磯田道史
磯田 道史(いそだ みちふみ[2][3]、 1970年〈昭和45年〉12月24日[4] - )は、日本の歴史学者[2]。国際日本文化研究センター教授[5]。博士(史学)。岡山県岡山市出身[6]。 人物磯田の実家は備前岡山藩の支藩である備中鴨方藩重臣の家系で、家には古文書などが残されていた。名前の「道」の字は、代々受け継がれている通字であった[7]。5代前の先祖に鴨方藩主の池田信濃守(政詮、池田章政)の教育主任だった磯田由道がおり、由道の甥に高山紀齋がいる[8]。磯田の父は農芸化学が専門の公務員で、母は高等学校教員(英語)であった[9]。 高校在学中『近世古文書解読辞典』を使って実家や岡山県立図書館の古文書の解読を行う[10]。水本邦彦が教員にいたことや、京都には古文書や史跡が多そうだったことから京都府立大学文学部史学科に進学した。 しかし、当時、京都府立大学文学部に大学院がなかったことから、大学の講義を受講しながら、受験勉強する。翌年、慶應義塾大学に進学[11][12]。その後、慶應義塾大学文学部史学科日本史学専攻を卒業し[13]、2002(平成14年)同大学院文学研究科博士課程修了[14]、「近世大名家臣団の社会構造」で博士となった(史学)。指導教授は田代和生であるが、入学時から速水融の指導も受けていた[15]。 2018年(平成30年)3月16日には、「明治150年」[16]を記念して天皇明仁・皇后美智子(いずれも当時)へ進講している[17]。 2021年度にも大規模改修に着手する岡山城(同市北区丸の内)では、フロアごとにテーマを設けて歴代城主や城下町の変遷を紹介する展示場の整備が行われる予定で、岡山市から監修を依頼されている[18]。 NHK番組ブラタモリ#149「岡山」(2019年11月30日放映)に、岡山出身の案内人として出演した際には、子供の頃から歴史的なものに興味があったことを告白している。番組内での本人のコメントによると「小学生の時、夏休みの自由研究で、とある街道沿いにある石仏の拓本を取って回って発表した所、それを機に、同級生の女の子に”オジン”というあだ名で呼ばれるようになった事が今でもトラウマになっている」とのこと。タモリは「ずいぶん渋い小学生がいたもんですね」と笑っていた。尚、オジン(おじん)は、地域によって若干のニュアンスの違いがあるが、特に関西地方では「おじいさん」という意味合いが強く、また、少々軽蔑を込めた言い方であるとされる。 速水学派歴史家の磯田道史は、歴史学者の速水融の直接の指導を受けた「速水学派」の最も若い世代に属する[19]。磯田道史は、速水融がいた慶應義塾大学経済学部ではなく、慶應義塾大学文学部に進学したが、磯田道史は著書の中で速水融の研究手法について「数字を出せるということは、時間や空間が異なる社会との比較も可能になります。その圧倒的な革新性は、高校生の私にも分かりました」(「歴史人口学は『命』の学問―わが師・速水融のことども」、磯田道史『感染症の日本史』文春新書、239―241)と評している[20]。 役職
受賞歴
著作単著
共著
連載記事
出演現在出演中のテレビ番組
過去に出演・司会をした番組
その他脚注
外部リンク
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