1月より、女子ブンデスリーガ1部所属のFF USVイェーナの練習に参加[8] していたが、その後同リーグ1部所属の1.FFCトゥルビネ・ポツダムへのプロ契約による加入が発表された[9][10]。日本人史上初のUEFA女子チャンピオンズリーグ決勝戦では、後半21分から試合に出場し、PK戦でも6人目のキッカーを務め優勝に貢献した[11]。2010年3月に東海大学体育学部を卒業。 2011 FIFA女子ワールドカップではエースストライカーとして期待され、初戦で開始早々に先制点を決めるが、徐々に前線での孤立が目立つようになると、準々決勝ではハーフタイムで交代を命ぜられ、準決勝以降は控えスタートとなった。チームは歴史的な優勝をしたものの、永里自身は決勝で失点のきっかけを作ったり、PK戦で日本で唯一失敗するなど、不調のまま不完全燃焼で大会を終えた。アジア人として初の欧州CLとW杯制覇。 2011年7月、メンタルトレーニングコンサルタントの大儀見浩介と結婚したことを、本人のブログで公表した[12]。2012年6月9日に結婚披露宴を行った[13]。これに伴い、日本サッカー協会に対して「大儀見優季」名義での登録名変更申請を行い、ロンドンオリンピックから大儀見名義でサッカー選手活動を行うこととなった[14]。 ロンドンオリンピックでは全試合に出場し、チームトップの3得点を挙げるなど銀メダル獲得に大きく貢献した。 ![]() 2012-13シーズン、リーグ戦で18得点を挙げる活躍を見せ、初のブンデスリーガ得点王に輝いた[15]。 2013年7月、イングランドFA女子スーパーリーグのチェルシーへの移籍が発表された。 2015年1月、ドイツブンデスリーガのVfLヴォルフスブルクへ移籍[16]。 2015年8月、1.FFCフランクフルトへの移籍が発表された[17]。 2016年リオデジャネイロオリンピックのサッカー女子アジア最終予選の日本代表メンバーに選出され、オーストラリア戦で1得点、ベトナム戦で1得点を挙げたが、チームは予選2位以内の可能性がなくなり五輪出場権を逃した[18][19]。 同年4月6日、大儀見浩介と離婚したことを自身のブログで報告した[20]。 2017年5月、1.FFCフランクフルトを退団し、アメリカNWSLのシカゴ・レッドスターズへと移籍した[21]。同年9月3日に行われたノースカロライナ・カレッジ戦に後半から途中出場し、後半9分に移籍後初得点となるゴールを記録した[22]。 2020年9月10日、男子のはやぶさイレブン(神奈川県リーグ2部)に2020年12月31日まで期限付き移籍することが発表された[23]。 同年10月26日、2021年シーズンからNWSLへ新規参入するレーシング・ルイビルFCへトレードされることが発表された[24]。 2022年1月11日、シカゴ・レッドスターズへの復帰が発表された[26]。 2023年12月13日、シカゴ在住の一般人と再婚したことを公表した[27][28]。 2024年1月13日、ヒューストン・ダッシュと契約合意(2025シーズンまで2年契約)したことを発表した[29][30]。 2025年3月4日、自身のオフィシャルサイトにおいて現役引退を発表した[31]。 個人成績クラブ
代表主な出場大会
試合数
ゴールタイトル・表彰クラブ
代表
個人
表彰
テレビ出演著作
脚注
関連項目外部リンク
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